ハニーチ



高1の彼女の席替え後




、次」

「はーい」


高1の秋、はじめての席替え、誰の隣になるか、心配半分、楽しさ半分でくじ引きをすると、まさかの1番前の席だった。

担任の先生が好きな友達なら羨むかもしれない。
私自身も授業を寝ずに済むから悪くないか、そう前向きに捉えていた時、友達が憂鬱そうなのが目についた。

彼女の手にあった席番号は、一番後ろだった。


「さといちゃん、さといちゃん。あの、交換する?」


チラッと今自分の引いたくじを確かめて、相手に見せる。

二つ返事でこの喜びよう、こんなに喜んでもらえるならいくらでも交換してあげるって思えた。

彼女は、このクラスの担任に片思いしていた。



「本当に、先生近かった」

「一番前だもんね」

「質問にもすごく真剣に答えてくれてね。あ、そーだった!」


お昼休み、彼女は膝にお弁当箱を乗せていたのも忘れて立ち上がった。

私の方に転がってきたから代わりに拾ってあげる。
半分以上も残っている牛乳のパックの隣に置いた。


、ありがと」

「ううん。どうかした?」

「先生にさっきノート預けてて……取りに行かないと」

「いいよ、行ってきなよ」


一緒に行ってほしいなら付いていってもよかったけど、先生の所なら男嫌いの彼女でも一人で行けるだろう。

もう一度お礼を言われて、牛乳パックの残りをストローで啜る。

まだ、けっこうあるな。
そういえば、今日も校舎裏のところであの猫がいたんだった。

牛乳、分けてあげようかな。

立ち上がって、友達がさっきまで借りていた椅子をきちんと戻した。

新しい隣人である東峰旭くんはまだ教室に戻って来てなかった。













「よしよし、いくらでも飲みな」


あれ、でも猫って牛乳あげすぎたらダメなんだっけ。

文化祭の時にあまった紙皿に牛乳を継ぎだしてあげながら、そんなことを考えた。

猫の方は、のんきに教室の暖房でほどほどにぬるまった牛乳をなめていた。

この猫は、前に佐戸井ちゃんとお昼を食べている時に見つけた猫で、彼女は人間も動物も等しく苦手としていたから、自分一人の時だけ、たまに顔を出していた。

北風が冷たい。
しゃがんだままスカートを押さえた。

この猫もきっともう少ししたら、ここに来なくなるかもしれない。

指先で頭を撫でさせてもらった時だった。



「清水は別格にしたってさ、佐戸井は可愛い!あの顔なら無視されたってお釣り来る!だろっ!?」

「あー、まあ確かにな」


クラスの、男子の声だった。

佐戸井ちゃんの、話をしている。


「それに、佐戸井は胸があるっ」

「おま、そういうの大きい声で言うなよ、ここ中庭だぞ?」

「こんな寒い日の昼休みにわざわざここ来るかよ。東峰だって興味あるだろ!」



こ、これは、女子は聞いちゃいけないやつだ。

でも、校舎に戻るにはこの辺は枯れ葉が多すぎて動いたら音がする。


あっ。


牛乳を飲み終えた猫が木々の合間を抜けて行ってしまった。



「可愛いなあ、この辺にいるやつだよな」



この声は、隣の席の、東峰くん。

木の陰から見えたその表情は、ふにゃっとした笑顔で、ちょっと意外だった。

授業中に見た顔は真剣そのもので、迫力さえあった。


怖い人ほど動物を可愛がる、の法則かな。


と思ったら、急に東峰くんが立ち上がって、同じクラスの男子をつかまえて校舎に戻っていった。


「……」


助かった、かな。

あ、猫ちゃん。

お礼のようにひと鳴きしてから、またどこかに消えて行ってしまった。


「……、……戻らないとっ!」


ついぼんやりしてしまった。

佐戸井ちゃんはやっぱり男子の間で評判なんだな、とか、清水さんもやっぱり人気あるんだな、とか、胸の大きさもやっぱり大事なんだ、とか下らないことを考えてしまった。


中学の時のことを思い出す。


“佐戸井が薔薇なら…… ”


薔薇、なら、となりにいる私は。













掃除を終えて、今日は佐戸井ちゃんとクレープを食べに行った。

せっかくだから、今日の掃除の出来事も話してしまった。

一緒に掃除をした東峰くんは、私の予想よりずっと面白そうな人だった。

窓を開けてゴミを吹っ飛ばすなんて、なかなかのセンスだ。


「そんなの最初っから分担しないで掃除すればいいのに。廊下は広くないんだし」

「あ、まあね」


確かに佐戸井ちゃんの言う通りではある。

いきなり半分こにしようと言われた時も不思議に思った。

でも、お昼休みにうっかり男子のないしょ話を聞いたこともあって、私から東峰くんに積極的に話しかけることもしなかった。

ないしょ話ももちろん佐戸井ちゃんにはヒミツだ。二人の名誉のためにも。


「東峰ってなんか怖い。無理」

「そこまで言わなくても……」

はあーいうの好きなんだ」

「ああいうのって……」


そんな言い方しなくてもなあ。

クレープの中のアイスクリームと生クリームとチョコレートソースをぺろりと味わいながら、プラスチックのスプーンでこぼれないよう掬った。


「今日、隣になったばっかりだからよくわかんないよ」

は男のことなんて知らなくていい」

「ただの同じクラスの男子だよ?」

「男子だからだよ、みんな見た目ばっかり。東峰だって女の子とっかえひっかえしてるかも」

「さといちゃん、こっち側のアイス溶けてるよ」

「わ、ほんとだ!!」


そこまで男子を嫌わなくても、と思いつつ、彼女は自分の容姿で苦労してきているから、こんな頑なになっても仕方ない。

クレープ屋さんを後にして、担任の先生におすすめしてもらった本を買いに行くという佐戸井ちゃんは恋する乙女で、確かに何言われても可愛いなあって思ってしまった。

東峰くんのことを無理と言い切ったその顔すら、やっぱり可愛かった。

もし、おんなじことを私が言ったら、きっと顰蹙を買うだろう。特に男子に。

私も、次に生まれ変わるなら、さといちゃんや清水さんとまではいわないけど、もうちょい可愛くてしてもらいたいものだ。


あれ。


ショーウィンドーに映った自分の顔、の背景にある公園で、なにか見つけてしまった。














「あの、何してるの?」


「あ、いや、その!!」


「うっうう、あーーー」



小学校低学年かな、黄色い帽子をかぶった女の子が、東峰くんからダッシュして離れたかと思うと、私の足にすがりついて更に泣いた。

しゃがんで、よしよし、と頭を撫でてあげる。

ジャージ姿の東峰くん、の手には、小さなウサギのぬいぐるみだ。


まさか。



「ちっ違うよ、俺が取りあげたんじゃないっ」

「そうだよね、東峰くん、猫派っぽかったし」

「猫派?」


はっ、しまった。

昼休みに猫を撫でていた東峰くんの姿は私だけの秘密だった。

秘密を知ったからには……


「きゃわっ!!」

「えっ!!」


すぐそばに東峰くんがずーーんと立っていたもんだから、びっくりしすぎて尻もちをついてしまった。

トーテムポールがいきなり自分のそばに立っていたような衝撃だった。


「と、トーテムポールって……」

「ご、ごめん」


なんとなく、公園のベンチに東峰くんと並んで座った。

正確には、泣いていた女の子がさっきまでいたけど、ウサギのぬいぐるみを渡すと涙も収まって帰っていった。


「あの、なんであの子のぬいぐるみを東峰くんが?」

「いやっ、たまたま、部活の練習で走ってたら、この公園に通りかかって……」


一人の男の子が、さっきの女の子のぬいぐるみを取り上げるところを目撃したらしい。

放っておくのも可哀そうで東峰くんが二人に近づくと、男の子の方が速攻で逃げ去った、と。


「そ、そんな笑わなくても……!!」

「ごめん、想像したらちょっと面白くって」

「お、おもしろい?」

「いやだって、その」


想像したらよく分かる。

自分よりずっと大きくて迫力のある男子高校生、しかも東峰くんが自分を見下ろしていた恐怖ときたら。


、けっこう言うな……」

「だって、もし私が、あ」


東峰くんも自分が今言ったことに気づいたようだ。


「いいよ、で。さん付けじゃなくていい」

「でも、……の方は」

「私は男子はーー……」


ふと、同じ中学の男子が浮かぶ。


「澤村は澤村って呼んでるかな。なんとなく」

「大地と同じ中学だって言ってたよな」

「そうそう。結がね、あ、今日廊下で会ったバレー部の子、髪が短い」

「わかるよ」

「結が澤村って呼ぶから、なんとなくそう呼んでる」


他の男子は君付けで呼ぶこともあるんだけど、特に意味はない。


「何て呼ばれたい?」

「えっいや、なんでも。トーテムポールじゃなければいいなぁ、とは思うけど……」

「呼ばないよ、トーテムとは!ちょっとかっこいいけど」

「トーテムが? そうか?」


呆れた様子で小首をかしげる東峰くんは、怖いというよりずっと柔らかな雰囲気だった。

結局、いきなり旭と下の名前で呼ぶのも、旭くんというのもしっくりこなくて、私の方は東峰くんのまま変えずに呼ぶことにした。


「そろそろ部活戻らなくていいの?」

「あっ!!」


公園の時計はだいぶ進んでいたけど、自分の腕時計を見るとそこまででもなかった。


「あの、がいてくれて助かったよっ。俺じゃあの子を泣き止ませらんなかったし」

「いやいや、なんにもしてないよ」


いじめっ子からあのウサギのぬいぐるみを救ったのは、東峰くんだ。

圧倒的な迫力、ドシンと構えた風格。


「そ、それ褒められてるのか……?」

「えっ褒めたつもりだった」

って、変わってるよな」


しみじみと呟く東峰くんに時計を指差した。


「じっじゃあ行く!」

「うん、ばいばいっ」

「あっ!」


走りかけた東峰くんが、少し振り返って言った。


も早く帰った方がいいよ、暗くなるとこの公園も治安悪いし」

「……」

?」

「あ、わかった。帰るよ」


私は、佐戸井ちゃんじゃない。清水さんでもない。

そんな心配する必要もないから、東峰くんの発言にびっくりして、公園を出る時、ついスキップでもしたくなってしまった。

女子扱い、された。

帰り道、隣の席の東峰くんの好感度がぐぐっと上がっていた。



end.