ハニーチ



glance

- のぞきみる -











拒む理由なんていくらでもある。

たとえば、好きなお菓子を否定されたりとか、ちゃんとしたご飯も食べずに会いに来られたりだとか、その他いろいろ、たくさん。


それでも、触れられると求めてしまって、深く引き寄せられるくらいには惚れ込んでいて、だからこそ、なのか、今この状況の違和感にすぐ気づけなかった。




「ふぁっ!?」


聞き慣れない声だと思った。

胸元に顔を沈めた様子は見慣れたはずなのに、なんというか、感覚が違う。手つきが違う。たどたどしい。いつもと違う。

あれ、なんだろ、どうしたんだろ。


そう思って覆い被さる彼の方を見ると、もぞもぞと身体をまさぐられて、くすぐったさがこみ上げた。




「しょうよぅ、なにして……」

「やぁ、らか……、なんだ、これ?」



え。


え?



「あ、ちょっと、待っ……!」


相手は私の制止がまったく耳に入っていなかった。

そっち、落っこちる。

予想したとおり、彼は真っ逆さまにベッドの下に姿を消した。

四つん這いになって様子を伺いに行く。


私の知っている彼、だけど、……本当に翔陽?



「あのっ、おねーさん、ふ、ふ、服っ!!」


あ、忘れてた。布団を引っ張って身体を隠す。

本来なら私こそびっくりするべきだ。
でも、相手が驚きすぎるとかえって反応が鈍くなるみたい。

ぽかんともう一度ベッドの下に転がる相手を見下ろした。

今度はギョッとした。


「あのっ、大丈夫?」

「あ、いや、少し、あのっ!」

「鼻、ティッシュそこ!」

「あ、ありがと、ございます!!」


あっちを向いていそいそとティッシュを引っ張り出す後ろ姿、見忘れるはずがない。

日向翔陽、

あの、日向くんだ。


私がずっと見つめ続けた、中学3年の日向くん。
















「スイマセン!スイマセン!!おれ、本当、なんもわかってなくて……!!」

「いいからっ、そんな謝らないで」


身なりを整えてきちんと部屋に明かりをともす。

何度もお辞儀をする彼は、やっぱり私の知る彼よりもずっと幼かった。

さっぱり理屈はわからないけど、さっきまでそばにいた日向翔陽はここにいない。

この日向くんは15歳らしい。15歳の日向翔陽。

とうの昔に顔を合わせているのに、すっかり記憶の彼方だ。

ローテーブルの上では、翔陽がお土産に持ってきた砂時計がずっと静かに砂を落とし続けていた。

カーペットに腰を下ろして、じっとそれを観察する。


「あのっ、その砂時計がどうかしましたかっ?」

「あ、いや……、変に思わない?」

「変、っていうと?」


日向くんがかなり警戒しながら砂時計と私に近づいた。


「私、こわい?」

「へ!?」

「あ、そっか。へんなかっこ見せちゃったからか」


待って、15歳って未成年だ。


「さ、さっき見たのはないしょね、捕まったり「言いませんっ、おれ絶対言いませんっ、おねーさんのすごいところ見たなんて絶対!!」


すごいところって……

まあすごいところではあるんだけど、ちょっと笑ってしまった。


なんで笑われているかわからないらしい日向くん、そのキョトンと目を丸くする姿がやっぱりどこか懐かしい。


「その、おねーさんってやめてもらえない?」

「で、でも、名前……」

「わかんない?」


厄介な絡み方をしているなと自分でも思う。

からかっているな、と自覚する。


「ほんとーーにわかんない?」


ちょっと顔を近づけると、日向くんは面白いくらいに身体をこわばらせた。

なんだかいつもと逆だ。



「おっ、おねえ、さん!」

「ヒントあげよっか?」

「ヒント!?」

「日向くんっ」


あの頃の自分を思い出すように、それでも重ねた時間の分だけ、声の発し方も忘れていた。

久しぶりにそう呼んだ。


日向くん、ひなたくん。


何のてらいもなく、そう呼ぶこと以外の選択肢を思い浮かばなかった、あの頃。


……さん?」


そうだ、いつもそんな風に呼んでくれていた。


「でも、だって、えっ?えっっ!!?」



日向くんが部屋を見回した。どっからどう見ても私の部屋である、けれど、さすがに15歳の頃の部屋とは似てもにつかない。

それでも私の部屋の証明であるかのように、1枚の写真に日向くんは目を奪われていた。

スパイクを打とうと飛び立つ、日向翔陽。

こっちの世界の、彼自身の姿。


「日向くんだよ」


教えてあげると、日向くんはさらに驚きの声を上げた。














「これ、おれなんだ……!!すげえ、おれ!!」

「日向くんはずっとすごいよ、いつでもすごい」

「え、へへへへ!」


真っ直ぐ褒めると、素直に喜んでくれる。可愛くて、つい撫でてしまうと、うぐ、と日向くんが動きを止めた。

あ、つい、手を出してしまった。


「ごめんね、触っちゃって!」

「い、いいんですけど! その、おれには、刺激が……」

「刺激?」

「ふ、服が、その!」

「ああっ」


その辺に投げ捨てられていたパーカーに手を伸ばした。

袖を通しながら、まだ照れた様子の日向くんに言った。


「でも、この服選んだのは日向くんなんだよ?」

「おれ!?」

「こっちのおれだね」

「お、おれ……なに考えてんだ!」

「ホント、何考えてるんだろうね」


笑いながら相づちを打つ。

この頃からずっと、日向くんは私の想像を飛び越えている。


「あの、おねえっ、いや、さんは、なんか、全然普通ですね!」

「ふつーって?」


お菓子を一つ手にして、パッケージを開けた。

甘いチョコレート、だけど、どこかカカオの香りが強くする。


「いやっ、この状況、もっとびっくりするかなって、ふが!」

「んーー、日向くんに、その、こっちのね、驚かされっぱなしだからかなあ」


キットカットの半分を、15歳の日向くんの口に差し込んで、もう半分を自分でぱくついた。

物事を考えるには糖分がいる。


「こっ、こっちのおれ、そんなにさんをびっくりさせるんですか!」

「うん、……すごく、すごく」

「それって、変なことしてるとかじゃないですよね?」

「へんなことって?」

「な、なんでもないデス!!」

「例えばどんな?」

「ひっ!!」


あんまりにも緊張するから面白くてまた頭を撫でてしまった。ふわふわの、オレンジの髪。



「かわいい」

「うぐっ、そ、そーいう風に言われんの、うれしくない、ですっ」

「男の子だもんね」

さんの方が可愛いですし、あの、それに、綺麗で……きれいです!!」

「ありがとう」


お礼にほっぺたにキスでもしたくなったけど、さすがにそれはしなかった。


「なんとなくだけどね」

「はい?」

「この砂が全部落ちたら、元の世界に戻るんじゃないかな」

「元の、世界に?」

「さっきまで私の部屋にいたんでしょ? 15歳の、私の部屋」


日向くんがこくりと頷く。

こっちの翔陽も私の部屋にいて、あっちの私の部屋に15歳の日向くんがいた。

それに4月1日の今日、ちょうどなんとか歴で不思議なことが起きてもおかしくない日、らしい。


「そっそうなんですか、すげ!かっけえ!」

「うーーん、だからやめようって言ったんだけどね」

「やめる??」

「変なアンティークに手を出さないでって」


ツン、と人差し指で砂時計をつついてみても、びくともしなかった。

翔陽曰く、特別なお土産らしいけど、これなら定番の甘いお菓子でいいのに。
こっちに帰って来ちゃったら、しょっちゅうは行けないんだから。


「おれ、どこでこんなの買ってきたんですか?」

「ブラジル」

「ブラジル!?」


あ、いけない。
こういうのって教えすぎたらダメなんだっけ。

15歳の日向くんの中に、ブラジルという国の存在があるとは思えなかった。

ちょっと反省したけど、当の本人はブラジルにこんなのあるのか!と感心していた。

砂はだいぶ落ちていた。


「お菓子あげる」

「へっ」

「こっちの日向くんはお菓子なんかいらないって言うから」

「そうなんですか!」

「他のがいいってわからずやなの」

「何を食いたがってたんですか、こっちのおれ」


……。


「なーいしょっ」


よいしょっと、ベッドに腰掛けた。


「それより、もうちょっとしたらきっと元の世界に戻るから、何か聞きたいことがあるなら教えてあげるよ。あ、むしろ」


私の方が聞きたいことがあった。


「な、なんですか!」

「私に勉強教わるの、そんな嫌だった?」


ちょっと、いやずっと思っていた。

私にだけ勉強を教わろうとしないなって。


わかってはいたけど、なんとなく、今のこの状況なら聞けるなって。



「嫌、ではないっ、ですけど……」

「けど?」

「……さんには、その、かっこいいところだけ見てて欲しくて」


日向くんが顔をそらした。

さん、と口にしたけど、それは、私のことじゃないんだろうとわかった。


「そっか」

さんは、勉強っ、おれに教えたかったっ、んですか?」


両手を後ろについて天井を見上げた。


「教えたいって言うよりは、日向くんに頼ってもらいたかったかな」


なんでもいいから役に立ちたくて、何かできないかって頭を悩ませていた、そのとき。


「ずっと、頼ってる」


真剣みを帯びた声色。


さんがいるからずっと……


 さん、何も言ってくれないから、さんは、おれのこと……」


すきだよ、と。


私がここで口にしても、何にも解決しないんだろうと言うことだけはわかっていたから、一つ息を吸い込んでいった。


「かっこいいって思ってるよ」


日向くんが顔を上げた。


「かっこいいよ、日向くんは、ずっと。なにしてても」


隣にいるときの私には、ずっとかっこよくみえている。ずっと、変わりなく、今も。


「ちゃんと言葉にした方がいいよね。きっと、私、いつもいっぱいいっぱいなんだ」

「いっぱい??」

「気持ちがあふれて、言葉に上手く出来ないの」


今もそれは同じだろうか。

15歳の時よりは自分の気持ちを制御できるようになったのかな。自分のことなのによくわからない。

もうすぐ砂が落ちきる。


「待ってて、日向くん」


なぜか急に翔陽に会いたくなった。無性に、今すぐ抱きしめたい。


「私が追いつくまで、待ってて」

「待ってる!!!」


きらきらとした白地図を背負ったかのように、日向くんが言い切ったその瞬間で途切れた。






















……だよな?」

「日向くん?」

「こっちのっ、俺ので合ってる?」

「合ってない」

「よかった!」

「合ってないって言ってるのに、もう!」

「なんだよ、暴れんなって」

「ちがうよ」


暴れてるんじゃなくて、私も抱きしめられるように身体の向きを変えただけだ。

勢いのまま、翔陽をベッドに押し倒してもたれかかった。


「ねえ、さっきさ」

に会った!」


それは、私のことじゃないのは明白だった。


「そういうの、言葉にしない方がいいんじゃない?」

「なんでっ?」

「不思議なことは不思議なままにしておくべきかなって」

「15歳の、ちゃんとだった!」


この感じ、やっぱり翔陽だ。

胸板に耳を押し当てて、ちゃんとここにいてくれることを実感する。


、なにしてんの?」

「鼓動を聞いて落ちつこうかなって……」


でも、気のせいかもしれないけど、心音が早くなっているような。



、すきだ」



何度だって聞いた告白を、いま改めて贈られる。


「私も」


胸元から離れて、愛しい相手と見つめ合う。

キスしていい?


そう聞くより早く、でも、奪うというよりは、イエスの答えのように唇が触れあった。


「すげえ、会いたかった、

「ん」

「ちゃんと飯食うから、そのあと」

「うん、でも寝てね。移動時間で寝れるのもわかるけど。あと、言ってくれたら私から会いに行くから」


そうした方が中間地点で会えるからずっといい。

そう告げながら視界が反転するのをぼんやりと受け入れた。


「気づいたらもう電車乗ってたからさ」

「電車で連絡くれれば……まさか」

「う、ん、置いてきた、スマホ」

「もーー……」

「言ったじゃん、あ、会いたかったって」

「覚えてるけどさ」


呆れるくらい愛されている。

いきなり家に来ないでって怒って、昼もまだだって言うのに何にも食べようとしないで、ご機嫌取りに変な砂時計はなんでか持ってきてて。

今、ここにいてくれるのが奇跡みたいだ。


「おれ、のことすきだ」

「……うそじゃない?」

「うそじゃない」


翔陽が近づいた。

いっしょにいられる時間を頭の中で暗算した。
砂時計みたいだ。
流れていく時をつかもうとしている。

さっきの不思議な体験も、今も変わりない。


、集中」

「待って、もうちょっと、「待てない」


“日向くん”とは違う手のひらが、輪郭をたどる。

抵抗する気はなかったけど、もっと、ただ見つめ合っていたくて、同じように相手の頬に両手を添えた。




end. & Happy April Fool!