glimpse
- かいまみる -
それは、4月1日の午後3時の出来事だった。
「!!」
見える天井、をさえぎる、男の人の肩。
オレンジ色の髪。
密着する距離、互いの体温が分かる接触。
おかしい、私はこれから日向くんとおやつを食べようとしていたはずだ。
「あの、待って」
「やだ」
「やだじゃなくて!」
「さっきもそう言って止めただろ」
「だっだから、……ッ!?」
はじめての感覚に変な声を上げそうになったところで、相手も異変に気付いたらしい。
「、服が変わって……、んん?」
日向くんがやっと服に差し入れた手を止めてくれた。
目が合う。
互いにきょとんと間を置いた。
「あれ?」「あの……」
今度は、日向くんがびっくりする番だった。
*
「、ごめん!!!!!」
床にひれ伏す日向くん、らしい男の人は、また土下座を繰り返した。
「もういいですっ、顔上げてください!」
「お、俺は、未成年になんてことを……!」
「なんにも、なんにもなかったですよ!?」
「でも、でもさ!「でもじゃないです!!」
その件は恥ずかしすぎるので、これ以上の謝罪どころか言及もしないでほしかった。
理屈なんてどうでもいい。
とんだSFだ。
ここは私の部屋、15歳の私の部屋。
この人は、現在、20歳の日向翔陽、らしい。
「すごいよなー、この砂時計」
私は自分のベッドの上にいる。
ローテーブルをはさんだ向かい、つまり、こっちの日向くん(紛らわしいな)がいたところに、未来の日向翔陽……さんが座っていた。
この人の手には、私の部屋ではどこか浮いてみえる、古ぼけた砂時計。
「あの、まだ信じられないです……」
「俺も!」
けど、その声は明るく、別段戸惑いはなかった。
さっきは驚きの声を上げた日向さんだったけど、どうやらこの状況を飲み込んでるらしかった。
やっぱり日向くんは日向くんなので、順応力が高いなと密かに感心する。
こっちはまだ状況を理解しきれていない。
いや、誰が信じられるんだろう。
不思議な砂時計の力で、20歳の日向さんとこっちの日向くんが入れ替わったなんて。
日向さんは、テーブルの上のお菓子を手にして『食べていい?』と聞いてきた。
「ど、どーぞ」
「サンキュ」
やけに海外っぽい響きでお礼を言われた。
砂時計は規則正しく砂を落とし続けていた。
この人、すごくのんきだ。
「あ、あの!」
日向さんがお菓子で口をもごもご動かしている時に、やっと切り出せた。
「こ、怖くないんですか?」
「ふぉあい?」
「……お茶、どうぞ」
「ん、ありがと!」
こっちの日向くんに出すはずだったお茶をとりあえず差し出すことにした。
お茶で喉を鳴らしてから、日向さんは言った。
「怖いって何が?」
「この、状況!
話じゃあ未来の私の部屋にいたんですよね? これ、タイムスリップ?っていうやつじゃないですか、元に戻れなかったらどうするんですか?」
「んーーー、戻れなかったら困るけど、それはこの砂が全部落ちた時にあせればいいかなって」
「砂?」
「ほら、まだだいぶ砂が残ってる」
テーブルの真ん中に置かれた、どこかエキゾチックな雰囲気のある砂時計には、綺麗な砂がさらさらと流れ落ちている。
「これ、英語だと hourglassって言って、きっかり1時間測れるんだって」
日向さんは今度は私の部屋の時計を見た。
まだ、5分くらいしか経っていない。
「だから4時になっても戻らなかったら、その時にどうするか考えればいい」
沈黙を、秒針が刻んだ。
一つ深く呼吸をしてみても、気持ちは落ちつかなかった。
ふと気づく。
「あ、あの、こっちの!
こっちの日向くんはどこに!?」
「俺がこっちにいるってことは、俺がいたところにいるんじゃないかな」
「ってことは、私の部屋に?」
「うん、そうだと思う」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「がいるし大丈夫だと思うけど……あー」
「あーって、あーってなんですか!?」
「だ、大丈夫だけど大丈夫じゃないって言うか、15歳の俺、だよなあ……俺だし、は大丈夫だろうけど俺の方が」
「日向くんが危ないってことですか!?」
「!違うって、そういうんじゃないから……、ともかく無事!身体は!!」
「身体は!?」
「お、落ちついて!!むしろこう、……うん、嬉しい目に遭ってるかもだし、あー、でもそれだとこっちのが……」
日向さんが腕を組んでうんうん唸る。
どんな状況だったかも教えてくれないけど、なんとか聞き出せたのは、こっちの日向くんは向こうに行ってても無事のはず、ということだった。
刺激が強すぎるかもしれない、と日向さんは言ってたけど、何のことだろう。タイムスリップってジェットコースターみたいなものなんだろうか。
「もう一個いい?」
「ど、どうぞ……」
自分のことは心配しなくていい(俺だから大丈夫!)と断言した日向さんは、ひょい、とまたお菓子をつまんだ。
もぐ、もぐ、もぐ、と食べる音が部屋に響く。
「あの、おなかすいてるんですか?」
さっきからお菓子を進む手が早い。
「あー、うん。ちょっとだけ」
「もし、あれなら、あの、食べ物持ってきますよ?」
「おかまいなく! お菓子もらってるし」
「でも……」
見かけが、とってもアスリートで、お菓子なんか一瞬で消化されてしまいそうだ。
立ったまま、部屋を出るか悩む。
日向さんはこっちの考えは読み取れるわけもなく、なに?と動じた様子もなく言った。
でも、どう答えたらいいかわからなかった。
続く沈黙に、日向さんは笑った。
「らしいよな、この感じ」
「え?」
「さっきも俺のこと1番に心配してくれたし」
「そりゃ……」
少なくとも自分は自分の時代にいるわけで、心配すべきはここにいない人のことだろう。
「座ったら、って俺が言うのも変だけど。1時間しかないんだし、もっと話そう。なんでも答えるよ、15歳の俺って今より……あ!」
急に日向さんが立ち上がったから、ビックリして反対にベッドに腰を下ろした。
「な、なにか?」
「これ、まだ大事にしてくれてるんだ!」
ピンクのイルカのストラップ。
それは中学2年の時に水族館へ一緒に行った時にプレゼントしてもらったものだ。
いざ、本人に言われると照れてしまう。
「ずっと、そっちの私も大事にしてると思いますよ……」
未来の自分を想像してみる。
この日向さんと同じだけ、年を重ねて大人になった自分を。
あれ。
「日向さん、さっき言ってましたよね、未来の私の部屋にいたって」
「おう」
「そ、ですか」
だったら、このストラップをずっと大事にしてたことくらい知ってるんじゃ……
でも、知らないってことは、必ずしも今日、私と日向くんが一緒にいるみたいな理由で同じ部屋にいた訳じゃないかもってことで。
つまり、カレシカノジョって訳じゃないかもで……
「まーた変なこと考えてたろ」
「!」
日向さんが同じようにベッドに腰かけたから、相手の重みもあって飛び跳ねた。
だって、すごく、大人だ、日向さん。
つい横に少し移動してしまうと、日向さんは笑った。
「なんにもしないよ? さっきはその、俺のと間違えたからだし」
「は、はあ……」
「あ、って呼ばない方がいいか、さんだっけ、この頃の呼び方」
気持ちが追いつかずに返事が出来ないでいると、日向さんが気を楽にさせようとしているのか、『さんって呼ぼう!懐かしいし』って両手を後ろについて天井を仰いだ。
腕が、すごく筋肉質だ。
身長だって伸びている。
本当に、日向くん、なんだろうか。
目線で辿っているのが日向さんに見つかって、肩をすくめた。
「かわいい」
何に対して言われているかわからず部屋を見渡す。
「俺の隣にいる子のことです!」
「……」
「照れている?」
「あ……ハイ」
「ほんとかわいい!いつも思ってたけどさ。
あっ、あんま言うとこっちの俺が嫉妬するか。
そう思わない?」
日向さんは腕を組んで悩んだかと思えば、すぐ楽しそうに笑いを噛みしめた。
その笑顔に、いつもの日向くんを見つけられて、私も少しだけ肩の力が抜けた。
「教えてあげよっか、色々」
日向さんが身体をこっちに傾けた。
「今の俺だから教えられることもあると思うし……」
日向さんの腕が、とてもしっかりとした腕が伸びてきて、私は身体を硬直させるほかなかった。
*
「ん、く……!」
苦し気な声、
悩ましさに満ちた吐息。
「あの」
「……、ごめん、俺じゃあここまでだ」
「あの仕方ないです」
「白鳥沢ってこんなに難しかったのかーー!」
日向さんが鉛筆を放り出してぐったりとテーブルに身を沈めた。
開かれっぱなしの白鳥沢学園高校の過去問を代わりに閉じた。
ベッドのそばにある本棚に戻すと、日向さんが悔しそうにこっちを見ていて、ちょっと面白かった。
「しょうがないですよ、受験英語と実際の英語は違います」
「単語が何言ってんだか全っ然わかんねえ」
「専門用語は捨てて、周りの分かる文章から読み解くんです」
「俺のが大人なのに……!」
「そりゃ受験生ですし」
「すげーな、受験生!」
人には向き不向きがあるものだ。
それでも私の知る日向くんよりずっとずっと英語ができるようになっていて、その事実にこそ驚いた。
「いっぱい勉強されたんですね……
あの、未来の私と同じ大学ですか?
それともバレーの推薦でもっと強い学校とか」
20歳ということはとっくに大学に入っているはずで、未来は知らないけれど、この体格をみるにバレー選手であることも違いない。
同じ部屋にいたって言うんだし、きっと変わらずそばにいるんだろうと夢見ていた。
日向さんは、
なぜか
すぐ答えてくれなかった。
「あ……、
あれですよね、
タイムパラドックス!」
待ちきれなくて私の方から勢い良く付け加えた。
「たいむ……?」
「未来のことを今の私が知ることで未来が変わっちゃうってやつです。本で読んだことあります」
どの小説だったかな、マンガでもこういうのがモチーフにされていることがある。
下手なことを知ったら平和な二人の未来を改編してしまうかもしれない。
日向さんは、だから、黙っているんだ。
そうに決まってる。
「俺は、がすきだよ」
唐突な告白だった。
「あー……、今のは、俺がここにいるさんがすきって訳じゃなくて、もちろんすきだけど!
だけど、今の“すき”は……日向翔陽はどこにいてものことがすごくすきだっていう意味」
心からの言葉、
理解できる。
「日向くん、どっか行っちゃうんですか」
一抹の不安、焦燥感。
なにをそんなに怯えているんだろう。
日向さんはここに変わらずいてくれて、砂時計の砂は変わりなく落ち続けている。
常識から外れた現状よりも、日向翔陽という人がいつかどこかに行ってしまう事実にこそ、今日1番心が震えた。
「っ、ん、と……さん、
さわっていい?」
日向さんは用心深く手を伸ばし、穏やかな口調で言った。
一縷の警戒心もなく頷くと、肩を抱かれた。
やっぱり、私の知らない日向翔陽だ。
あたたかかった。
「この頃の俺って余裕なかったと思う」
声色からも、温もりからも、愛情が積もる。
「すきってのは伝えてたけど、もっとこう、したいこと言えばよかったよな」
「言って……、くれてますけど」
ちょっとだけ反論めいた響きを持ってしまったらしく、日向さんが笑った。
「そうだよな、さんは今の俺じゃなくて、こっちのおれがすきなんだもんな」
砂時計の砂も、残りわずかだった。
「なんか聞きたいことある? つってもタイムパンドラってのがあるもんな」
パラドックスです、と訂正するより、1つだけ聞いてみたかった。
「あの、私、どうやったら日向くんを喜ばせられますか?」
優しくしてもらって、いつもたくさん幸せにしてもらって、どうやったら返せるんだろうって、悩んでいて。
「しあわせだよ。
返してもらう必要ない」
「でも、私の方がもっと」
「もっと、もっと俺の方がしあわせだから。
さんが想像するよりずっと、ずっと、ずっと……
そこ変わんないんだよな。今も」
いま初めて、日向さんは寂しそうだった。
その気持ちがばれてしまったことが分かったらしく、照れくさそうに日向さんはほっぺたをかいた。
「俺を喜ばせたいんならさ、信じてよ。
俺がさんのことすきだって、自惚れてさ、何したっていい。
すきだから。すきだよ。
俺は、どこにいたってのこと、」
急に電話が切れたみたいだった。
*
瞼を上げると、そこは私の部屋だった。
ローテーブルには数が減ったお菓子に飲みかけのお茶がある。
向かいには日向くんがテーブルに突っ伏していた。
さっきまでの日向さんと違う、よく知った、私と同じ世界の日向くん。
急にガバッと体を起こしたから肩を上下させた。
「さんっ!! だ、よね」
「う、うん……」
「そうだよな、そうだ……、あ」
日向くんは手元で何かごそごそしていると思ったら、お菓子を出した。
私が用意していたものと違う。
「大人のキットカット……? それ、どうしたの?」
「もらった」
誰に、とは聞かなかった。
日向くんの瞳が、テーブルの上のふつうのキットカットと、自分の手の中にあるキットカットとを映しているのが分かった。
「さん、あの、さ」
「うん」
次の言葉を待っても、日向くんは黙ったままで、私も何を言えばよいかわからなかった。
「あの、日向くん、私、さ」
さっき日向さんに言われたことが頭をずっと離れなかった。
「じ、実は……、
その……、
今日、となりに座りたいなって思ってて。
そっちに行ってい「いいよ!!!」
大げさなほど日向くんはすばやく荷物をどけた。
なぜか自分が使っていたクッションも私のために譲ってくれた。
自分の分があるからとクッションは返して、おそるおそる隣に収まるとすごく安心できた。
日向くんも同じだったらしい。
だいすきの気持ちを込めて、互いに見つめあった。なんでだか、しばらくずっと、途方もなく。
end. & Happy April Fool!