とある5月の出来事
はなのいろは
うつりにけりな
いたづらに
「なんだっけ、それ?」
のんびりと芝生の上に寝ころがっている翔陽が、片手を空へと伸ばしながら言った。
木漏れ日がまぶしいのか、目を細めている。
同じく芝生に腰を下ろしたままの私も、つられて空を見上げた。
ひと休みさせてもらっている木陰は涼しいけれど、その大木の向こうに太陽がある。
「古文で習ったの、覚えてない?」
「ないっ!」
こうきっぱりと言い切られると、いっそ清々しい。
古文の先生が聞いたらきっと渋い顔をするだろう。
幸い、もう卒業している身だから、そんな心配はいらなかった。
どういう意味かと翔陽が私に聞いた。
今度は伸びた手が、私の首筋をなぞる。
こっちを見てほしいと暗に言われているようで、足元へと視線を落とした。
光が当たるたび、翔陽の髪はきれいな色合いになっていた。
お日様が溶けたらこんなあたたかな色になるんじゃないか。陽だまりに手をひたすように、翔陽の前髪にふれた。
「翔陽も授業でやってると思うよ。古文の便覧に載ってたから」
「は記憶力いいよなー」
「話、逸らそうとしてる」
「ほんとにすごいって思ってるっ!」
翔陽の手が何をしようとしているか見守っていたら、急に翔陽が身体を起こすからびっくりした。
太腿の温もりがなくなったから、その隙に足を組み変えた。
「はすごい! それ、どういう意味っ?」
元気よくほめられ、頭を撫でられた。
翔陽の前だと、なんでもない自分が凄い人物に思えてくる。
たぶん高校生なら誰でも答えられるだろう。
有名な和歌の一つだ。
お花見に来たから、ふとよぎった一首。
こんなにきれいだった桜も、春の長雨を眺めている内に色あせてしまいました。私の身と同じです。
意外と覚えているものだなと自分自身に感心しながら教えると、となりに座る翔陽は腕を組んで唸っていた。
「意味、わかんなかった?」
「わかったけどっ、こう、暗い!」
確かに明るい気持ちを詠ったものではない。
「せっかくこんなにきれいなのにさー、もったいない!」
翔陽がすばやく手を横に動かす。
ナイスキャッチ。
ぱちぱち、と控えめに手を叩いた。
風に合わせて舞い飛んだ花びらのひとつは翔陽の手の中だ。
「これ、もらってもいい?」
「いいよっ」
桜のひと片を指先でつまみ上げた。
興味津々といった翔陽の視線を受けつつ、唇に当てて息を吹いた。
高い音がしたかと思ったのも一瞬、花びらは残念ながらすぐにやぶれた。
「すげっ!」
「花笛ってやったことない?」
「ないっ、おれもやる!」
本当に、翔陽は目がいい。
知ってはいたけど、いくらボールよりは遅いとはいえ、不規則に落ちてくる花びらをなんなく掴んだ。
こんな簡単なものだったかと翔陽を真似て花びらをつかもうとしたけど、すぐまた風に流されて手には何もはいってなかった。
となりで翔陽が悔しそうに声を上げた。
花びらは掴めても、音は出せないらしい。
「、どうやんの?」
「どうって、ちょっと引っ張って優しく吹くの」
「や、優しく……」
そんなに肩に力を入れてやるものでもないんだけどな。
「キスする時みたいに、「あ!」
翔陽のつまんでいた花びらは、あっけなく半分ずつだ。
恨めしそうに見つめられても困る。
わかりやすい例かと思っただけだ。
「練習させて」
風が花びらをかっさらう、かのような、一瞬。
終わりかと思ったら、すぐ絶え間なく次があって、及び腰になればなるほど勢いのまま押し倒されていた。
見上げれば翔陽、その向こうに桜の花、合間に青空がみえる。
また風が吹いた。
きらきらと日差しを浴びて輝く桜の花びら。
まぶしくて、きれい。
翔陽が近づいた。
「」
「待って、……翔陽、もう吹けると思う」
「桜はっ、もういい」
「あきらめないで、ぁ」
翔陽の唇を制した人差し指が、ぺろり、一なめされた。
視線が絡み合う。
「は、なびら、3枚、一度につかめたらいいよ」
咄嗟に思いついたとはいえ、簡単すぎるかな。
翔陽は口端を上げて黙って私を抱き起こした。
「、約束したからなっ」
桜、さくら、白く終わろうとする春に包まれ、翔陽は空をつかみ、得意げに手をひらいた。
約束通りの3枚、また風が吹く。
その内の1枚の花びらが飛んでいった。
「1枚、減ったね」
「あったのに!?」
「いま2枚だよ?」
「……もっかい!」
大げさに手を伸ばす翔陽、なんだか無性にこっちを向いて欲しくなって私の方からつかまえた。
end. & Happy Spring!