『烏野高校で教師をしている武田です。今度バレー部の顧問になるので、烏養監督にお渡しする書類を持ってきました』
バレー部の顧問ってことは、バレー部の先生ってことで。
だから、おじいちゃんに書類を持ってきてくれたってことで。
あ、私、混乱している。
今さら緊張してきた。
烏野バレー部が、急にリアルになったからか。
武田先生に対して、もっと上手く対応できればよかったと思うからか。
こんな格好、しなきゃよかった。
祖父のために身に着けた制服が場違いにみえる。
武田先生は、祖父にわざわざ書類を持ってきたから男子バレー部の顧問の先生だ。
この春からもっと関わる、かもしれない先生。
烏野高校、男子バレー部。
いまの、烏野高校。
「ん?」
武田先生、言ってた。
“烏養監督に、だれか他に指導できそうな人を教えてもらえないかと思って訪ねてきた”って。
それって……、つまり、
烏野高校にバレーの指導できる人がいない、ってこと?
すぐさま、日向くんが浮かぶ。
“烏野を全国に連れてった監督が、今年戻るかもしれない”
飛雄くんの言葉もよみがえる。
おじいちゃんは、本人がどうするつもりかはっきり聞いてないけど、知る限りではもう高校バレーの指導はしない。
武田先生はバレーボールをしたことがない。
と、すると、烏野高校男子バレー部は、今……?
「!」
ヘッドライトがまっすぐ伸びてくる。
向こうから自動車がやってきた。
車は速度をゆるやかに落とし、この家の前で止まった。
祖父が降りてきた。
「、そんなところで何してる」
祖父はいつも通りだった。
よく知る姿そのもの。
なにも返せずにいると、祖父のほうが気づいた。
「その格好」
「こ、これは」
烏野高校の制服だよ。この春から通うんだよ。
たくさんシミュレーションしていた説明は、なぜか喉元で引っかかる。
ウキウキと話せばいいだけなのに、心はなにより祖父が“いつも通り”である証拠を探し続けた。
そんなことしたって、祖父が病院に行った事実は消えないのに。
「どうしたの、それ」
続いて車から降りてきた母親は、私の持つ書類に気づいた。
大きな封筒は、カバンひとつ持たない私の腕では隠せない。
すなおに烏野のバレー部の先生が来たよと答えればよかったのに、
「郵便受けに入ってた」
と学校名が印字された側を自分の方に向けて、書類を抱きしめた。
“ 烏養監督のご病気はやっぱり…… ”
「、入らないのか?」
「は、入る!」
中の書類が曲がってしまう。
そう思っても、まだこの空気を壊したくない。
書類のことは、もっと落ちついた時に少し話題にすればいい。
烏野高校男子バレー部。
私の日常をたやすく変化させる、トクベツなもの。
『だれか他に指導できそうな人を教えてもらえないかと思って』
翌朝も、昨日会った烏野の先生の言葉がいつまでも頭の中をぐるぐるした。
ためしに自分が習っていたバレーの先生に聞いてみたけど、高校生のバレー指導など受けられないとあっさりと断られた。
この先生は今も小学生の指導をしている。
放課後、毎日、男子高校生をコーチするのは難しいというのは、もっともな理由だった。
祖父にも聞いてみようかと思ったけど、昨日の感じからして話題に出しづらい(病院もあるし、母とのことも)
他に自分のつてがあるかと言えば、もうさっぱり浮かばない。
武田先生だって、『もし誰か浮かんだら』教えてほしい、と言っていたんだから、私がこんなに頭を悩ませる必要もないだろう。
でも、だって。
抵抗する自分がいる。
無駄だって理屈はわかってるのに、それでもなんとかしたくなる。
バレーの指導をしてくれる人を見つけたい。
ただ、力になりたかった。
いつだって、たった一人。
ただ、それだけが、唯一の。
「さーーーーーんっ!!!」
何事かと思えば、向こうの方、ずっと、ずっと先、待ち合せたはずの建物近く。
だれかが、とても、飛び跳ねている。
かと思えば、急速に近づいてくる。
自転車、じゃなくて、本人の足で。
ここまで来れば、間違いようがない。
相手もまた、きちんと私であることを認識していて、いつものように口を開いた。
「おはよう、さん!」
「お、おはよう、日向くん……」
図書館の勉強スペースが使える10時前。
朝と呼ぶには早くもないけど、顔を合わせてすぐの勢いの差に面食らう。
けど、日向くんの方は気にする様子はない。
変わらぬ調子で、日向くんは元気よく続けた。
「さん、会いたかった!」
私も、と答える間を挟まず、日向くんは私の手を引いた。
「さん、こっち!」
「えっ、ど、どしたのっ」
「いいから、大丈夫!」
な、にが、だいじょ、ぶ、なのか。
日向くんは強引かつ高速に、けれど、私が転んでしまわぬ程度に力を込めて私の手を引き、飛ぶように走った。
あっという間に図書館の真ん前にワープ、さらに建物のエントランスへと急ぐ。
今日は二人で勉強するため、いつもより遠くの図書館へやってきた。
日向くんも来たことがないと言っていた。
てっきり一緒に勉強スペースを探すのかと思いきや、今日は早めに着いて中に入っていたそうだ。
「日向くん、勉強、やる気満々だね」
入学者向けの宿題をすっかり忘れていたとは思えない。
感心して背中に声をかけると、日向くんはさらりと言ってのけた。
さんに会いたかったから。
「し、宿題をやりたかった訳じゃなくっ!
あっ、あっち!」
日向くんは、宿題というワードをばつの悪そうに口にすると、勢いあまって行きたかった場所を通り過ぎたらしく、キキキ、と急ブレーキをかけたように方向を変えた。
この図書館の勉強スペースはすぐそばに子供向けの絵本コーナーがあり、割とにぎやかである。
いくつかテーブルが並ぶ中、一番奥より手前、ちょうど本棚が不規則に並んだところに、見慣れたペン入れが目についた。
日向くん、ここに座ってたのか。
ん?
日向くんが椅子を引いたかと思うと、日向くんではなく私が座らせられた。
文房具、日向くんのなのにいいのかな。
疑問を口にする間もなかった。
「さん」
日向くんが椅子の背もたれに寄りかかる。
必然、近くなって、私から言葉が出ていかない。
もう慣れたはずなのに、この距離になると、いつだって好きだと自覚したときに戻ってしまう。
日向くんは無邪気に続けた。
「この席さ」
「ひ、日当たりいいね!」
声が裏返った。
日向くんはきょとんと目を丸くした後、優しく指をさした。
「そうっ、だから、ほら」
「え?」
日向くんが示す方。
まばゆい光景。
「さんに見てもらいたかった」
窓の向こう、木々の合間。
ちょうど太陽が差し込んでくる。
ビルもあるから、今の時間帯が一番明るくなるようで、きらきらと枝がまぶしい。
「あっ」
「わかった?」
「……わかった」
日向くんがうれしそうに声を弾ませ、私も周りの邪魔にならないように声を押さえる。
でも、お互い、通じ合っていた。
この光に照らされた枝だけ、花が咲いている。
ここだけ、春がいち早く芽吹いている。
「さんに見せたかったっ」
耳元で小さく囁かれただけなのに、いつもと同じ日向くんのパワーが全身に広がっていった。
next.