とあるIFストーリー
バレンタインデー 3
「あっ! 翔陽、ここ、クリームついてるよ」
「ん?」
「そっちじゃなくて、こっち」
「取れた?」
「まだ」
「これでいい?」
「よくない」
ナプキンを手に取って翔陽の口に当てた。
「これでよしっ」
「サンキュ。 あ、こっちも食べる?」
「え、いいの?」
「いいよ、その代わりさ」
「あ、私のと交換だよね、もちろんいいよ」
「じゃなくてっ」
翔陽が、専用の長いスプーンを使ってパフェひとくちぶんを掬った。
「おれが食べさせるっ」
「!!」
「口開けてっ」
近づくスプーン。
食べたい、ひとくち。
周囲の、目。
いや、誰も私たちのことなんて気にしてない。席の間だって広いし、食べるのに夢中だ。そう思いたい。
翔陽がキラキラと期待した眼差しを向けてくる。
甘える、あまえるんだ。
あのキャラならきっと可愛く食べている。いや、どうだろ、そんなシーンなかったし、むしろ一口をあげる側だった。
もしかして、食い意地はりすぎなんじゃ。
「いらないの?
が食わないなら、おれが食べ、「食べるっ」
えいっ、勢いをつけてスプーンを口にすると確かにまた違うおいしさに出会えた。
「、本当にしあわせそう」
「ン……、しあわせ、こっちもおいしい」
「ちょっと、嫉妬する」
「パフェに?」
ちょっと本気モードで言っている気がして、慌てて私の分のパフェを翔陽におすそ分けした。
ときどき、翔陽は変なところを気にする。
それでもパフェひと口分で機嫌を直す辺り、私たちって案外似てるところもあるみたいだ。
「翔陽、本当にほんとにありがとう! すっごくいいバレンタインだった!」
おなかも心も満たされるとはこのことだ。
ヘンゼルとグレーテルじゃないけど、幸福の青い鳥っていうのは、こういうところにひょっこり現れるのかもしれない。
「、今日もう終わったみたいな感じだ」
「あれ、違う?」
「おれのバレンタインはまだ終わってない」
「どういうこと?」
「の1日はまだある」
言われてみて時計を確認すれば、まだお昼すぎだ。
1日いっしょにいよう、という話だったから、まだたくさんいられる。
「もしかして、ごはん食べたい?」
「さっきまで一緒に食べてたよ」
「だよ、ねぇ」
いくらスポーツをして代謝がいいとはいえ、そんな瞬間的におなかは空かないはずだ。
「おれの甘やかし作戦は続いている!」
「そんな作戦あったの!?」
「なんでもいいよ、言って!」
「えーーー……と」
いきなり言われてもな。
「さっきパフェもらったし、十分甘えさせてもらったと思うんだけど、じゃなくって!」
遠慮してみると、翔陽がどこか切なげな表情になるから、なんにもありません、とは言えない。
な、なにか、何かいいのないか。
ちょうど小さな女の子がお父さんに抱っこをねだるのが聞こえた。
「あ、あの、ここで……」
キスして、はハードルが高かった。
ぎゅーっとして、も厳しい。
「ツーショット、撮りたいな……」
苦し紛れの思い付きでお店の前でも写真を撮ったのは、後になって振り返れば悪くないものだった。
「他に何かあるっ?」
「えーーっと、この辺をいっしょに歩きたい」
「いいよ、歩こうっ」
差し出される手、自分のをそっと重ねるとぎゅってされる。
もう、それだけで十分だった。
ただ二人で並んで歩く。
そんなことすら大人になると機会が減っていくことを、今このときを過ごして改めて思い知る。
「ねえ、翔陽」
「なに?」
途中、寄り道をしつつも外をずっと歩いていると寒くなってきて、いつかのように缶のココアで暖をとっている時だった。
「いっぱい大事にしてくれてありがとう」
いいよって言われそうだったから、すぐに続けた。
「翔陽、なんにもしてくれなくていい。
あ、してくれるのが嫌ってわけじゃなくてね!?」
今日だけでいろんなことをしてもらった。
「全部、うれしかったんだけど、本当にさ、してほしいこと、もう何にも思いつかなくて」
どうしてか、よくわかった。
「わたし、翔陽がこうやってそばにいてくれるなら、こういう公園でも、なんでも、ココア飲むだけで楽しい。それだけで十分なの」
甘えるというのは、相手を求めることだ。
私は、翔陽を求めている。
そばにいられることを、
笑い合っていれることを、
触れ合っていいということを許されているだけで満足だ。
「だから、この後はいつも通りでいい?」
「……」
「あとね、もういっこあげたいものがあって、これ!」
大事にしまっていたそれは、小さなキーホルダーをつけていた。
翔陽が目を丸くした。
「、これ」
「そ、合い鍵」
この間、いきなり翔陽が予告もなく部屋に訪ねてきて、寒い外でずいぶん待たせてしまったことがある。
タイミングが悪かっただけではあるけど、その時に用意しようと決意した。
「これあったらいつでも部屋に」
ココアを、零してしまいそうになって、びっくりした。
「翔陽……?」
「おれ」
いきなり抱きしめられたから、嫌われた訳じゃないことはわかった。
「あ、鍵……、重かった? 別に受け取らなくても全然」
「違う」
もう一度、翔陽は繰り返した。
ちがう。
ココアがゆっくりとぬるくなっていく。
飲んだ方がいいけど、いつまでもこのままだった。違う、もっと隙間なくくっついていた。
「翔陽?」
「とちがって、おれは満足してない」
もっと、もっと欲しくなる。
「なんで、鍵……そんなんもらったら、夜、行くよ」
「だめ、なの? 夜」
「昼でも、よくない、たぶん。
、もっと、ちゃんとわかってくれないと、きっと後悔する」
「しないよ」
「ここでキスしたい」
いい?
翔陽とおでこが触れる。前髪同士がくっつきあって絡まりそうだ。
聞くより唇を合わせる方がずっと答えが早そうだ。
それでも翔陽はわたしの返事を待っていた。
「前も、あったよな。
公園行って、クリスマスツリー見せたくて、でも寒くて、がココア買ってくれた」
私もさっき、その時のことを思い出していた。
翔陽にあげようとして、二人で飲もうって半分ずつ飲んで。
「あのとき、缶でだけどキスだって焦ってさ。
嫌がんないから、ほんとうにしようかなって思った。
しなかったけど!
……言いたいのは」
もう、キスはすぐそこだった。
「がいいって言うと、ぜんぶ欲しくなる。
がここまでだって思ってるよりずっと、
おれは、をもらおうとする」
「……いいよ、もらって。
いいって、言ってる。
翔陽、わかってない。
なんで、今日このかっこにしたか……そりゃ似合ってないとは思うけど」
私はあのキャラクターじゃない。
自覚があってもこの服を選んだ、その意味は、紛れもないただ一つ。
「こんな特別な日に、翔陽といられるんだよ?
少しでも気に入ってもらえるようにって……
翔陽がもらってくんないなら、他の誰かに」
もらわれちゃう かもしれない
宛てなんてないのに、可愛げなく当てつけてみる。ずるい部分が顔を出す。
結果的に息が止まるほど口付けられたのだから、恋人の日と言う意味では最適解であったかもしれない。
息苦しくはあった。
「しょ、よぅ……」
「もっかいする。 していい?」
「待って」
「」
「……私のこと、好きな分だけして。だから、ここだと、ね?」
「……、……わかった」
「ふ、二人がいい。ふたりじゃないと、だって」
「そうだよな……、おれも、同じだ」
余裕なく歩き出す。
慣れないふわふわとしたスカートが行かないほうがいいと足にまとわりつく。
それでも足を動かす。意思を持って。
「おれも、の鍵作ろうかな」
「いいよ、それは」
「なんで?」
「翔陽の部屋、誰か遊びに来そうだから。ばったり会ったら気まずいし」
そっか、と少し残念そうに翔陽がつぶやいてから続けた。
「それはそれでいいのに、がおれの部屋にいるの」
「だれかが翔陽の部屋だと思って遊びに来て、私が出たらややっこしくなると思うけど」
「そんときは、がおれのってわかってもらえる」
まだ、わかってほしいのか。
もう十分必要な範囲には知られていると思うんだ。
そう丁寧に説明してみても、翔陽は空を仰ぎながら言った。
「ゴールするまでは油断しちゃいけないって言われた」
「今度は誰に? なっちゃん?」
「夏目ではないっ」
「だれ?教えて」
「ひみつ」
誰の入れ知恵だろう、ちょっと笑ってしまった。
かるい意地悪には、同じように可愛げをもって応えることにした。
「ゴールしたって油断できないんじゃない?」
「そう……言われたらそーだ」
「翔陽が心変わりするかもしれないし」
「それはない!」
「だったらさ、油断して大丈夫だよ。
この先ずっと、ずーっと」
物語のヒロインになったつもりで素敵なエンディングのように口にしたけど、翔陽の方は腑に落ちない様子だった。
「おれは、これからもずっと油断できない」
「え、なんで?」
「、自覚ないから……、おれじゃなかったら、とっくに……」
「とっくに、なに?」
「あとで、教える」
ぎゅっと、手をつないでもらえている限り、私も離さないから大丈夫だよ。
それも、あとで教えてあげよう。
私たちの今日はまだ続く。
end. and happy Valentine's day!!