スロウ・エール 240 おまけ
- 行き先 -
“クリスタルの世界”
大きな看板が飾られた展示スペースは、夕方とあって人の姿も消えていた。
もうすぐ最終入場時間になる。
受付の女性も、配っていたチラシをまとめて片づけに入っていた。
静かなBGMが流れる展示スペースに似つかわしくない足音が響いた。
「スッ、スイマセン!!」
手を止めて彼女が顔を上げると、中学生の男の子が息を切らして立っていた。
彼女の記憶にも残っている。
さきほど同じ年頃の女の子と二人でこの展示会を見学していた。
彼女自身が二人に展示を勧めたからよく覚えていた。
今は、その時の女の子はいないようだった。
係の女性は尋ねた。
「どうかしましたか?」
「あのっ、まだ、中、はいってもいいですか?」
「もちろんです、どうぞ」
閉館時間までなら、ご自由にご覧ください。
彼女は職務を全うすべく、用意されたセリフを中学生相手でも大人と同じく述べた。
少年はほっとした様子で礼を述べ、中に進んだ。
さて、片付けに戻ろう。
女性が所定の場所にチラシを片付け終えると、中へと入った彼が戻ってきた。
「あ、あの、聞いていいですか!」
「何か?」
「中って、写真、いい……んですよね?」
「はい」
「携帯でも、ですか? ちゃんとしたカメラ、持ってなくて」
少年の手には携帯電話。
ストラップに目がついたのは、彼女自身、同じおまけのつくお茶を飲んだからだった。
そんなことを相手に気づかせず、彼女は笑みを浮かべて答えた。
「はい、携帯電話でも撮影いただけます」
「よかった、ありがとうございます!」
「あっ」
係の女性の漏らした一言に、少年は足を止めた。
「3番目の、照明の落としてある、そうですね」
彼女はチラシを手に取り、この男の子にも見えるように裏面に変えた。
「いま、入り口がここですが、この部屋だけは撮影禁止です」
ネックレスが目玉となっている部屋は、一部特殊なライティングのため、撮影全般を禁止していた。
トラブル防止のルールだった。
ふと、係の女性は気づいた。
「お撮りになりたかった展示、この部屋にありましたか?」
「!は、ハイ……」
少年のわかりやすい表情の変化に、彼女は、スタッフ用の展示物一覧を取り出した。
どれかを確認すると、まさにメインの展示物であるネックレスを撮影したかったらしい。
それならば。
「へっ?」
目をぱちくりさせる彼に、係の女性は一枚の紙を差し出した。
ポストカード。
その絵柄は、まさにあのネックレスだった。
「先着順の特典ですが、これは見本用で」
女性が指さした箇所には小さく見本のテキストシールが貼られていた。
「これでもよければどうぞ」
「いいんですか!」
「状態のいいものでなくて申し訳ないですが、写真の代わりになれば」
「なります! ありがとうございます!
よかったっ、さんと帰るの諦めて来たかいあったっ」
そこまで喜ばれるなんて。
つい、女性は口を挟んだ。
どうしてあのネックレスの写真が欲しかったのか。
職務とは一切関係のないことは自覚していたけれど、あまりに喜ぶ姿に聞かずにいられなかった。
失礼ながら、この少年があのネックレスに興味を持つように思えなかった。
無理に聞き出すつもりはなかったが、少年はまた顔を綻ばせてポストカードを握りしめた。
「さんが、これ、気に入ってて!!
あっ、さんっていうのは、さっき一緒に来た子のことで」
あの子のことかと、彼女は頷いた。
少年は続けた。
「今日色んなやつ見たとき、たぶん一番っ、これの前で、パって、こう、ふわっ!!って感じがして、さん、すきなんだろうなって!
おれっ、さんがどんなのすきか、もっと知りたいから……こういうのよくわかんないけど、一個ずつ知ってったら、いつか」
特別なプレゼントするときも、きっと。
「さんが一番喜ぶやつプレゼントできるから……、写真、ほしかったです!」
力強いありがとうございますを受け取って、係の女性の方が目をぱちくりさせた。
そのあと、片付けたはずの中から一枚取り出した。
「これもどうぞ」
「?」
「4月にまた展示をやるので、よかったら」
係の女性は、少年を微笑ましく見守って告げた。
「その、彼女さんとお越しください」
彼が元気よく頷いてチラシを受け取った。
カバンに入れようとするも上手くいかないようで、見かねた彼女が、受付テーブルを使うように申し出た。
「あ!!」
今度は何かと思ったけど、少年は携帯電話で誰かにメールを打っていた。
もしかしたら彼女あてだったのかもしれない。
画面に向かう彼の表情がいっそう輝いていた。
「さんと! いや、彼女と来ます!!」
去り際の彼もまた、満面の笑みだった。
end.