メビウス・ループ
いつ眠りについたかは自分ではわからない。
起きた時に初めて自分が眠っていたことを知る。
人生の終わりも、まさにそうだと思う。
今生きて、そう実感した。
*
「!」
日向君に抱きしめられた。それも力強く。
なにが起きたかは一瞬わからなかった。
「あ、の」
普通は、このシチュエーションにもっとドキドキするものだ。
でも、とても冷静だった。
だって、私は、さっき、
トラックにはねられたはずだ。
*
3月31日、中学3年生の春休みの真っ最中、日向君と私は、夏休みに観た映画の続編を観に来た。
今日は15時45分の映画で、お昼の正午に待ち合せていた。
テレビのディスプレイがちょうど見える待ち合わせ場所、お昼のニュースがちょうど始まる12時、女性アナウンサーが『3月31日、お昼のニュースです』と話し出す。
同時にテレビを見ていた私を背後から日向君が目隠しするんだ。
今の私はその展開がなぜかわかっていたから、テレビを背にしていた。
耳だけでテレビを見る。
『3月31日、お昼のニュースです』
向かいから日向君がやってくる。それも、張り詰めた表情で。
目隠しはできないだろうと思っていたけど、まさか抱きしめられるとは思わなかった。
言葉が出ずにいると、日向君が肩を震わせた。
何かをこらえるように、けど、耐えきれないようにすすり泣いていた。
日向君は知っているんだと思った。
今この状況の不思議さに、これから私の身に起きることに。
「よかった」
日向君の声もまた涙でにじんでいた。
「さん……、会いたかった」
聞きたいことはあったけど、日向君が鼻をすするから落ちつくまで待とうと思った。
私が事故にあうまで、あと3時間。
*
日向君が冷静さを取り戻すまでずいぶん長い時間がたったように思えたけど、実際は30分くらいだった。
身体を離した時、かいまみえた日向君は目も鼻も赤かったけど、顔を合わせると笑ってくれた。
ひとまずご飯を食べよう。そう言って、前と同じファーストフード店に入って、前と違う新メニューを頼んで、たまたま空く予定だった奥のテーブル席に座った。
それも知っていた。
日向君と私以外、みんな“さっき”と同じ流れに乗っていた。
「食べよう、さん」
「うん」
本当はすぐにこの状況について話してみたかったけど、日向君がまるでデートの続きみたくいうから、つられて同じように振舞った。
本当は2回目なのに。
日向君はさっきはポテトから食べたけど、今度はハンバーガーから食べた。店内のざわめきは変わらなかった。
「あのさ、日向君」
「これ、うまいよ」
「いや……、うん」
差し出された新テイストのソースをつけてナゲットを分けてもらう。これは、さっきと同じ、だったかな。
「次はさ、どこ行く?」
まるで、本当にデートするみたく日向君が言うからこらえきれなかった。
「日向君、……なにか、したの?」
日向君は一瞬動きを止めてから、笑顔で顔を横に振った。
「なにが?」
「なにがじゃなくて」
「なんにもしてないよ」
「ほんとうに、ほんと?」
日向君は目を合わせてくれない。
日向君が椅子に背を付けた。
「やっぱりさ、ここでゆっくりしよっか」
「日向君」
「映画まで時間あるし」
「だ、だったらさ、公園に、!」
公園、その言葉を出した瞬間、日向君が私の手首をつかんだ。強く。阻止するように。
そこで確信した。
日向君はやっぱり知ってる。
ばつの悪そうに日向君が顔を背けて呟いた。
「こ、公園は……危ない、から」
「知ってるんだよね、全部」
私達が公園に行ってからの事。
ボールが転がって、小さな子が追いかけて。
日向君が一緒に飛び出して。トラックが来てて。
私が二人を突き飛ばした。
「さん、ごめん」
私の手首に日向君のもう一方の手が重ねられた。
「おれが、飛び出したから」
「日向君は悪くないよ」
「でも、おれがそんなことしなかったらさんは」
「関係ないって」
「あるよ、ある」
「ないって。そんな、顔しないで。ね?」
日向君が俯いて、テーブルが雫で濡れる。
私がティッシュを自由な片方の手で引っ張り出して日向君の方にあてると、また強く手を握られた。
だから、今度は優しく日向君の髪を撫でた。15時まで、あと1時間30分。
*
それは、ものすごい衝撃だった。痛みという痛みが全身を貫いたかと思えば、そのまま意識を手放したから、つまり……そういうことだろう。
中学3年の女子生徒が3月31日15時にトラック事故にあった。
それが自分だ。
「ねえ、なんで……私、ここにいるんだろう」
まさか、幽霊にでもなったんだろうか。でも、ふつうにお店でハンバーガーは買えたし、日向君と話せている。
映画やドラマみたいだ。もう終わったはずの自分が事故の直前に舞い戻っているなんて。ありえない。
まして、もう一度こんな風に3月31日の正午から今を過ごしているなんて。
きっと何か原因があるはずで、日向君に心当たりはないか質問しても、日向君はなかなか話してくれなかった。
でも、日向君も私が事故にあっていることを知っているなら、この不思議な現象の当事者だ。
日向君が原因じゃないなら一緒に今のこの状況を調べよう。そう力説すると、日向君が隠していた事実を教えてくれた。
「あの神社さ、覚えてる?」
「神社って、あの、3年以内に願いをかなえてくれるっていう?」
「そう、それ」
甘いもの好きの神様がいる、小さなちいさな神社。
日向君が連れていってくれたし、あの北一の試合の後にも行ったからよく覚えていた。
「そこに、日向君、なにかお願いしたってこと?」
日向君が黙ってうなずいた。
「なんて、お願いしたの?」
しばらく間があって、日向君が泣きはらした瞳で私を見つめた。
「さんに、もう一度会いたい」
日向君が絶対に離すまいという意思を持って私の手を握りしめた。
それを、あの神社がかなえてくれた、ということか。
正直、ちょっと怖くもあった。
いや、死ぬより怖いことなんてないけれど、いざ自分の身に起こってみるとぞわっとする。
でも、日向君が言うにはすぐ叶えてくれた訳じゃないらしい。
「さん、驚くかもしれないけどさ」
「うん」
この状況以上にびっくりすることなんてあるんだろうか。
「おれ、高3になったんだ」
「え!」
「さんからしたら、今はほんのちょっと前のことだと思うんだけど、おれからしたら……3年ぶりの、今で。だから、すごく……、ごめん」
もう一回、抱きしめさせて。
日向君の声が弱弱しく聞こえて、その隣の席に移動した。
あと、1時間。
*
高校3年と言われてもピンとこないのは致し方ない。
今ここにいる日向君は、本当に私の記憶のままの日向君で、時の流れを感じさせないから。
「おれ、高校で身長伸びたから!」
「あ、そうなんだ」
さすがに成長期だし、高校でグンと伸びてもおかしくない。どれくらい伸びたかは聞かなかった。
「あとさ、春高にも出たんだ」
「春高に!?あの春高?」
「そうっ、あの春高」
日向君が得意げに笑う。
そこから、うれしそうに高校でのバレー部のことを話してくれた。
北川第一にいた影山君が同じ烏野にいたこと(それは知ってたけど)、月島っていう性格の悪い同級生がいて、山口っていうすごいピンサーが打てる人がいて、2年の先輩たち、その上にいた3年の先輩たち、そのあと入ってきた後輩たち、マネージャーのことも、全部話してくれた。
今の私には知りえない未来の日向君、それはすごく楽しそうで、眩しい世界だ。
「それは、よかったね」
本心ではある。同時に、かなしくもある。
時計を見ると、秒針も長針も進んでいく。
日向君が私の目線の動きに気づいて肩を強く引き寄せた。
「大丈夫。これから、一緒に過ごせばいいから」
あと30分で、事故にあう15時になる。
日向君の言う“大丈夫”が何の意味を持つかわからなかった。行かなくちゃ。
「さん」
「ち、ちょっとトイレに」
「おれも行く」
「いや、一個しかないし」
「前で待ってる」
「それは……」
時計の針が動いていく。心の奥底がざわめく。
「日向君」
「もうちょっと待って」
「でも」
「さん、公園、行かないよね?」
今度は日向君の視線から逃げる番だった。行かないと。そう思うのに、このぬくもりが恋しい。
「行かせないから。15時過ぎるまでは」
日向君が頑なに離してくれなくて、そのまま15時を迎えることになった。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
目が覚めると、またテレビのディスプレイの前にいた。
あの女性アナウンサーの声が目覚まし代わりだ。
また耳だけでテレビを見る。
向こうから日向君が走ってくる。
今度は感動の再会じゃないから抱きしめられることはないかと思ったのに。
「さん……」
やっぱり切羽詰まった声だから、私はすぐに気持ちを切り替えられなかった。
また、事故にあう15時まで3時間ある。
「あのさ」
また同じファーストフード店に入った。
悪い夢でも見ているようだ。
「夢でもいいよ」
日向君が言い捨てる。
「よ、よくないよ」
「なんで?」
「だって」
日向君は高校3年生で、とっくに中学3年を終えて未来にいる。
本当だったらこのまま卒業して未来に進むはずだ。
なのに、今、私とここにいる。しかも進めない時の中にいる。3月31日の正午から15時の間に閉じ込められている。
それを知っているのは日向君と私だけだ。
「おれはそれでもいいよ」
「日向君」
「ここには、さんがいる」
決して折れない強さが滲んだ。
「さんは、おれが、どんな3年を過ごしたか知らないから」
日向君がポテトをつかむ指が宙でとまった。
それは、正論だった。
私は3月31日までの私だし、そこから先を知らないし、知りようがない。
その一方で、今ここにいる日向君は今日から3年の月日を経験している。そこに、私はいなかった。
急に怖くなる。いま、ここにいる私は、本当はもういないって事実に。
「さん?」
「ご、ごめん。そうだよね、今の日向君の事何にも知らないで」
「傷つけた!? あ、謝る。ごめん。どこも行かないで、ごめんっ」
日向君が手をぎゅっと握ってくれる。
嬉しいはずなのに、苦しい。
日向君が必死に言葉を紡いでくれる。気持ちを伝えてくれる。なのに、それに応えられない。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
ゲームのふりだしに戻ったように、15時になると必ずまたテレビのディスプレイの前にいた。
まるで昔見た世にも奇妙なストーリーみたいだ。
こういうのって最後はどうなるんだろう。二人とも、どうにかなっちゃうのかな。誰にも知られず、訳の分からない世界に閉じ込められて。
「さん!」
ぼんやりとテレビのディスプレイを眺めていた私の背後から日向君が飛びついてきた。
顔を覗き込まれる。
「驚いたっ!?」
それは空元気のようにも思えて、本当に私の知っている日向君のようにも思えて、このまま時が進んでくれるんだと思い込みそうになった。
「さん?」
私は、なんで事故にあっちゃったんだろう。
*
「ありがとうございましたー」
聞きなれたファーストフード店の店員さんとのやり取りを終えて、また同じメニューをもって同じ席に着く。
決まり切った流れだった。
この不思議なループで分かったことがある。
私が例えば違うメニューを頼んでみようが、他の席に座ってみようが、いっそのこと違うお店に入ってみようが、15時になると必ずまた同じ12時に時が巻き戻ってしまうということ。
それは何をしていても同じだった。
なんとか時を進めたいけど、その条件が分からない。
いっそのこと事故の起こる公園に行ってみたかったけど、日向君が許してくれなかった。
「それだけはダメ、絶対」
「どうして?」
「おれは、また、あんなの見たくない」
きっと、事故の瞬間を目撃したんだろう。確かにそう見たいものではないのはわかる。
「さんは、そんなにいやなの?」
「なにが?」
「おれといるの」
「まさか!」
そんなことある訳なかった。
私が事故にあった以降のことはまったく記憶にないけれど(そりゃそうなんだけど)、日向君といられるこの時間が幸せなのに変わりない。
それが例え今日の正午から15時の3時間だけだったとしても、同じデートコースだとしてもなんだっていいのは変わりない。
そう告げると日向君も安心したように笑みをこぼした。
「日向君さ」
「なに?」
「誰か、好きにならなかったの?」
怖くて聞いてはなかったけど、気になっていたことでもある。
私のいない3年間、高校生活の中で、誰かに心を揺り動かさなかったのか。
まして春高にも出るくらいバレー部で活躍したんなら、誰かから告白されたっておかしくない。
日向君がテーブルに身を乗り出した。
「気になる?」
「そりゃ、まあ」
「よかった!」
「よかったって……」
「さん、あんまりそういうのみせてくんなかったから」
「そういうって」
「ヤキモチやいてくれたってことだよね?」
瞳を輝かせて聞かれると、返事の代わりに口をストローで塞いだ。
「おれ、うれしいよ」
本当に心を込めて日向君は言っているようだった。
「3年間、ずっとさんのことだけ想ってたから」
それを聞くと、うれしくもあったし、申し訳ない気もした。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
テレビのディスプレイの前にいることが日課になりつつあった。
日向君がまたここに駆けつけてくれる。
こんなループを繰り返しながら、楽しんでもいたし、心のどこかでなんとかしなきゃとずっと思っていた。
私達にあるのは3時間だけ、でもそのループを重ねればたくさんの時間があることにもなる。
その時間で日向君が高校でどれだけバレーを楽しめたか知ることが出来た。
本当なら知りえない日向君の未来、それを共有できる幸せを思い切り感じようと私も、きっと日向君も、そう努めて3時間を過ごした。
また女性アナウンサーの声が聞こえる。
もしかしたら、次の瞬間、止まった時間が動き出すんじゃないかと思うのに、そうは必ずならなかった。
日向君はそれでもいいって言ってくれたけど、私はやっぱりよくないと思っていた。
ここじゃ、日向君はバレーはできない。
日向君はバレーをしなくちゃ。その場所に連れてってあげなくちゃ。私の中の使命のような、信念のような灯だった。
「さん?」
「な、なに?」
「もし3時間だけならさ、どっか行ってみない?」
「え」
「どうせ15時過ぎたらまた戻るならさ、そこまでにできること、なんでもやってみようよ」
日向君に言われて初めて、別に同じデートコースを過ごす必要もないことに気づいた。
言ってしまえば、この映画館のある街を電車でもバスでも移動してしまえばいい。
同時に一つのことが浮かんだ。
「あ、あのさあ」
私の思い付きに日向君はどんな反応をするんだろう。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
また何度目かのテレビのディスプレイ前、でもいつもと違うのはこのまま駆け出して電車に飛び乗ることだった。
日向君にも話してあるから、駅の改札で待ち合せる。
「さん!」
「あ、よかった。ちゃんと会えた」
顔を合わせて笑みを浮かべる。
ここで離れたくはなかった。電車が来る。
「これでいいんだっけ?」
日向君がきょろきょろと電車を確認するから、『急行』の文字を確認して飛び乗った。
これに乗って、そこからバスに乗る。
電車の中は急行の割には人が乗っていなかった。二人で並んで座った。
「すげー晴れてる」
「だね。いい天気」
このまま遠くに行けたらいいのに、私たちの行く先は決まっていた。
時計を見る。
日向君が横から同じく文字盤を眺めた。
「間に合う?」
「ギリギリ、かな。最後の歩きを頑張んないと」
記憶をたどってみると結構な坂道で、それを電車から降りてダッシュしないと15時になる前にたどり着かない。
一息ついて膝の上に手を付いた。日向君が不思議そうに私を見た。
「緊張してる?」
「そ、そりゃあ。間に合わなかったらって思うと」
「またあそこで待ち合せるだけだよ」
「そうだけど……」
「おれはそれでもいいと思ってる」
なんでそんなこと言うの、そんな顔をして日向君を見つめてしまったけど、当の日向君の方は気にしてなさそうだった。
のん気に私の手を握る。
「さんがいてくれるならどっちでもいいんだ」
いわゆる恋人繋ぎ、というやつだろうか。
五本の指が絡むのが妙に恥ずかしい。電車内の誰もが私達を見ていないのに。
「……日向くんさ」
「ん?」
「なんか、こういうの照れなくなった?」
「なんで? 照れる?」
「そりゃ、人前だし」
「可愛い!」
「!」
頭を撫でられ思わず抗議するようににらむと、日向君はむしろ嬉しそうに笑ったから訳が分からない。
電車はまだ到着まで時間がかかる。
「さんとこんな風にいられんの、すげー夢みたいだから、さ。はしゃいでごめん。
すごく、すきだよ」
まっすぐに、気持ちを向けられると、ますます心が乱される。
「そういうの、言わなくていいよ」
「嫌だ?」
「そうじゃないけど……」
だって、これからあの神社に行くから。
神社に行って、3月31日の15時以降の時が進むようにお願いをするから。
元に戻してってお願いをするから、もし本当に元の世界に戻ってしまうとしたら、私は、ここにいる日向君はいなくなっちゃうかもしれないんだ……
「すきだよ。すごく、さんがすきだ」
「だ、だからさ」
「言わせてよ。ずっと言いたかった、から。聞いてほしかった。3年、長かったよ。ほんと、今こうしてられるの、奇跡だって思ってる」
いつもの駅にたどり着くまで、たぶん普通に3年を過ごしていても聞かないくらい愛の告白を受け取ることになった。
*
「はああ……」
お昼のニュースがまた始まる。女性アナウンサーが告げるのは3月31日の正午のニュース。
結論から言えば、このループは終わらなかった。
あの神社にたどり着いたけど、元の時間に戻してほしいと願っても、今この結果だ。
そもそも日向君の願いだって3年かけて叶ったもの、そうやすやすと叶えてくれないか。
まさか……3年かけないと叶えてくれないんだろうか。このループの中で3年、勘弁してほしい。
「さん!」
日向君はにこにこしてやってくるから、つい恨めしくにらんでしまった。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃなくて」
「あー、うん、またここだもんな」
わかっているようで日向君はわかっていない。
「さんといれるなら、ここでもいいよ」
そう言って日向君は私の手を握って同じファーストフード店に導いてくれた。
*
その後、何度も神社のお参りはチャレンジしたけど、効果はなかった。
毎度毎度同じニュースを聞かされてくると、さすがに坂道ダッシュをする気にもならなくなってくる。
日向君と過ごす3時間はそれはそれで、やっぱり楽しいものでもあった。
「さん、こういうのは?」
「どれ?」
いっそ割り切ってこの映画館の入ったビルのガイドブックをもらって、他に何を楽しめそうか相談も始めた。
いろいろあった。ゲームセンターもあれば、1フロアーを使ったテーマパークもある。
「……あれ」
「行きたいのあった?」
「あ、いや」
エレベーター、エスカレーターのほかに、階段がある。
今いる階からあのテレビのディスプレイがあるところまではいつもエスカレーターを使っていたけど、この階段を使えば公園に繋がる入り口に近い。
「こ、……この、アイス屋さん、今度行ってみない?」
日向君に違う話題を振って気づかせないようにして、心は次のループを考えていた。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
これはスタートの合図だった。テレビのディスプレイ前、日向君が来る前に全力で走る。
建物に入ってすぐのエスカレーターじゃなく、ずっと横に行ったところにある階段を下りていく。
必死だった。
思い切り駆け出して、私のすべてをかけて、なんとしてもたどり着かないと。
公園に繋がる入り口はスーパーのわきだから、主婦や子供たちがたくさんいて、かろうじてすり抜けられた。
あの事故にあう子はいるんだろうか。
そう思ったけど、よく考えればまだお昼の12時で、あの子がボールを持って遊んだあの瞬間は15時ならまだいない可能性が高い。
「さん!!」
肩をつかまれた瞬間、すごく怖かったけど、やっぱりそれは日向君で、次の瞬間泣きそうになってたから、すごく悪いことをした気分になった。
お互いに肩で息をしていた。
日向君は私の肩をつかんだまま、深くため息をついていた。
「なんで……、おれが、嫌い?」
「ち、ちがうよ」
「だったら、なんでここにいんの?」
「だって」
「待ち合わせ、ここじゃないよ」
それは、痛いくらいに知っていた。
「おれを、置いてかないで……」
あらゆる注目を集めても、私は日向君を受けとめるしか選択肢はなかった。
ママー、あの人泣いてるよー
小さな子は正直だ。
そうだね、泣いてるね。すごく、大事に想ってもらえてるんだね。すごく、しあわせだよ、わたし。
だからこそ、この人を、未来に連れてってあげなくちゃ。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
テレビのディスプレイ前、今度は落ちついた気持ちで日向君を待っていた。
日向君は走ってきたけど、私がいることに半信半疑な様子だった。
「……」
「……」
お互いにさっきの出来事がよぎっていて、すぐに切り出せなかった。
いや、日向君の方が私がまたどこかに消えてしまうんじゃないかと心配しているようだった。
今度は私の方が手を取った。
「行こう、日向君」
「う、ん」
手を繋ぐ。はなれないように、五本の指を、きちんと絡めて。
いらっしゃいませー、同じリズム、同じ流れに乗ってファーストフード店で商品を買う。
知っている席、知っている味、知っている時の流れ、人は同じことを繰り返すとどうして時間が短く感じられるんだろう。
同じ時間でも全然違う。
「さんは、こういうおれ、嫌になった?」
日向君がポテトを半分も食べずに切り出した。
「嫌になんか」
「め、女々しいよな。自分でもそう思う。3年経ったんだし、3年ずっと、さんのこと忘れらんなくて」
周りにも言われた。もう前を向いたらって。
楽しいこともいっぱいあったよ。大変なこともあったし。でも、でも。
「さんとお別れしたことが、一番……だったから、なんでもなかった」
言われるより先に私は席を移っていた。
「泣かないで、日向君」
抱きしめていた。
誰かに見られるのは恥ずかしいけど、かまわなかった。
肩越しに日向君の吐息が触れた。
「……おれのこと、嫌いになった?」
「ならないよ。絶対」
「この3年どんなだったか知らないから、さんは」
「知ってても、絶対に嫌わないよ」
「ほんとう?」
「うん、絶対」
「3年ってけっこう変わるよ」
そう日向君は言うけど、今の姿だけじゃない、3年経った日向君から感じられる気持ちは私の好きな日向君そのままだ。
「かけてもいいよ」
日向君の手が背中に回った。
「ねえ、日向君、お願いがあるの」
どうなるかわからない、残酷な賭けだ。
*
『3月31日、お昼のニュースです』
またテレビのディスプレイ前にいた。
日向君が駆けだしてくるそこを見つめて、手を振った。
本当のデートのように日向君を待っていて、日向君がかけがえのないものを見つけたように自惚れでも嬉しそうに微笑んでくれるのを受けとめた。
同じファーストフード店で笑いあって話す。
その次は、公園だ。
時間があるからと私たちは公園に向かった。それが14時過ぎくらい。
公園は程々の賑わいで、私たちは子供がボール遊びしているのをベンチで眺めていた。今も、あの時と同じように腰かけている。
「ありがとう」
お礼を言うと日向君が首を横に振った。
「なんにもしてないよ」
「これからしてくれるから。お願い聞いてくれてありがと」
日向君が瞳を潤ませるから手を握ろうとしたけどそれは空振りして、肩を引き寄せられた。
それがうれしくて身をよせた。
あと20分くらいこうしてベンチにいられる。
この後の展開はこうだ。
足元にボールが転がってくる。その子が日向君に遊ぼうと声をかけてくる。
日向君はいいよって答えて、私も一緒に遊ぶことになる。
そのあと、思いっきりこの子がボールを蹴って、ボールを追いかける。
あとは、知っての通り、だ。
「さん、すごいよな」
「なんで?」
「怖くないの? また……、……痛いと思うし」
答えはイエスでもあり、ノーでもある。
私の日向君へのお願いは、こうだ。
『もう一度、事故を再現してみない?
もしかしたら、それで止まった時間が動き出すかもしれない。
そしたら日向君はきっと高校3年まで時間を過ごせるんじゃないかな。
それで、もしよかったら、“私にもう一度会いたい”じゃなくて、“一緒に生きたい”って神社でお願いしてみて』
それは賭けだった。
あの小さな神社に不思議な力があるなら、きっと時を戻せる気がする。
こういうのって、事実は変えられないから、同じ出来事にトリガーに元に戻るだろうし。
そして、本当にスタートから戻るなら、日向君に一緒に生きたいって願ってもらえたら同じ3年以内に叶えてくれる、かもしれない。
叶わなかったら、それまでだ。
もし事故にあっても今この時に戻るなら、また考えればいい。
今の私は、どうあっても“ここ”にしかいられないんだから。
「あの、ね。日向君、ありがとう。3年も、私のこと忘れないでくれて」
日向君の腕に力がこもる。
「もし辛かったら忘れていいからね」
「……怒るよ」
「ごめん」
「さんは、このままじゃダメなの? おれは、さんがいてくれるならそれで……」
日向君の言葉を人差し指で遮った。
その気持ちは嬉しくもあって、これから起こそうとしている決心を揺るがせそうだった。
「日向君と一緒にいられるのはうれしいけど、さ。
……ここじゃ、バレーしてる日向君、みれないから」
ひとりじゃ、私とじゃ、バレーはできない。
そう伝えると日向君が頬を少しだけ濡らして笑ってみせた。
私達の足元に一つのボールが転がってくる。
あとは、すべて、流れに乗るだけだ。
*
…… 3月31日、夕方のニュースです。
本日、ショッピングモール脇の公園で中学3年の女子生徒がトラック事故に巻き込まれ ……
*
「あ、れ? 日向君、ひなたくん」
「うえ!?」
「映画、もう終わっちゃってるよ。私達しか残ってないし」
「そ、そんなに寝てた?」
「うん……、私も、こんなに寝ちゃうことなくって。って、もう出ないと。行こ!!」
「ま、待って!!さん!!」
日向君があまりにも焦るから笑って立ち止まった。
「大丈夫だよ、一緒に行こう」
何にも映し出されていないスクリーンに、次はどんな映画が始まるんだろう。
そう思ってるうちに日向君がとなりに来たから、一緒に歩き出した。
end.
(エイプリルフール企画でした。また通常更新をしていきます。よろしくお願いします!)