「あっ、翔陽」 「、なんで!」
待ち合わせ場所、二人の声が重なった。
とある真夏の夕暮れのこと
「、なんで浴衣じゃないの?」
その発言をした日向翔陽本人は、いつか着ていた黒い浴衣にオレンジ色の帯で夏の装いだった。
対する私は、動きやすさを重視した一般的な服装だ。
「がお祭りには浴衣っていうから着てきたのにっ」
今日はVリーグの試合の後夜祭、開催地周辺のお店や商店街とコラボレーションしたお祭りが催されていた。
試合を終えた翔陽たちも今日はオフ日とあって、久しぶりにお祭りデートができる。
うきうきと翔陽を待っていた夕暮れ時、せっかくこれから楽しめるというのに翔陽は不満げだ。
翔陽の腕にそっと手を伸ばし、意識して甘い声色をつくった。
「翔陽、そんなにおこらないで」
「おっ、怒ってるわけじゃないけど」
「けど?」
「の、浴衣姿、……見たかった」
ほんの少しだけ機嫌を直したかなと気を緩めると、翔陽の片手がかぶっていた帽子をさらった。
「あっ」
「この帽子、なに?」
「かっ返して」
「太陽もうないよっ」
「日差しじゃなくて!」
浴衣の裾を引っ張って帽子を取り戻すと、しっかり自分の頭にかぶせ直した。
「!」
「それかぶってるとの顔見えない」
翔陽にわざわざ覗き込むように顔を近づけられ、一歩後ずさった。
「み、見えてると思う」
「わかった、見えづらい!」
「言い直しても帽子は外さない」
「なんで!」
「なんでって」
言わなくてもわかって欲しい。
「翔陽のファンの人に会ったら困るから!」
今日のお祭りはただのお祭りじゃない。Vリーグとのコラボイベントだ。
昨日まで試合があったんだし、ファンの人たちとばったり会う可能性は低くない。
「会ったらなんか困る??」
「……翔陽は困らないかもしれないけど、私は困る」
「なんで?」
「翔陽の邪魔になるのは絶対イヤなの」
「なんで邪魔になんの?」
言いたくないから無視してお祭り会場に向かおうとしているのに、翔陽は食い下がってくれない。
仕方ない、説明しよう。
「だからね、ファンの人がショック受けるでしょ?」
「ショック?」
「翔陽に彼女がいるってわかったら女性ファンきっと減ると思う」
どれくらいいるかはさっぱり把握していないが、プロの選手ともなればファン人気は必要不可欠だ。選手生命がかかっている。
どのスポーツだろうとジャンル問わず、彼女がいるとわかって人気が上がるわけがない。
「だから、こうやって帽子かぶって誰だかわからないようにしたの」
浴衣だって、本当ははりきって選んでいたけど、出かける直前にこの事実に気づいて、大慌てで着替えることにした。
今のこの格好なら、背丈はごまかせないにしても、遠目に見る分には誰だかわからない。
近づかれても俯いてさえいれば、この帽子のおかげで人目は避けられる。
「これならちゃんとデート、
「浴衣、の部屋にあるなら戻ろうっ」
なにが起きたかと思った。視界が傾く。
がっしりと手を握られ、ひっぱられた。
「ま、待って、戻ってたらお祭りの時間減っちゃうっ」
ほんと、力強い。
こっちはスニーカーで、あっちは下駄だっていうのに、びくともしない。
「今の話聞いてた? 翔陽、ねえっ!」
「あ、あの、日向選手ですか!」
知らない人、少なくとも私は知らない。
なんとなく同じくらいの年齢と思われる女の人、二人。
昨日の試合を見ていたファンの人、らしい。
翔陽に気づいて、そこのお店で慌ててサイン色紙を買ってきたと話す。よっぽど熱意のあるファンみたい。
翔陽も快くサインすることを受け入れたから、すかさず手を振りほどいた。
下を向いていたから、翔陽がどんな顔をしていたかわからない。
ファンの人にすぐ声をかけた。
「あの、私が撮りますよ」
二人組のスマートフォンを率先して預かって、カメラ越しに日向選手と女性たちを見つめた。
ありがとうございます、なんて頭を下げられて、何枚もそれぞれとのツーショットを撮影する。
これだけ撮れば満足いくだろう。写真を確認してもらうと二人それぞれからOKをもらえた。
「次の試合も頑張って下さい!応援してます!」
ファンの子たちは顔を見合わせてそれはそれは嬉しそうに走り去った。
けっこうな大荷物だったし、もしかしたら遠征してきた人かもしれない。
熱心なファンの人がいてくれて、なんだか誇らしい。
「よかったね、日向選手」
あ!
さらりとまた帽子が翔陽の手によって外された。
その帽子は翔陽の頭に収まった。
「か、返して」
「前に言われたことある」
何を言い出したかと思った。
「って怒ったりしないよな」
「おこる?」
どういう意味か聞き返しても答えてくれず、それでいて帽子のつばをつまんだまま、翔陽はなかなか帽子を返してくれなかった。
なんでこっちの方が動きやすいのに、こうもすばしっこいのか。
それでいて独り言のように呟いていた。けっこう近かったのに、だって。
周りを飛び跳ねる私に観念してか、やっと翔陽は私の帽子をかぶせてくれた。軽く息切れしているこっちと比べて、けろっとしている上に、うーんと腕を組んで何か考え込んでいるようだった。
もしかして、さっきの怒るうんぬんの話だろうか。
「翔陽、私に怒られたいの?」
「怒られたくはない」
「そりゃ、そっか」
怒られたい趣味があるとも聞いたことがない。
じゃあ、なんだろう。
もう少し道を行ったら楽し気な商店街に行けそうだし、強引に引っ張っていくべきか。
「わかった!」
いきなり翔陽が動いてびっくりした。
「、なんかないっ?」
「な、なんかって?」
「俺さ、もっとにお願いしてもらいたい!」
快活に歯切れよく、何を言われたのかと思った。
日向翔陽との会話はときどき、いや、けっこう受け取ってから理解するまでに時間を要する。
話をよくよく聞いてみると、久しぶり時間が取れたんだから、と恒例の『彼女のワガママを聞きたい』コールのようだった。
ふ、と時間が空くと、翔陽からこの質問をされるが、世の中の彼女さんはそんなに彼氏への要望が浮かぶものなんだろうか。
小首をかしげていると、翔陽は大げさにこぶしを振り下ろした。
「、無欲だっ」
「いやっ、欲はあるよ!」
いくらなんでも聖人君子のつもりはない。
「お願い事は……「ごとは!」
そんなきらきらした眼差しを向けられると、日差しがなくたってまぶしくなる。
「翔陽と、……お祭りを楽しみたい」
「それはお願いじゃない!」
もっと別の!と要求されてしまった。
えっと、えぇーっと……頭を悩ませてまでワガママってひねり出すものなんだろうか。
熱気を含んだ風に乗った香りでようやく思いついた。
「焼きおにぎり!」
「へっ」
「おにぎり宮の、ご当地限定焼きおにぎりが食べたいっ」
「それは俺も食いたい!」
「よし!」
これで翔陽からのお願い事もクリアーだ。
あ、そうだ。
「あとね、20時になったら見られるデジタル花火観たい!」
「でじたる?」
「商店が抜けた先の高層ビル使って、Vリーグコラボの映像と花火流すんだって!」
「ああ! あのかっこいいやつか!」
なんでも選手の人たちは事前にリハで見ているらしい。
うらやましい。
翔陽が動画を見せてくれると言ったが、せっかくなので生で見たい。それも、二人で、だ。
「この二つが私のお願い事!」
ピースサインを作って言い切ると、翔陽が身動きを止めてからニカっと笑った。
手を繋いでやっとお祭りに行ける。
「俺もお願い事あった!」
ぎゅうっと握られた翔陽の手のひらが、真夏みたいに熱を持つ。
やっぱり下駄をはいた翔陽より、私の方がバランスを崩して、翔陽の肩にぶつかった。見上げれば当然、翔陽が見える。
「お、……ねがいごとって?」
「の顔見て話したい」
いま、見てるじゃないか。
反論は飲み込んだ。だって、翔陽の目が、この帽子が邪魔だと言っていた。
「それに、やっぱりの浴衣見たい」
思わず辺りを見回した。
残念ながら浴衣を売ってそうなお店はなさそうだ。
もう一度翔陽を見つめると、どこか自信たっぷりには顎に手を当てていた。何のポーズだろう。
「考えがある!」
そう言って連れていかれたのは、ここにいる間に翔陽が使っているというホテルの一室だった。
他の選手もいるのかと聞けば、人それぞれで、昨日の内に自由解散だったらしい。
翔陽は私とのお祭りデートのために1日伸ばしてくれたそうだ。
清潔感だけはある、至ってシンプルな部屋。
翔陽の“考え”も至極単純で、お祭り会場からほど近いホテルで、翔陽の浴衣と私の服を交換しよう、というものだった。
なるほど、確かに私のお願い事には翔陽の浴衣着用は入っていない。
このホテルからならすぐにまたお祭り会場に行けるだろう。翔陽、考えたな。
部屋の出入り口付近で荷物を探っている翔陽を待って、手持無沙汰に窓際まで近づくと、ロケーションばっちりのようで、向こうに目当ての高層ビルを見つけることが出来た。
さっきまであの辺にいたんだ。
窓ガラスに手を当てて、空調から吹く冷たい風がどこから来ているか天井を見上げた。
「! なんでいきなり脱いでるの」
振り向きざまにもう帯を解いている翔陽から顔を背けた。
夜で薄暗い景色に映る窓ガラスに、近づいてくる翔陽が映っていた。
「なんでってに着せるから」
「上に何か着てからにして」
「照れてる? 見慣れてるのに?」
「見慣れっ……、それ、高校生の時の話で」
ガラスに触れている手の、すぐ横に翔陽も手をついて、ガラス越しに目が合った。
「今も、よく見てるだろ」
「ち、ちょっと」
「着替えさせるから」
「わっ!」
後ろから腕が回ってきたかと思うと、そのまま引き寄せられて、ベッドに腰かける格好になった。
背中から覆いかぶさられるとなんだか緊張してしまう。
名前を呼んで訴えると、充電中、と耳元で囁かれた。
足元にオレンジ色の帯が落ちていて、拾おうと腕を伸ばしてみても、肩を抱く右腕も、腰に回る左手も、まったく外してくれなかった。
「ねえ、……帯、落ちて、る」
「ん?どこ?」
そこ、違う。
床に伸ばしていた手を方向転換させて、わき腹に触れる翔陽の左手首をつかんだ。
「ここ、……帯ない、!」
わき腹ってなんでこうもくすぐったいんだろう。
翔陽の整えられた指先がやさしくすべった。もう一度。
「ゆ、浴衣、着せてくれるんじゃないの?」
「着せるから脱がそうと思って」
首を回して確認すると、頬に優しく唇が触れて、どこか楽しそうに輝く眼光が瞳の奥に刺さった心地だった。
翔陽の左手が、私のTシャツをめくり、裾を右手に手渡した。半端にあらわになる肌が、室温のクーラーのせいで縮こまる。
それでいて、首筋に熱が這う。
「ねぇ、……脱げてない。自分でやる、やるから」
翔陽の右腕が、二の腕が、すごく、ちゃんと、ちがっていて、痛みは伴わなくとも、ちゃんと、ちゃんと放してくれなくて、生温い熱帯夜の空気みたいな感触がずっと、たえまなく、耳元から首筋を行き来した。
ぼんやりしてくる、視線を上げると、うっすらと今の状態が窓ガラスに描かれていた。
「翔陽、みえ、ちゃう」
もう、だめだ そう思わされる。熱のこもる瞳を、ファンの人たちはおろか、きっと翔陽の近しい人たちだって知らないんじゃないか。
「わかった」
翔陽が、誰も聞いてもいないのに、すごく、すごく、鬼から隠れている時のように小さく囁いて、やっと私から腕を外し、立ち上がった。
重さがなくなった拍子にベッドが軋んだ。
プラスチックが悲鳴を上げるほどの力量で、翔陽がレースカーテンを引いた。
帯のない浴衣は自然にはだけていた。
いっそ何か話してくれたらいいのに、翔陽は無言のままで笑顔さえ見せてくれない。それは私も同じだろう。
翔陽がめくったTシャツは、重力に従ってもう元通りになっていた。
「あの、いま、脱ぐね」
手早くTシャツを引っ張って頭を先に抜くと、顔を上げた時にはもう翔陽が近かった。
キスされるかと思った。
「着せる」
翔陽が包み込むように、浴衣を私の肩にふわりとかぶせてくれた。
私は手元のTシャツから腕も抜いた。
けれど、この暑さで、布地にはすでに汗が移っている。
よく考えれば、この部屋は翔陽が使っていたんだし、自分の服を着てもらえばいい。
「ねえ」
「」
言葉を忘れてしまったみたい。
「袖、通して」
翔陽に告げられるまま、こくりと頷いて、幼子のように、右、ひだり、と浴衣の袖を通した。
あとは、立ち上がって、浴衣の長さを確認して、余ってる部分を折りたたんで。
「……っ」
「なんでさ。
なんで」
なんでだろ
唇をつけたまま、しゃべらないでほしい。
浴衣の前を閉じたかったけれど、今のこの体勢だと翔陽ごと隠してしまう。
翔陽が次に口付けた場所は、浴衣でも、Tシャツでも隠せそうにないのは、鏡を見なくてもわかっていた。
胸元に視線を落とすと、浴衣の内側に入り込む翔陽と目が合った。
肌と肌がくっついていて、それでいて異なる体温がそれぞれ違う人間であることを教えてくれた。
翔陽は黙ったままだったから、浴衣の袖から腕を引いて、その頬に手を滑らせた。
「もう、いいの?」
「浴衣、着せないといけないだろ」
翔陽がするりと私から抜け出して、相変わらず床に力なく落ちたままの帯を拾い上げた。
私もまた浴衣をきちんと袖を通し、右前を確認して身体を隠した。
翔陽が着ていた、真っ黒な浴衣。
するり、するりと、長めのオレンジ色が腰に巻かれていく。
気づけば、私の脱ぎ捨てたTシャツも床に落ちていた。
帯がきれいに結ばれた。
拾わなくちゃ。
「なあっ、
やっぱりさ、
が、足んないんだけど」
きれいに浴衣を着せられた私は、大事なお人形のように、もうベッドに転がされていた。
真ん前にはもう、素肌をさらした愛しい人。
「、……だめ?」
……、焼きおにぎりは、あきらめよう。
プロジェクションマッピングも、あとで翔陽のスマホでみせてもらえばいい。
こんな、眼差しで見つめてくれる翔陽に、だめなんて、言えるわけない。
言わなくても、顔に出やすい体質だから、とっくにばれているだろう。
「せっかく、翔陽にかわいく着せてもらったのにな」
自分でもわかるほど、声がとろけていた。
「あ、あとで、俺が責任もって着せるっ。
写真もいっぱい撮る!さっきの、ファンの人たちよりいっぱい!」
こういうとき、他の人の話題を出さないでほしいって、なんでわかんないんだろ。
?
ほら、全然わかってないんだ、翔陽は。
「私だけ、みててよ」
さっきわき腹をなぞられた感覚を思い出しながら、指先で翔陽の背中をさわって、もっと、と訴えた。
「俺は、ずっと、だけだ」
互いに笑顔、のち、熱が灯り、広がり、すぐ溶けあう。
真夏の夕暮れは長くて少ない。
end.
and happy summer!!