「あったかいね」
世界各国どこでも、浴室は声がひびく。
ワインレッドのタイルに囲まれ、お風呂の心地よさに浸ると、現実を見失いそうだ。
大きな鏡は完全に曇っていた。
私と翔陽がモザイクがかったみたく薄ぼやけて映っている。
かろうじて二人で入ることができたバスタブは、今にもお湯があふれてしまいそうだった。
「翔陽」
ちゃぷん、と、少し動いただけでお湯が波立った。
「寒くない?」
ずっと湯船から出ている肩が気になって、お湯につけたハンドタオルをかけようとすると、私の手の方を翔陽は握った。
「だいじょーぶ」
「風邪」
「のほうが心配。 俺より体力ないし」
くやしいけれど、これだけ鍛えてる人に比べたらひ弱なのは自覚している。
「筋肉、……私もつけよっかな」
ふにふに、二の腕を確かめる。
ついでに相手の腕を掴んでみると、翔陽が力をこめるから、よりいっそう筋力の差がはっきりした。
すごいねと褒めると、どこか得意げに表情をゆるめた。
「はさ、このまんまでいいよ」
「やわらかいのがすき?」
「それもあるけど」
翔陽と私の指が絡んだ。
「俺がのそばにいるから」
はふにゃふにゃでいい。
大事なものをつかむみたく、ぎゅっと握られた。
翔陽の指は私のひとさし指をなぞり、となりの指、またその隣と移っていった。
「、そのまま置いとけば乾くっ」
乱雑に脱ぎ捨てられた衣服を丁寧に伸ばしていると、髪を乾かしている最中の翔陽がひょこっとバスルームから顔を出した。
海であれだけ濡れてさらに手洗いしたんだから、いくら翔陽がいいと言っても、最低限のことはしておきたい。
まだ皺をなんとかしようと試みていると、翔陽が私の手から服を取り上げ、続いて私を抱きかかえた。
「わっ」
「休めって!」
強引にベッドに戻される。
ふれる腕も身体も、ぽかぽかあたたかい。
目が合うとしなければいけないゲームみたく、すぐキスした。
際立った音が、大胆にも響く夜。
はずかしくて目を閉じて、また、そして、また。
翔陽の髪からは、私と同じ匂いがした。
「」
「いつもはもう寝てる?」
部屋の時計は魔法にかかったわけじゃなく、あの夕暮れ時からずっと電池が切れて動いていない。
スマートフォンをのぞいて、ただいまの正しい時刻を確認した。
翔陽がこくりと頷くから、ごろんと率先して横になり、両腕を広げた。
「来て」
「な、なんだよっ」
「寝ようよ、あ、子守唄うたってほしい?」
「ほんと、歌ってくれる?」
覆いかぶさるようにやってきた翔陽の背中に腕を回して、ウソだよと声を弾ませた。
うそかよってわき腹を擽られたから、やり返した。
じたばたする内に、せっかく整えたシーツも枕もまたおっこちたから、笑って身体を起こした。
眠たいのにねたくない。
起きてたいけど、猛烈に眠りたい。
翔陽の目はとろん、としていた。
私も、とっくにふわふわ溶けていた。夢心地だ。
翔陽が床に転がり落ちたまくらを拾った。きちんとカバーを伸ばし、ぽん、とふかふかなことを確かめた。
どうするのかな、と見守っていると、もう一つのまくらを使って翔陽が横になった。
自分の腕を伸ばして、何度かはたく。
こっちに来て、という合図だった。
「?」
すぐに腕に飛び込まない私を、翔陽は目で追った。
浴室の電気を消すためだと理解した様子ではあるが、早く、と口を尖らせた。
「俺、誕生日だけど」
だから、早く来て、と。
そんな顔だ。
もう、散々あげたじゃない。
反論してもよかったけど、確かにまだ今日という日は終わってない。
いそいそとベッドに戻り、収まるべきところにおさまった。
翔陽は、ぜんぶ、あたたかかった。
「本当にさ、うれしかった」
ベッドの横のライトだけつけて、ないしょ話のように翔陽がささやいた。
が、ここにいてうれしい。
翔陽が動くと、ベッドのスプリングが控えめに軋んだ。
「今日1日、夢みたいだ」
「まだ、信じてない?」
「さすがに信じた!」
よかった、まだ夢かと疑われてたら困る。
「なに?」
きつく抱きしめるから、何かと思った。
「翔陽?」
「充電させて」
そういって、翔陽が動かなかった。
背中をあやすようにふれた。
時折、やわらかそうな後ろ髪に指を絡めて、自分の髪との違いを知った。
「は、」
翔陽の唇が肩にくっついたまま動く。
「バレーの神様が、バレー界のために日向翔陽が必要だって言ったら、すぐ譲りそうだよな」
「は?」
翔陽は、ときどき、よくわからない発想をする。
「バレーの神様ってなに?」
「バレーボールの、かみさま」
頭の中にマスコットキャラクターが浮かぶ。
その神様とやらと翔陽を取り合う図を想像したけど、やっぱり訳が分からなかった。
寝ぼけてる。
「もう寝よう」
最後の明かりを消そうとした私の手首を、翔陽はすばやく掴んで、阻止した。
まだ話は終わっていない。
そんな目で私を見下ろした。
「必要だって、そう、言って欲しい」
また違う光が宿っている。
静かに翔陽の眼差しに従った。
「必要。 ……翔陽、要るよ、わたし」
そんな、どこの神様かもわかんない人にあげないよ。
そう言って両手で頬をなでてみても、翔陽の表情は変わらなかった。
俺は、あげない。
二人だけなのに、聞き取れなかった。
聞き間違えかと思った。
「俺は、のこと、いる。
ぜったい必要だ」
「知ってるよ」
「ほんとう、本当に、さ。
が、会いに来てくれたの、
うれしい」
翔陽は言葉を切って、また続けた。
「どうやったら、気持ち、ぜんぶ伝わんだろ」
「つ、たわってるよ」
翔陽は首を横に振った。
「が思ってるより、ずっと、うれしいんだ」
笑顔、なのに、なんだか泣きそうに見えた。
翔陽を力いっぱい抱き寄せた。
翔陽の重さが全身にかかる。
それでよかった。物理的な重みが、時に、互いの存在を知らしめてくれる。
密着していると翔陽の息づかいも肌で伝わってきた。
翔陽も、私も、どちらもあたたかい。
それでいて、それぞれ違う温度だった。
その内、翔陽が、わたしから身体を起こした。
眼差しが揺らいでみえた。星のまたたき、海の凪ぎ。
やわらかな微笑みは、日差しに包まれた気分にさせた。
翔陽がとなりに横たわった。
すぐ抱きつくと腕が回り、髪に口づけが落とされた。
「すきだ」
だいすきな人の声が、すぐそばで聞こえる。
なんて、しあわせな夜だろう。
同じ気持ちだと伝えると、もう隙間なんてないのにさらに密着した。
近づくほど、二人でいることを実感した。
翔陽の鼓動に耳をすます。
「、……すきだ」
何回目の贈りものだろう。
翔陽の声は半分以上、眠りについていた。
明かりを消すことを、今度は止めるそぶりはなかった。
「ほんとうに、私のことすきなんだね」
事実として口にしていた。
知っていたけど、さらに思い知った気分だった。
翔陽の世界に、私がいる。
「今さらかよ」
暗闇の中、翔陽が笑って、明かりに手を伸ばしていた私をまた引き寄せた。
、にぶいんだよな。
しみじみと温かな響きだけが、まっくらな部屋に転がった。
翔陽のふくらはぎが、私のひざに当たった。
「なあ、」
「なに?」
私の声もだいぶ眠気に沈んでいる。
「俺のこと、考えて」
夢に見てって意味かと思った。
「ちゃんと、俺とのこれから、考えてほしい」
翔陽の“宣言”が、真っ暗な室内に浮かび上がる。
意味を聞く前に続いた。
終わるなら、が終わらせるときだけだ。
「それに、」
ここまで会いに来てくれたってことは、もそうだったってことだよな。
きつく抱きしめられ、すぐに寝息が聞こえた。
これからのこと。
まるではじめて聞く単語のように受けとめ、意味を考えている内にまどろんだ。
名前をまた呼ばれた気がした。
翔陽の寝言か、夢か、どっちだろう。
とても長くて、あたたかな1日の終わり。
end.
and happy birthday!!