「た、大したことなかったな!」
「日向くん、びくびくしてなかった?」
「そ、そんなことは!」
「私はびっくりした」
「ホント!?」
画面いっぱいにおばけが飛び出す演出は面白かった。
映画のエンドロールを途中で止めると、向こうからまた食事のカートが近づいてきた。
「さん、ドキドキしたっ? 吊り橋効果あった?」
「そ、それはわかんない」
急に近づかれた今この瞬間こそ、胸が高鳴った事実に日向くんは気づいていない。
またすぐ腕を組んで何か考えこんでいた。
どうしたんだろ。
と思ったら閃いたらしい。
「今度さ、俺がバレーするの見に来てよ」
日向くんの、バレー。
「トライアウトまで期間あるし、調整するから、その時に」
「なんでそんな、誘ってくれるの?」
バレーに、興味ないかもしれないのに。
日向くんは笑った。
「さんからバレー嫌な感じしない!」
「ど、どうしてそんなこと」
「俺の勘! 日程と場所わかったら連絡する」
「私、もう、日向くんの記憶の中と違うから」
なんて可愛くない返事だろう。
うっすら感じていた好意を、一気に、すべて跳ねのけようとしていた。
やめておけって思うのに、止まらない。
「いま、こうやって声かけてくれるのも、日向くんが、ぜんぶ、勘違いしてるだけだから」
ふわっとまた飛行機が揺れ、宙ぶらりんになった言葉を続けた。
「ぜんぶ、この、揺れのせいっ。
運命、なんか……」
そんなものあるなら、なんで今なの。
「今日会えたのは、ただの偶然っ。
日本に着いたら、日向くんは」
絶対、
私のことなんか。
「わかってる」
望み通り意見を受け入れてもらえたと思った瞬間、切なくなった事実に気づいた。
日向くんが微笑んだ。
「大丈夫だよ、俺、さんが怖がることしない。約束する」
「……」
「せっかく会えたんだしさ。
中学の同級生ってことはほんとだし。
俺は、さんともっと仲良くなりたい。
それも嫌?」
「……そ、こまでは」
「よし! じゃあ、まずはそこからっ」
私たちの一つ前の席まで乗務員さんが来ていた。
朝ごはん?昼ごはん?のメニューを配っている。
日向くんは前を向いたまま言った。
「偶然でもいいよ。
中学の時、話しかけようか迷って、ずっと話さなかったの、いま後悔してる。
今日、さんと話せて、すごく楽しい。
もっと、はやく気づきたかった。
でも、今日、気づけた。
これからもっと話せればいいって思ってる」
日向くんの真っ直ぐな言葉。
横顔を見つめるしかできなかった、けど、また目が合った。
「そっから好きになってもらえればいいしさ!」
「え!」
「さん、きた!」
すっかり明るくなった機内。
キャビンアテンダントさんは、最初と変わらない笑顔で飲み物を聞いてくれた。
なんとかオーダーできたものの、内心それどころではなかった。
*
おなかがいっぱいになって、眠たいけどもう寝るような明るさではなくなり、機内も再びにぎわった。
もう少ししたら、飛行機は着陸態勢に入る。
荷物を整理したり通路を行き交う人も増え、次第に落ちついていった。
窓の外は、空、のさらに上空だ。
遠くの方は、まるで西洋絵画のような厚みのある雲と青。
ずっと下には、きらきら光る海と、地図みたいに広がる大地が見える。
日向くんも興味を持ったらしく、私は背もたれに深くうずまり、一緒に眺め続けていた。
「きれいだね」
ふと呟くと、日向くんも同意してくれた。
ほんとうに、綺麗。
「神様からみえる景色ってこんなかな」
すごくきれいで、まぶしくて、この世界全部を視野に収めたみたいな光景。
この中にどれだけの人生があるんだろう。
私たちみたく、誰かと誰かが再会してるかもしれない。
新たな出会いが生まれているかもしれない。
いろんな人生が行きかい、交わり、時にはなれ、結ばれ、さまざまな物語が紡がれる。
想像もつかない。
あ、そっか。
不意に納得した。
神様にも限界がある。
日向くんはキョトンとしている。
「ご、ごめん、変なこと言った」
「神様いないってこと?」
「じ、じゃなくて」
神様がいてもいなくても、結局、変わらないなって。
もし神様がいても、この世界は広すぎて、色んなことがありすぎて、全部のことに、全部のチャンスをあげようがない。
神様だって、ミスもする。
「だから、その……、運命なんかないよなって」
そんなつもりはないけど、日向くんへの当てつけみたいだと思った。
自分が嫌になって逃げるようにブランケットを頭まで被り、おやすみを告げる。
日向くんからすぐ返事はなかった。
しばらく沈黙が続き、その後、おやすみと返してくれた。
必要な書類を配りに乗務員さんが来る。
本当は起きて受け取らなきゃいけないのに、日向くんに合わせる顔がない。
日向くんが乗務員の人と話して、2枚受け取ったのがわかった。
その内の1枚を、私のテーブルに置いてくれた。
*
魔法が、とける。
飛行機が着陸態勢に入った。
「さん、手握る!?」
「いいよ!大丈夫だよ!」
「じゃあさ、俺のために握って!」
日向くんは偶然みたく繋がった時みたいに、ぎゅっと私の手を握りしめた。
ゆっくり、ゆっくりと飛行機が下がっていくのがわかる。
気付けば、私も握る手に力が入っていた。
飛行機が揺れた。
気圧の変化にびっくりもする。
この時間が終わるのが、惜しい。
日向くんとこれまで隣り合うことはなかった。
でも、もう知ってしまった。
日向くんの隣は心地いい。
この手を離すころには、終わりが来る。
知らなかった頃に戻れないなら、知らないままでいたかった。
なんで今さら、
どうして……
日向くんの方を見る。
優しく微笑まれた。
うれしい。
*
無事、飛行機は着陸した。
サインが消えるまではシートベルトを外さないようにとアナウンスが流れ、周囲の人たちも荷物をまとめている。
私もお土産忘れないようにしないと。
日向くんが大きくあくびをした。
私の視線に気づくと、日向くんは少しはずかしそうに肩をすくめた。
「さんは、誰か迎えに来るの?」
「ううん、日向くんは?」
「俺は、その、友達が来てくれるって聞いてる」
「そっか、いいね」
と、なると、日向くんと一緒にいられるのは空港の出口までか。
一人で帰るつもりだったのに、なんでだかガッカリしている自分に気づく。
スマートフォンを取り出して、出発前に確認済の帰り方を復習した。
シートベルトのサインが消える。
周りの人たちが一斉に立ち上がって荷物を下ろし始めた。
私も荷物。
「さん、あのおみやげ、誰にあげんの?」
「おみやげ?」
「棚の上にあげたやつ」
「あぁー」
ノリで買った手前、とりあえず顔の浮かぶ友達にって思ったけど、その子たち用のお土産は既にスーツケースの中だった。
適当に言った。
「仲のいい人かなぁ」
「男?」
声のトーンが少し下がった気がして、すぐに頷けなかった。
「ば、らまくからどっちも」
「ふーん……」
「ひ、なたくんが欲しいなら」
「俺はいいよ、
「そっか」
……おみやげは」
日向くんは席から立ち上がらず、足も引く様子なく、スマートフォンを操作した。
「さん、連絡先教えて」
「そーー……、だね」
お茶を濁せる雰囲気じゃなかった。
連絡先を交換した。
人の波が動き出す。
日向くんがまだ席を立たない。
「あの、そろそろ」
「次いつ会える?」
日向くんは真っ直ぐ私を見た。
浮かせた腰を下ろした。
人がたくさん通路に並んだけれど、まだ進まない。
「今日帰ったばっかりだし、落ちついたら……」
「さんから、会いたいか聞けてない。
俺と会うの嫌だって感じしないけど……、でも、さんの気持ち、わかんないから。
嫌ならやめる。
そうじゃないなら、俺から声かけれる。
どっち?」
会いたいか、会いたくないか。
そんなの。
「日向くん、あの……」
2択なのに。
選べばいいだけなのに、なんでこんな、迷うんだろう。
上手く、言葉にできない。
もっと気軽に話せばいいだけだってわかるのに。
自分の気持ちの欠片すら発せられない。
「怖がらせた?」
ごめん。
さっきまでの雰囲気と違って、日向くんはしょぼんと肩を落とした。
その落差に困惑した。
「ま、まずさ、おりよう!」
気を取り直して、目の前のすべきことをすることにした。
日向くんの腕を引っ張る。
日向くんはビックリしてたけど、立ってしまえばテキパキと荷物をかかえた。
「さん、これだよね?」
「それ!」
「わかった!」
「え」
日向くんがあの重たいジェリービーンズの入った買い物袋を持っていってしまった。
慌てて追いかける。
「日向くん、それ重いよ。
私持つ。
ねえっ。
ねえ、聞いてるっ?」
動く歩道で追いついても日向くんは荷物を一向に返してくれなかった。
自分の荷物の方が重そうなのに。
まだ空港の中だし、仕方なく日向くんにお土産は任せて、空港を突き進んだ。
高い天井、突き抜けるガラスの向こう、飛行機の上から見た時と同じ曇り空。
地上から見上げると、どんよりしている。
係の人が立つゲートを抜け、荷物が出てくる番号を確認し、人の集まる方へと移動した。
カートは用意した。
私の空港土産は、まだ日向くんの手元にある。
私たちの便の荷物は、これからのようだった。
「日向くん、あの」
そう切り出すと、お土産のことだと日向くんもわかっているのか、奪われまいとガードされた。
それ、私のお土産なのに。
「わかってるけどさ」
日向くんが不服そうに口を尖らせた。
「これ返したらさん、俺から離れそう」
「離れないよ!」
「返すけど」
日向くんがお土産袋を私のほうに差し出してくれた。
ほっとしたのも束の間、今度はなぜか私の上着を日向くんに捕まれた。
「あの、私、子どもじゃないから」
「さん、荷物きた?」
「……まだ。 日向くんのは?」
「きた!!」
日向くんは私の上着を離し、自分のカートをほっぽって荷物を取りに向かった。
今のうちに隠れてようかな、なんて、それこそ子どもみたいなことを考えた。
日向くんが自分の荷物をカートの上に置いた。
「おっし!」
「じゃあ、また今度」
「待つよ、さんの荷物、いっしょに」
「人待たせるの良くないよ」
私は早めに空港で手続したし、いつ出てくるかわからない。
正論を口にすると、日向くんが髪をくしゃっと握りしめて言った。
「じゃあさ、俺のっ、
彼女になってくれる?」
「……寝ぼけてる?」
「ちゃんと起きてる」
「そっか、それは、えーーと……」
「さんからずっと答えもらえてない」
次会えるか?も、
また誘っていいか?も。
「さんの答えが欲しい。
それを聞かせてくれたら、その、いろいろ我慢、する」
私は、カートの手すりを握りしめ、観念した。
「……言ったよね、
もう中学生の頃の私じゃないって」
日向くんがこんなふうに言ってくれるのは、気の迷いだ。
偶然出会えただけで、特別な相手に見えているだけ。
こんなにすぐ仲良くなれるんだから、他にきっとぴったりな相手がいるはず。
今、日向くんは旅の魔法にかかってる。
吊り橋効果、もうしばらくしたら消えて、日向くんは後悔すると思う。
「後悔、もうした」
日向くんが一歩私に近づいた。
「飛行機でも言ったけど、中学のとき、さんに声かければよかった。
どうしようかって迷ってやめて、俺、やめたの、もったいなかったなって思う。
今日、さんといて楽しかった。
もっといたい」
「だ、だから、それは一時的な……」
「どれくらいいたら、魔法じゃないってわかってくれる? ずっとさんをドキドキさせられたらいい? 自信、あるよ」
ウソ偽りないって眼差しだ。
人はこんなにも自信が持てるんだって、自分に起こっている状況なのに他人事みたく感心した。
日向くんが私へ手を差し伸べた。
「さん、俺といて。
魔法にかかってないって証明する」
すごい自信……
困惑して呟くと、日向くんが笑った。
「わかるよ、俺のバレーみてる顔みたら」
「! 他の人の見たら、もっと違う顔してるかも。影山選手とか」
「ぐっ!」
影山選手の名前を出すと、日向くんの表情は渋くなった。
「これから、もっと他の人のも見てみる」
「そ! その中でさんに俺が一番だって言わせる」
「日向くんって、すごく……」
なんだか笑ってしまった。
「すっごく、変な人」
「!! そこはカッコいいって言ってもらえるかと思った!」
「今の流れで!?」
「そりゃっ、高校時代は変人速攻って呼ばれてたけどっ」
「バレーでも変人なんだ……」
「バレー“でも”ってなに!?」
「あ、荷物きた!」
スーツケースを押して戻ると、日向くんがカートを一つにまとめていた。
「なに、してるの?」
「カートひとつにしたら一緒にいけるなって、友達にも紹介できるし!」
さも名案のように日向くんは言う。
とてつもなく気が早い。
「日向くんと私、出国先違うから」
「そ、そっか」
「そんなことしなくても、ちゃんと出口のところで待ってる」
友達に紹介されるのはどうかな、と思うけど、日向くんに反論されるのが明白だ。
このままだといつまで経ってもターンテーブル前から動けない。
ひとまずその件は突っ込まずにカートを進めた。
日向くんが並んだ税関検査の列は進みがとても遅くて、その間に私は出口の方へと進んだ。
待ってようかと思ったけど、次の便も来た。
早く進むように声をかけられ、到着ロビーに出る。
外は、待つ人、行く人でごった返していた。
きっと、この中に日向くんを待つ人たちがいる。
急に冷静になる。
自分だけ場違いみたいな感覚が降ってわいた。
やっぱり、日向くんを待たずに帰ろうかな。
交換した連絡先もあるし、一言だけメッセージで伝えておけばそれで。
“さんの気持ち、聞かせてもらってない”
足が止まる。
たくさんの人が行き交っている。
この流れに乗ればバスなり電車なり、旅する前の生活にすんなり戻れるだろう。
それでいいの?
どこからともなく、問いかけが浮かぶ。
私は、
私の気持ちはどうだろう。
この再会は、やっぱり運命じゃない気がする。
日向くんが伝えてくれた好意は、一時的な魔法だとも思う。
この後、ひどく後悔するかもしれない。
日向くんだって同じだ。
今ここでやめておけば、それぞれ、これまで通りの生活を送れる。
でも、出会ってしまった。
飛行機の上の“たった一口”の経験のように、心は日向くんとのこれからを欲している。
いいじゃないか、傷ついても。
今まで傷ついてこなかった分、きっと、耐えられる。
ダメだとしても、今日というひと時は未来の糧になるはずだ。
意味は後付けでいい。
今日、日向くんといられてよかったと、それは胸を張って断言できる。
やっぱり、待とう。
帰るにしても日向くんに直接挨拶して、
「
さーーーーん!!!」
特大声量の、アナウンス。
ただし、肉声。
また呼ばれそうで、ダッシュしてカートもそばに放って日向くんに駆け寄った。
「さんっ!」
「何でそんな大きな声で」
「帰ったかと思ったから」
「連絡先交換したよ!」
指摘すると、日向くんはスマホの存在を失念していたそうだ。
だからって、こんな人前で叫ぶなんて何考えてるんだ。
チラホラと視線を感じる。はずかしい。
「さん、ごめん、さき謝る」
「えっ」
日向くんが選手宣誓のごとく手を挙げた。
「俺、今から告白します!」
!?!
「さん、今日一緒の飛行機になって、今まで話せてない時間、後悔した。
もっと、一緒にいたい。
これからの時間、俺といてほしい。
付き合ってください!!!」
日向くんの勢いに、のまれる。
騒がしかった到着ロビーだったのに、急に静まり返る。
まるでテレビ番組みたく日向くんが私に片手を差し出している。
周囲が私たちに注目し、後から出口にやってきた人は事情がわからずキョロキョロしてる。
日向くんが、私の答えを待っていて、みんな私に注目していた。
わ、たし。
日向くんの手を、握って、そして。
思いっきり引っ張って、間近で見つめた。
「そーいうのっ、二人の時に言って!!!」
「!は、ハイッ」
日向くんが背筋を正し、なぜか拍手が巻き起こる。
私の声は大きくなかったから、手を握ったところだけ見て、告白成功と思われたようだ。
穴があったら入りたい。むしろ埋まってたい。
事情を知らない誰かが、幸せになれよーって叫んだ。
アザース!じゃないから。
日向くん、騒ぎを起こしたんだから謝って。
そう訴えると、日向くんはどこか嬉しそうにお騒がせしましたって頭を下げた。
私はこの場から消えたくてたまらなかったのに、日向くんが私の手を引いた。
なにこれ、なんのサプライズ?
日向くんの友達も早くこの場から離れたがったから、やっぱりおかしいのは日向くんだってわかった。
「さん、さん!」
「……なに?」
「あれっ、なんか怒ってる?」
「理由わかんない?教えてほしい?」
見上げる日向くんはニコニコと、すごく嬉しそうだった。
なんなの、私はこんなに怒ってるのに。
日向くんは声を弾ませて言った。
「これからよろしくっ!!」
聞いた途端、肩の力が抜けて、この人の隣はすごく大変そうだって、笑うしかなかった。
「さん」
日向くんは私を呼ぶ。何回も。手は絶対離してくれない。
移動中、日向くんが私に近づいて囁いた。
「今日のこと」
近すぎて耳がくすぐったい。
離れようとしたけど、繋がった手のおかげで叶わない。
「偶然だとしてもさ」
さらに距離が近づいた。
「俺とさんで、
一緒に、“ 運命 ” にしよっ!!」
日向くんは宣言した。
うれしそうに、解けない魔法みたく。
end.
& Happy April Fool!