「ーーーーー!!!」
ご近所迷惑なほど大きな声を響かせて翔陽がランニングから帰ってきた。
こうなるのは想像していたけど、予想以上の声の大きさだ。
お休みの日のこんな朝早くから騒いでいたら、ご近所さんから苦情が来る。
「静かに、「あった!!2枚目!!!」
ほらっ、と差し出されたカードは、1枚目と同じもので、2/7の数字と“longing”のアルファベット。
「ロングだから長いってこと!?」
「それよりまずシャワーをどうぞ」
「俺、そんなよごれてる!?」
「いいから早くっ」
「、シャワー浴びた!?」
「私の家だからね」
「待っててくれてもいいだろーー」
「狭いから一緒は無理っ、いつも言ってる!」
肩に抱き着いてくる翔陽を引っぺがして、バスルームに押し入れた。
あ、タオル忘れてた。
すかさず一枚手にしてノックする。
「翔陽、タオ、ルっ!!」
見ないようにタオルだけ差し入れた手首を引っ張られて、嫌でも顔を見合わせる。悪戯っぽく翔陽の瞳がゆがんで光った。
「もさ、入るっ?」
「入らない!!! 変なことすると朝ごはん先に食べちゃうからっ」
「すっすぐ入る!!!いっしょがいい!!」
ドタバタと大慌てでシャワーを浴びているのが分かる。
朝から騒々しいなと欠伸一つ。
本当は翔陽の好きな和食にしようかと思ったけど、バレンタインにかこつけて買ってみたチョコレートソースをテーブルに並べ、もうすぐ焼きあがるトーストを待った。
*
2枚目より先に3枚目、3/7の数字と英単語。
“protection”
のはずだったけど、熱々の食パンの上にチョコレートソースは文字を書くのにまったく向いてなかった。
しかもアルファベットの数が多すぎて書いてるそばからとなりの文字にくっつく。
「、すご! オムレツ真っ赤!!」
「……じゃなくて、3/7って書いたの」
「3枚目だ!! あれ、じゃあこの真っ黒は?」
「……、食べちゃえば一緒だよ」
「え、ちゅーは!?」
「英語読めたらね」
「これ英語!?!」
こんなことなら、パン焼かければよかった。
とびきり甘くておいしいって言うから買ってみたけど、ここまで液状だったなら他のにしたのに。
ひとかじりすると、チョコトーストとしては悪くはなかった。
「あれ、食べないの?」
翔陽は真剣な眼差しでトーストとにらめっこしている。
「これ読まないとからちゅーしてもらえないだろ!」
「……」
もうひとかじり、ふたかじり。
一向に減らない翔陽のトーストは、がんばってチョコで書いてみたものの、アルファベットらしい文字はすでに溶け切っていた。
「翔陽」
「んっ? ん!!!」
「これが、“庇護”のキス」
「ひっ、ご、って、な、なに」
「あなたを守ってあげたいって意味だって」
まだ食べかけのトーストにかじろうとすると、パン越しに翔陽が鼻を押さえたまま、こっちを見ていた。
私は自分の唇についたチョコレートを舌先でなめとった。
「“protection”、意味、覚えられた?」
普通に受験に出てくる英単語だったよなと振り返りながら食べきったころ、やっと翔陽がトーストにかじりついた。
*
「」
洗い物をしている翔陽に呼ばれて近づいた。
スポンジも洗剤も、ぜんぶ揃っている。
「袖、あげてくんない?」
「いいよ」
言われるがままに袖を引っ張ると、お礼を言われた。あ、1枚目のカード、ここまですべってたのか。
しゃがんでカードを手に取り眺めていると、翔陽が黙って私を見下ろしていた。
「、……わざとだろ」
「なにが?」
「もういい」
翔陽が水を止めて手を拭き、同じくしゃがみこんだ。
なんとなく察して膝に顔をうずめると、「こら」と咎められてますます楽しくなった。
「こっちっ、……向いて」
「なに、するの?」
「いいから早く」
「“庇護”のキス?」
軽い気持ちで口にすると、 キス とシンプルな答えが返ってきた。
手の中にあったメッセージカードを思い切り握りしめてしまった。
“affection”の文字が歪んでいる。
「紙より俺見ろよ」
「み、見てる」
「ここだと痛くなるから、あっち!」
「わ!」
慣れた調子で翔陽に運ばれていく、ふかふかのベッドの上。
抱きかかえられた時に見えた洗いものは、まだ途中だった。
私が洗ってくると腕から抜け出す口実にするには弱い。
大荷物のように降ろされることはなく、そっとベッドまで運ばれたのはよかったものの、翔陽の顔を見れば、一目でわかる。“庇護”を意味する鼻先のキスでは物足らなかったようだ。
どこかスイッチが入ったらしい翔陽が、私のTシャツに手をかけた。
「ま、待って!」
分別のつく翔陽の手のひらは、空中で停止した。
その隙に起き上がる。
ランニングから戻ってきた翔陽が持ってきたカードを指差した。
「まだ、カードあるから」
「……longingって、どういう意味だっけ」
明らかに不満をあらわにした態度ではないものの、あと一歩でこぼれそうな感情が翔陽からにじんでいた。
慎重に言葉を選んだ。
「あなたのことを、思い慕っていますっていう意味」
言葉に出してみると、翔陽は少しだけ反応し、肩の力を抜いたのがわかった。
ほっと息をついて同じように隣に座ってもたれかかる。
「してもいい? “思慕”のキス」
しばし沈黙を保ってから、翔陽はひどく小さく、いいよと囁いた。
「じゃあ、目、とじて」
「なんで?」
「なんでって」
「俺、がどんな風にキスしてくれんのか見たいっ!」
明るく足を組み直して翔陽は笑った。
「ふつう、だけど」
「いつも暗いし、はずかしがって見せてくんないじゃんっ。 今日、バレンタインだしさっ」
「……ふつうなのに」
ちょっと近づいただけで翔陽がうれしそうだ。
羞恥心は消えないけれど、たしかに翔陽の言う通り、バレンタインデーだ。
女の子から一歩、いつもより勇気を出すにはぴったりの日。
覚悟を、決めた。
「、ちゅーは?」
「した」
「へっ、どこに!?」
「髪に」
「髪~?」
“思慕”のキス、あなたを思い慕っていますを意味する口づけは、少女漫画やメロドラマよろしく、優しく髪に落とす口づけだ。
「これっ、ちゅーした内に入らない!! 俺たち、いつもしてんじゃんっ」
「チョコレートとセットだから特別なの」
2つ目のチョコレートを手に取ろうとしたはずが、また翔陽に捕まってしまった。
「だったら、俺もする!」
「待って、チョコっ」
「思い慕っていますってキス、俺もにしたい。 ……逃げるなよな」
そうやって、翔陽は表情も雰囲気も揺らがせて、私を動けなくさせる。
力強い指先が、するり、私の髪にすり抜けた。
「、……すきだ」
何度も、なんども、吐息交じりに髪に触れる感覚は、全身に甘く広がっていくようだ。
。
。
。
耳元で囁かれると、くすぐったい。
「これでさ、、本当に足りる?」
ドキドキと高鳴る鼓動を気づかれないように黙ってみたものの、翔陽はお見通しのようだ。
俺、足んない。
その証拠に、翔陽のささやきはとても弾んでいた。
それでもやんわりと翔陽の肩を押し返す。
まだ、4個もチョコレートが残ってる。
そう反論しても、翔陽は素直に私の上からどいてくれなかった。
電灯の明かりのおかげで、見上げた翔陽の髪はどこか透き通り、熱くきれいな色をしていた。
翔陽の瞳が輝いた。
「あと4個見つけてもさ、からぜんぶで7回しかちゅーしてもらえないってことだろ。
俺、もっと欲しいっ」
「見つけてからそういうの言ってよ」
「カードはわかんなかったけど、チョコは見つけた!」
「そうなの?」
「の部屋はだいたいわかってるっ」
翔陽が得意げに片手を顎に当ててポーズを取った。名探偵みたいだ。
でも、だったら、もうちょっと頑張ってカードを見つけてくれてもいいのに。
せっかく頑張って隠したんだから。
「!」
文句を言わせないつもりなのか、ほっぺたに唇が触れた。
「これが“好き”って意味で、これが、えっと、思い慕ってます、だっ」
鼻先だけをくっつけて離し、笑う翔陽。
「……ちがう、鼻は“あなたを守ります”だよ」
「そっか、髪にするのが慕ってます、かっ」
翔陽はさんざん繰り返した髪へのキスをもう一度、今度は強めに施してくれた。
「ここは?」
「! なにっ」
「耳にしたら、どういう意味になんの? すきってこと?」
「それやだっ」
ぐい、となんとか顔を背けて距離を保とうと試みる。
「本当に、……、いやだ?」
確認する口調に、静々と視線を戻すと、いつも通りの翔陽なのに、どこか肩を落として見える。
そんな風にされたら、そりゃ、首を横に振るしかない。
「嫌じゃ、ないけど……びっくりする」
「びっくりさせないようにするならいい?」
了承を得られることをとっくに期待した声色に、結局折れてしまう。
「びっくりさせないでね、絶対」
「わかってる!!」
本当にわかってるのかな。
ほら、翔陽の呼吸が耳元に触れるだけで、もうすごく、ざわめいてる。
「耳にちゅーすると、
……どういう意味になんの?」
翔陽が楽しそうに尋ねてくる。しゃべるたびにくすぐったくて、翔陽と向き合った。
耳貸して。
同じように口元を寄せてささやく。
な い しょ。
ふっ と息も吹きかけると、翔陽の肩が大げさなほど飛び跳ねた。ちゃんと仕返しになったらしい。
翔陽の手のひらが私の頬に添えられて首筋をすべって肩に触れた。
「なんで、教えてくんないの?」
「まだカード見つけてないから」
「わかった!」
てっきりカード探しを再開してくれるのかと思ったけど、より一層密着するこの状況からして違うみたい。
「当てるから、残りのやつ」
「当てるって……!」
首筋に一つ、二つ。
口付けるたび、翔陽は私の反応をわざわざ確かめる。
「首にすると好きっていう意味。 どうっ?」
「あのね」
“好き”って意味なら、どのキスもぜんぶ、全部同じじゃないか。
好きでもない相手にキスなんてしない。
くちづけは、いつでも愛しさを伝えるものだ。
そう説明すると、翔陽も納得したようだった。手も口も止まっていない。
「そうだよなー……、ぜんぶ『すき』になるもんな」
「!待って、襟、のびちゃう」
買ったばっかりなのに。もったいない。
そう主張すると、Tシャツのすそを翔陽が引っ張り出した。
「待って」
「なんで?」
この服を脱がすことが当然のように、それを静止する方が常識に反しているかのごとく、翔陽は小首をかしげた。
もういい、気づいてもらえないなら自分で言う。
Tシャツの胸元を指差した。
「触っていいってこと?」
「ちがう!! なんて書いてある?」
「“LOVE”……、あ!!」
わかった?
今朝、枕元で見つけたカード、もとい数字と英単語は、ず っとこうしてあなたの目の前にあったんです。
そう説明すると、翔陽は納得した様子で私を抱き寄せた。
「すげー!! ずっとこれ着てた!!すごい!!」
「そうだよ、早く気づいてよ翔陽」
「、こういうのいつも着てんじゃん!でも7/7って、あ、これ、描いた?」
「準備したの、翔陽のた、め」
ぐっ とまた、距離が近づいた。
これは鼻先のキスのためじゃない。
「なあ、“LOVE”ってことは、俺のことだいすきってこと?」
「……たぶんね」
「たぶん!?」
「そうやってすぐ言わせようとする」
視界が揺れて、翔陽しか見えなくなる。
「してよ、キス。
“LOVE”って、どこにすんの?」
わかってて、聞いてるんじゃないかな。
確かめたかったけど、待ちきれないのがわかったから、想いを乗せて口付けた。
「LOVEは“愛情”、……『唇』にするんだよ。
私だけがしていいの。わかった?」
わざとらしく強調すると、もう一回、と言われる前にされていた。
くりかえし。何度も。想いを告げるように、伝わるように。
“ここ”に口づけていいのは互いだけ。
もう、静止はしなかった。
end. and happy Valentine's day!!