あくびを小さくして身体を起こす真夜中。
部屋に入った時はきちんと並べられた布団も乱れ切っている。
翔陽はすやすやと寝息を立てていた。
その表情が穏やかで、隅に追いやられていた布団をそっとかぶせた。
やっぱり寒かったのか、翔陽も無意識に布団へ丸く収まった。
私もそこらに放られていた色浴衣を拾い上げて羽織った。
たしか、ここにも湯船があったはず。
あ、やっぱりあった。
浴室は広いとは言えないけど、シャワーは浴びれそうだし、湯船もあるならあったまれそうだ。
さすがに温泉ではないけど、入浴剤があったから、使ってみよう。
そうだ、タオルも準備しないと。
「あ」
鏡越しに目が合った。
「、なんですぐ離れんだよ……」
翔陽は不満げに抱きついてきた。
声はまだ眠っている感じなのに、浴衣の隙間にちゃっかり手を侵入させている。
ぽんぽんとこの手はなに?とはたいて訴えた。
それでも翔陽はきつく私を抱きしめる。
「目ぇさめて、いないと不安なる」
「ちょっとこっち来ただけだよ」
「そういうの、俺、信じないからな」
「わっ、ちょっと!」
抱きかかえられるとは思わずじたばたと動いてみても、想像するより強い力で和室に連れ戻された。
乱暴に投げ置かれることはなく、そっと布団の上に置かれた。
まだ互いの温もりが残っていた。
「、まだ元気だよな……」
「翔陽のが眠そう」
「目、冴えてきた」
そうは見えないけど。
指摘への反論は手首を掴まれ、導かれるまま、熱を実感させられた。
翔陽、本気だ。
すぐまた、リップ音を立ててついばまれた。
ふと、翔陽の手が止まる。
「どうしたの?」
「せっかくだしさ、上行こう」
2階のことだ。
そういえば、翔陽は上の空間を気に入っていた。
さすがに誰かを抱きかかえて上がれるような階段ではないので、階段を踏み外さないように注意しながら2階に上がった。
もちろん自分の浴衣は羽織って。
翔陽が何かあった時のためにと後ろに付いている。
「、いける?」
「うん……大丈夫」
「ゆっくりな」
危なかったら俺が支えるから。
やさしい気遣い。
やさしい声色。
やさしい、ひと。
知っているけど、なんとなく振り返らずにいた。
背中に視線を感じる。
指一本ふれられていないはずなのに、なんでだかそわそわと熱くなる。
うしろには翔陽がいるからだ。
気づかないふりをして布団を敷いた。
1枚、2枚。
「、ひとつでいい」
まだ全部終わってないというのに、翔陽が白いシーツに私を組み敷いた。
翔陽の肩越しに天窓、その向こうに月がこちらを覗いている。
「翔陽」
私が名前を呼ぶと、じれったそうな表情ではあったけれど、翔陽は動きを止めた。
「月がきれいだよ」
「そうだな」
「見てない」
翔陽はこっちを見ていた。
私だけ、ずっと。
悪びれもせず翔陽はやっぱり振り返らなかった。
「見たって。の目にさ、月、映ってる」
ぐっと近づいて翔陽の前髪が私の額にふれた。
ほら、きれいだ。
キスされるかと思ったのに、翔陽はしてくれなかった。
なんだ、そっか。
少し残念に思った時、唇をついばまれ、まるで心のなかを読まれたようではずかしかった。
翔陽はと言えば、満足そうだった。
すきだ。
言葉とともに口づけを落とされ、また、もう一度、互いを重ね合わせた。
気づけば月も見えなくなっていた。
切り取られた正方形の夜空、まるで夕闇に溶けた川みたい。
「なあ、あの二人のことだよな」
「……なにが?」
うとうとしつつ、まどろむ腕のなか。
ぬくもりに寄り添いながら翔陽が何を言わんとしているか問い直した。
聞けば、あの広場で話した村人と女性のことを今になって思い出したらしい。
「でっかい風呂のところに説明あったなーって、温泉の色のこと」
「ん……、そうだよ」
欠伸交じりにまた翔陽のガイドになった。
ここの温泉は時間帯によって色を変える。
人によって違いはあるけど全部で7色とも言われ、その由来があの男女を結び付けた羽衣にあった。
「川に落としちゃったんだよね、羽衣」
すると、夕日に照らされていた川がさらに輝き、みるみるうちに、えも言われぬ美しい温泉に変わったという。
「すげえ!」
「で、二人はその温泉で宿屋を開き、幸せに暮らしましたとさって」
なんとも強引な結末だけど、昔話に難癖をつけるのはナンセンスだ。
気にすればいくらでもツッコめる。
例えば、その女性、諸説あるものの、羽衣を持っていたことから天女であったとも言われる。
「天女っ? って、なに、」
「天に住んでる、きれいな女神様」
「へー!」
「でも、羽衣を川に落としたら、天に帰れなくなるんだし」
温泉になったのでめでたしめでたしって言われても、温泉の元?にされた羽衣はどうなったんだろう。
この場合、女性の元に返されたとは考えにくい。
となれば羽衣のない彼女は天に帰ることが出来なくなったんだから、けっこう乱暴なハッピーエンドにもみえてくる。
「天女様には村人がいたからまだいいんだろうけど……」
そこまで説明したところで、翔陽からは相槌もかえってこない。
寝たのかと思いきや何か考え事をしている様子だった。
じーっと様子を伺うと、翔陽がこっちを見つめ返した。
「が、俺の“天女”?」
なんとも唐突で、おもしろい質問である。
翔陽の頬を指先でやさしくつまんだ。
「私は天女じゃないけど」
「なあ、羽衣、なんで落としたの?」
私にはそんなものはないので、パンフレットに書いてあった説明を思い出す。
ただ、羽衣を落としたとしか書いてなかったはずだ。
きっと、二人がいつものように過ごしていた時にうっかり落としたんだろう。
翔陽が言った。
「それさ、村人がわざと落としたんじゃない?」
私を引き寄せ、どこか瞳をきらきらさせて続ける。
「俺ならそうする」
おでこにやさしく、唇が触れる。
「帰ってほしくないから……
もうちょっと、いっしょにいられるように」
いたずらっぽく声を弾ませた翔陽。
つられて頬に口付けた。
「そうかもね」
もしくは、天女様もわざと羽衣を川に落としたのかもしれない。
「なんで??」
翔陽が目を丸くする。
「あの和歌にもさ、あったから」
“この川が黄金に輝くうちにすべてを伝えたいのですが”
これは、日が出ている内に全部の想いを伝えたいという意味で、解釈はいくつもあれど、日が沈む前に帰らなければならない示唆でもある。
村人を恋い慕う天女様は、たそがれ時と呼ばれる時間までは地上に居られるというならば。
「羽衣がなくなれば、夜も、次の日も、その人と一緒にいられるって思ったのかも」
ぎゅっと引き寄せられる。少し苦しいけど身を任せた。
「も? もおなじ?」
俺と、夜も次の日も、その次の日も、これからもいっしょにいたい?
翔陽は答えを知っているくせに、わざとらしく問いかけた。
罠に飛び込むように、いっしょにいたいよと頬に唇を押し付けながら答えてみせた。
重みがかかる。
いっしょにいたい。
この夜も、その朝も、ともに。
互いの存在を確かめるようにお互いをお互いで感じあった。
「なあっ、! 撮る!?」
「私が撮るよ」
「えー、二人で撮りたい!!撮ろう!! あっ、アザース!」
翔陽、すごく元気。
くたくたの私と違って、チェックアウトのときも到着した時と変わらない勢いで、翔陽は「顔はめパネル」の11月バージョンでの撮影を所望した。
今回も宿のスタッフさんが快く写真撮影を引き受けてくれた。
「なあっ、、どう!?」
「眠そうな顔」
「そうか?」
「私には送らなくていいよ」
「送る!!」
こんな顔のツーショットがあっても、と思うのに、翔陽はもう私に写真を送ってくれた。
朝ごはんの時も元気だし、今朝も走りにいったみたいだし、温泉に2回もつかったようだ。
「なあ、、お土産こっちにもある!!」
「私はいいから、「行こう!!」
引っ張られるまま抵抗する気力もなく、翔陽が昨日の景品に似たハロウィン人形(50%オフ)を買うか悩むのをぼんやり眺めた。
せっかくなので、入浴剤を一つ買うことにした。
ここの名物の温泉、7色の湯のミニセット。
「なあ、」
帰りのバスから電車に乗り換えて出発を待つ時だ。
肩にもたれていると、翔陽が切り出した。
「がここ来たかったのってさ、七色の温泉にぜんぶ入りたかったからだろ」
「まあ……」
温泉地に行く理由なんて、他にないんだし、そのとおりだ。
「それって俺とずっと一緒にいたいってこと?」
「……なんで?」
「朝、風呂行った時にさ、見た!!」
羽衣をおとしたことから生まれた、大変うつくしい温泉。
しあわせに結ばれた村人と天女。
二人にあやかった言い伝え。
「7色全部に入れたら、ずっといっしょで、しあわせになれるって」
翔陽がそこまで行った時、列車が動き出した。
離れて行く駅、また見えてきた川の流れをしばし眺めたのち、翔陽はまたこの話題に戻した。
「なあ、、俺、合ってる?」
こくりと頷くと、だったら、全部の時間、入ればよかったなって翔陽は言った。
ぐっと隣に体重をかける。
「、どした?」
「なんでさ、7色ぜんぶ入れたらしあわせになるか知ってる?」
「まだなんかあんの?」
決まってる。
「全部の色の温泉に入るってことは、一日中、いっしょにいるってことで」
そんなの、好き同士じゃなきゃ、やれっこない。
翔陽の手をぎゅっと恋人繋ぎしてみせる。
「……入んなくても、いっしょで、しあわせってこと」
「おぉ……! 、かわいいな!!」
「!なっ、ここ、外」
翔陽はニコニコとうれしそうに私を引き寄せた。
電車は順調に走っていく。
「、そーいうとこあるよなっ」
「なにが?」
「俺と一緒にいたいって思ってくれてる!」
「……」
「、かわいいっ。だいすきだ!」
「外だってば」
「じゃあ」
耳がくすぐったい。
これならいいだろ。
翔陽が間近でささやいて、またキスをした。
happy end.