ハニーチ

とあるIFストーリー
高3のホワイトデー




春の陽気が近づく3月の放課後、久しぶりに来た学校はやっぱり相変わらずだった。
先月もそんな感じで、きっとその次もこれからもこんな風景が続くんだろう。

もう来月はここに来ることがなくなるんだ。
寂しいような、そうでもないような。
こう何度も来ていると実感がわかないのかもしれない。

今日は部室に先輩方の荷物が残っていたと後輩から連絡があってやってきたが、行ってみれば私たちの忘れ物などなかった。
よく考えてみればあれだけ大掃除したんだし、出てくるわけがない。

代わりに受け取ったのは日向君たちの置き土産などではなく、バレンタインデーのお返し、つまりホワイトデーの贈り物だった。

淡いライトグリーンの箱に入ったクッキーだ。
断ろうとしたけど、今までの感謝の気持ちを込めてとみんなに言われたら受け取る他ない。

荷物になってすみません、と頭を下げられた。こんな嬉しい荷物なら大歓迎だ。
それに、ジャージも教科書も入っていないカバンなので、足取りはとても軽い。

思い出したように教室にも少しだけ寄ってから、下駄箱に向かった。


さあ、行かなくちゃ。



先輩!!!!!」


突如すばやく視界に飛び出してきた後輩もまたこれまでと変わらずで、違うとすればすごい形相だったこと。


「ど、どうしたの」

「いや、その、もう帰ったかと焦って」

「教室に用事があって。あ、何かあった?」


後輩は何か言いたげに顔を上げて気難しい表情になったかと思えば、ポケットに手を突っ込み、何かを差し出してきた。

それもまた、クッキーだった。
どこか遊びに行ったときに配られるような、少し大きめで横長のクッキー、それも2枚。


「ありがとう。どこか行ってきたの?」

「あ、いえ」

「義理っておっきくチョコで書いてある」

「あっ、はい。……その、あの、えっと」


試合では威勢のいい後輩も歯切れ悪く何度も言いよどんでから、『お礼です』と声を絞った。



先輩に!!……それと、日向先輩にも」

「そっか、ありがとう」


これを渡すためにわざわざ待っていてくれたのか。
そういえば彼は先月の14日もクッキーをすごく喜んでくれたっけ。

クッキー好きなのかな。

そう思った時、彼からも好きですと小さく聞こえた。

昇降口は他の部活の音だとか校舎の音がするのに、こんな時だけしっかりと耳に届いた。
感情の機微が、少しだけ読み取れた気がした。



「俺は、先輩も、日向先輩も、大好きです」


そう言った後に急に周囲をきょろきょろしだしたので何事かと思えば、先月のように日向君が出てくるんじゃないかと思ったらしい。


「あ、今日は来ないよ」

「ほんとですか?」

「うん、待ち合わせしてて学校には……あ、会いたかった?」


そう問いかけると後輩は恥ずかしそうに否定した。



「いや会いたがってたんじゃん」
先輩の前だとかっこつけるから」

「おっお前らなあああ」


他の後輩たちも彼が気になって様子を見に来ていたらしい。
3人のやり取りが微笑ましく、そしてもうこの笑い声の中から私の場所がなくなるんだなと、急に寂しさが実感として姿を現した。

だから、なのか、口をはさんでいた。



「あのね、ありがとう」



先月のことが頭によぎる。



「おかげでね、やっぱり違う日じゃダメなんだなってわかったの」



これだけじゃ私しか理解できないか。

言葉を付け足しながら、心を整理する。
2月14日の出来事を思い返す。



「ようは、その、当日にその人に会いたいと思ったら、本当に会わなきゃなって」

「?」

「うーんと、そうだな、つまりチョコが安くなるからって次の日じゃダメかもって思ったの」



会いたい人には早く会う。

勇気がないなら、どんな口実でもいいから背中を押してもらって、会いに行く。



先輩のその時々難しいの、俺、ついてけないの情けないっす」

「!ごごめん、いいの、ごめん」

「いや先輩は日向先輩に今日会いに行くってことだよ」

「!」

「何度ふられても突っ込んでいく姿勢、尊敬するわ」

「な、そ、そんなんじゃねーってもう!!」


今度は気恥ずかしさもあって言葉を挟めずどうしたものかと見守っていると、一人が気付いて手を軽く振ってくれた。


「いっていいですよ」

「ご、ごめんね、なんか」

「いや。日向先輩によろしく言っといてください」

「うん」

「あ」

「え?」


後輩は何か言おうとしてやっぱりやめたようだった。

今度言いますと付け加えられた。
きっとその“今度”がすぐ来るはずだ。


もう、すぐか。

後輩たちの喧騒を背にして、私も向かった。

大好きな人のもとへ。




















待ち合わせ場所にしたお気に入りのケーキ屋さんに入って、そっと中の様子をうかがう。
すっかり人気の店になって、お店自体も広くなり、イートインスペースも出来ている。
小さなテーブルもちらほら埋まっていたけれど比較的空いていてよかった。

待ち合わせしたその人は誰もいないカウンター席で突っ伏して眠っているようだった。
静かにそのテーブルに近づいた。

驚かせようと肩をふれる前に、日向君が飛び起きた。


!」

「び、びっくりした」

「なんで?」

「だって、肩さわる前に気づいたから」

「あ、きた!って感じしたから」


それがすごいんだけどな。
つねづね、日向君には背中にも目があるんじゃないかって思う。

日向君は席を変えるかどうするか続けて聞いてきたけど、かまわずにここに座った。
ケーキを買う人から少し見えるけど、目元から上くらいだし。


「ありがとね」

「なにが?」

「制服で来てくれて」


お礼を口にすると、これぐらいなんてことないと日向君が笑った。

制服姿の日向君を見られるのももう最後だからとついワガママを言ってしまった。
今日は、念願だった制服デート、しかも大好きなケーキ屋さんとくればしあわせに決まっている。
ホワイトデーだから好きなもの頼んでいいって言ってくれてるしお言葉に甘えよう。

好きなケーキと飲み物を注文し、待っている最中に日向君がそれを見せてくれた。



「わー、新しいスマホだ」

「今日変えた!」

「いいねー、あ、ちゃんと画面シートも貼ってある」

「こういうのちゃんとしといたほうがいいってみんなに教わったから」



先月壊れかけたガラケーから真新しいスマートフォンへ。

日向君の身近な変化に時の流れを感じる。



「ケースも早速付けたんだね」

「絶対すぐ落とすって言われた」


なんとなく言われてる構図が目に浮かぶようだ。


「でも日向君なら落としてもキャッチできそうだけど」

「自分でもそう思ってたけど」

「けど?」

「足が出た!」

「足!!」


そういえば、試合中も、何度か手の代わりに足が活躍した場面があったような。

日向君は渋い顔をして腕を組んで先月ガラケーを蹴っ飛ばしてしまった状況を語った。
それはスマホケースでも対応してくれなさそうだなと思いつつ、日向君のスマホを撫でた。


「確かに慣れないと落としやすいよね」

も?」

「うん、サイズ感かなあ」



自分の機種も取り出して、日向君のと並べてみた。
どちらもガラケーよりは大きい。

自分の手も重ねてみる。



「ほら、やっぱり大きい」

の手が小さいんじゃない?」

「そりゃ比べたらね」

「手貸して」

「なにするの?」

「こうする」



重ねられた両手はそのままぎゅっとされて隠すように机の下におろされた。

なんてことないのに、外だとやっぱりドキドキする。

二つのスマホをじっと見つめる。
同じ年月を経たはずなのにおそろいのストラップの様相が異なる。
確かに日向君はしょっちゅう落としていた気もする。


「アドレス帳も全部入ってるの?」

「ん、お店の人に入れてもらった」

「じゃあもう使えるんだ」

「でも壁紙とかパスワードも初期のままだよ」


壁紙はいいけどパスワードはちゃんと変えておいた方がいいような。

そんなことを口にしたら日向君はさっそく設定画面を出してスマホとにらめっこした。


「なんにしよう」

「暗証番号と一緒はダメだよ」

「覚えんの苦手だ。は何にしてんの?」


そんなオープンに話せないけれど適当に決めていると答えれば、適当なのは覚えられないと日向君は肩を落とした。



「じゃ、私の誕生日とか」

「それいい!」

「え! 採用?」

「採用! あ、桁が足りない」

「ゼロで埋めるとか、日向君の誕生日続けるとか」

「それだ!」


いろいろ教えつつこのままだと日向君のスマートフォンは私が開けられちゃうんじゃ。

特に見る気はないけど、いいのか?と疑問が浮かぶ。


「設定できた!これでばっちり」

「ばっちりなの?覚えてる?」

「もちろん!すげー覚えやすい」

「ならいいけど」


ちょうど店員さんが注文したメニューを運んできた。

日向君がショートケーキで、私はザッハトルテに生クリーム添え。
ホワイトデーだからと小さなハート型のチョコレートも添えてあった。

早速食べようとする前に浮かぶ、いたずら心。

フォークを持っていただきますをした日向君をじっと見つめる。


「ねえ」

「ん?」

「いちごちょうだい、翔ちゃん」

「!!」

「ちょ!危ないよ!」


日向君が驚きすぎて椅子から落ちかけたので慌てて腕を引っ張った。

そこまで驚かなくてもいいのに。


「いやっ、だって! い、いきなりだったし……が、その」

「ごめん」

「い、いいけど。むしろ嬉しいけど、その、すげぇかわいいから、使いどころ気を付けてくんないと」


今すごく褒められた気がするけど、恥ずかしいのでスルーした。

日向君がいそいそとケーキの上のてっぺんのイチゴと生クリームをフォークで運んでくれた。


が可愛かったし、ホワイトデーだし、あげるっ」

「やった!」

「あー?」

「あー、ん」


口に広がる甘いイチゴを味わう。


「ほんっとに、は、んまそうに食うよなあ」


日向君が軽く頬杖をしてこちらを見た。



「そうかな?」

「そう」

「でも、翔ちゃんもおいしそうに食べてると思うけど」


日向君はずるっとカウンターから落ちかけた。
少し、おもしろい。


「!だーから」

「なに?」

「なにじゃなくて……」


まだ動揺を隠せない日向君に、思わず笑いを噛みしめる。
口の中の甘酸っぱさは十分に堪能したので、今度はザッハトルテにフォークを立てた。


「はい、こっちのも一口あげるから」

「……」

「ここね、これもおいしいから。ねっ」


いつもならすぐにぱくっと食べるはずなのに、日向君が飛びついてこない。
まさか、すねた?





「いーよ、おれは。


 その、 こっちで」




フォークは無視され、気が付いたら唇のすぐ横に日向君が口づけていた。

このままさっきの日向君みたく椅子から落っこちかけて、日向君の腕が背中に回って支えられた。

店内のBGMと数人のおしゃべりがさっきと同じように続いているのに、急にここだけ音がなくなったみたい。

呼吸するのも忘れそうな私と違って、どこか喜々としてみえる日向君の足を戒めるようにはたいた。


「いてっ」

「そんな、力入れてない」

「へへ」

「……もー」

「だってさ、可愛かったから」

「だからってこーいうところで、その、そういうことしたら……」


誰かに見られるかも、


そう言葉にする前にちょうどカウンターから見えるお客さんと目が合った。

うそ、
 でしょ。



「つ、月島!!!!」


名前を呼ばれて眉間にしわを寄せる姿が、そっくりさんでもなんでもなく月島君本人だと実感させてくれた。



「あ、気にしないでください。商品受け取りに来ただけなんで」

「ちょっと待て」

「知り合いじゃないです」

「待てって!!!」


「あ! ひな、た、くん……」


行っちゃった。
走ると日向君はすぐいなくなっちゃう。

追いかけてもどうせ追いつけないし、ケーキも食べかけなので、戻ってきてくれるのを大人しく待つことにした。

ぱくり、


ぱくり。


まさか、まさかさっきの見られたかな。

今さら時間は戻せないので、悶々としながら目より上しか見えなかったから大丈夫と自分に言い聞かせた。
ケーキを小さくつついていると日向君が戻ってきた。



「お、おかえり」

「ちゃんと言ってきた!」

「な、なにを」

とキスしたこと言うなって!」

「声おっきい!!」

「ごっごめん!」



なんともいえずお互い黙ってケーキと飲み物を口にした。



、お、怒った?」

「……怒ってないよ」

「ほんとう?」

「ほんと」

「はあ、ならよかったあ」


心底安堵してみせる日向君につい笑いをこぼしてしまった。
それを見て、日向君もつられて肩の力が抜けたようだ。



「おれ、誰かになに怒られてもいいけど怒らせんのが一番いやだ」

「そんなに怖い?」

「怖いんじゃなくて! 大切だから」

「ん、そっか」


二人でごちそうさまをしてお店を後にした。



「あ!」

「今度は何?」

と電話できるアプリ入れようと思ってたのに!」

「今やる? あ、でもwifiあった方がいいかな」

「わいふぁい?」

「あれ、家にwifi入ったって言ってなかったっけ?」

「あ、あれか!忘れてた!」

「ずっと電波悪かったもんね」


日向君の家を脳裏に思い浮かべた。



「じゃー、おれん家来る?」



今日はまだ日が明るかった。冬に比べればどんどん空が明るくなっていく。

久しぶりにお邪魔するのもいいかもしれない。



「あ、でもお土産ないけど」

「いーよ!」

「あ」

「ん?」

「これ」


後輩からもらった2枚のクッキーのうちの一つを差し出した。

日向君が不思議そうにそれを眺めた。



「義理?」

「あのね、後輩の子がくれた」

「あいつか!」

「うん、日向君にもって」

「そっかあ」


後輩たちのことを話している時の日向君は、はじめて後輩が出来た時に見せていた輝きが滲んで見える。

今日はバスで日向君の家に向かう。

いつも二人で待っていたバス停、一緒にバスに乗れる、ただそれだけでうれしかった。

二人で並んで座った。



の新しい部屋、今度行ってみたいな」

「来てきて、あのね、ちゃんと布団とベッド両方あるの」

「えっ」

「誰かが来た時に泊まれるようにちゃんと考えた」

「あのさ」


日向君が少し寄りかかって耳元でささやいた。



「それ、意味わかって言ってる?」



彼の吐息がかかってぞくっとして耳をおさえた。
そんなつもりじゃなかったのに、そう言われたらいたたまれなくなる。
そういう日向君もやっぱり恥ずかしそうで前を向いたままだった。


「そ、そんなこと言われたら部屋に呼べなくなる……」

が、自覚してないから」


肩に重みがかかって、彼のふわふわとした髪が頬にふれた。
春みたいだ。あったかくて、とかされてしまいそうな。



「ねえ、さっきみたく触っていい?」


小さく届く声と感情、今日はよくキャッチできるみたいだ。

ぎゅっと、隠すように手をつないだ。
やっぱりドキドキした。



end.  and happy white day!!