ばいばい
この光景を、また繰り返した。
「!!」
目を覚まして身体を起こして肩で息する。やっと夢だってわかった。
さんがトスを上げてくれた登校日、さんが走って行く光景をまた夢に見た。
夢の中でも振り払われた手を、握りしめる。
まだ家族が寝ている頃、走りに出た。
この時間帯だとまだ涼しい。
走りながらまた思い出す。
ばいばい!
いつもと同じ挨拶、なのに、さんがもっと遠くなる気がした。
*
「翔ちゃん、聞いてた?」
「!なんだっけ」
意識が戻る。手元のボールが陽の当たるほうまで転がって取りに行った。
今日何回もそんなふうだったから、イズミンもコージーも呆れた感じでため息をついた。
「今日の翔ちゃん、上の空だよね」
「そっそう?」
「キャッチボールしてても何回もすっぽ抜けたしな」
「たまたまだって!」
「もしかして、花火大会、さん誘いたかった?」
「え!! あっ」
せっかく取りに行ったボールをまた落とす。
「図星だな」
コージーが木陰のベンチに座ったまま両腕を頭に回した。
「ちっちげーよ」
「ほんとか?」
「なんでさん……」
「誘いたいだろ」
「さ、そいたいとか、そういうの。それどころじゃ、ないし」
また、浮かぶ、さんの後ろ姿。
なんで、こんな思い出すんだ。
ボールをつかんでるのに、さんに触れた一瞬が指先に戻る。よろけて見えて、危ないって思って、それで。
がしっとコージーが肩を組んできた。
「なにっ?」
「どうなんだよ、ちょっとは進んだのか?」
「な、なにが? 宿題ならまだ、もうちょっと、いや、全然、だけど」
「なんでこの流れで宿題になんだよ。こないだ映画デートしてただろ」
「で、デート……!!」
「お、翔ちゃん、さん誘えたんだ」
「さっ誘った!けど!!」
「けど?」
「そのあとコージーと夏目も一緒になったじゃん! 変に思われること言うなよなっ」
「あれ、二人もあの試写当たったんだ」
「いや千奈津が当てた」
「二人仲いいね」
「ほら!!」
「なに、翔ちゃん」
「おっおれとさんも仲がいい!」
そう宣言すると、二人ともぽかんとしてからこくりと頷いた。
「知ってる」
「だから! で、デートとか、そういうんじゃ……」
急に、あのときのさんが浮かんで、エレベーターの中でのこともうっかり思い出す。
くっ、忘れろ、腕に当たったの!!
「翔ちゃんどうしたの、急に頭抱えて」
「じ、邪念を振り払ってた」
「はあ?」
「と、もかく、おれとさんは仲いいからっ。そ、それだけで」
また浮かぶ。『ばいばい』って言われた時のこと。
仲がいいなら、そのあとメールしたってよかった。電話だってかけてもいい。
それが、できなかった。
「翔陽がそんなんだと、夏休み明けたらに彼氏できてたりしてな」
「はア!?」
「たしかに夏休みに作る人、多いよね」
「だっ誰と!?」
「おい、服引っ張るな!」
彼氏とか、彼女とか、考えたことない、とは言わない、けど。
「だからさー、ぼやっとしてないで、「何て、言えばよかったんだよ」
「え?」
「あのとき、なんて言えば……」
さん、こっち見なかった。
手、振り払われた。
女の子だから、触られたくなかったのかもしれない。
でも、今まで、あんな風に強く、“拒絶”されたことなかった。
「翔ちゃん?」
「なんかあったのか?」
「ないよ! なんにも」
なんにも、ない。
メールしない日もこれまでいっぱいあったし、電話だって用事のある時しかかけないし、学校で会えるのも夏期講習とかいろいろあったからだ。
全部なくなっちゃえば、今日みたく友達と遊んだり家にいるのはふつうで、さんと会わないのも、これまで通り。
それが、普通だった。
「ぐあっ! な、なに、コージー!水!?」
「よくわかんねーけど頭冷やせ」
「わっ、ちょ!!濡れる!!」
「濡らしてんだよ!」
「俺までかかる!!」
公園にある水道水で遊んでいたら、道を歩いてた大人が変な顔してこっちを見てた。
もっと蛇口をひねって水をかけあうと、水がキラキラして眩しかった。
コージーもイズミンも濡れてる。けど、おれの服が一番濡れてて、水が滴っていた。
「びちょびちょだ」
「ちょっとは涼しくなったろ?」
「確かに気持ちいいよね」
「……」
「翔陽?」
Tシャツを絞る手をとめると、ぽたぽたとコンクリートに水滴が落ちて、ゆっくり流れた。
「翔ちゃん?」
「おれは、コージーも、イズミンもみんなすきだ」
「なっなんだよ、急に」
「この好きは、なにが、ちがうんだろ」
友達の好き、家族の好き、バレーが好き、遊ぶのが好き、学校が好き、勉強もっ、眠くなるけどわかったときは嫌いじゃない。
野球もサッカーもバスケもゲームも、同じクラスのやつも、別のやつも、近所の人も、先生も、商店街の人も、同じじゃないけど同じ好き。
さんは、他の誰とも、なにとも、ちがう。
なんとなくわかるけど、まだわからない。わからないけど、わか、りたい。このままじゃ、いやだ。
「あ、頭こんがらがってきた」
「落ちつけ!」
「水、翔ちゃん水飲みなよ!!」
今度は水道水で喉を鳴らした。
ごっちゃになった頭の中、すっきりはしないけど、冷たい水を飲んだら少し楽になった。
「イズミン、ありがとう!!」
Tシャツの袖で口元をぬぐった。
「考えすぎじゃない?」
「え?」
「友達はそりゃ大切だけどさ。本当に一緒?」
友達、さん、想像する。
「他の女子と……、例えば夏目と比べてさ、ほんとに同じに思う?」
「……」
「えーっと、もし二人が重い荷物運んでてさ、まずどっちを助けたい?」
「俺は先にだな、アイツはほっといていい」
「それは幼なじみとしての信頼じゃん。そうじゃなくて「おれは」
想像した、誰かとさんがいたとする。
「おれは、どっちも、助けたい」
重い荷物なら尚更、最初から分けて運べばいい。
「例え、悪かったかな……」
「イズミンはどっちかしか助けない?」
「え」
「コージーはさん手伝うって言ったけど、夏目のこと全然助けない?ほんとに?」
「翔陽……」
「わかんないよ、おれ」
もし誰かを助けるんなら、みんな助けたい。
順番はあるかもしれないけど、そんなの、その時になんないとどっちから助けるかわからない。
ただ、脳裏に浮かぶのは、さんで。
想像の中の『他の誰か』はふわってしてんのに、さんだけははっきりしてる。
あの時のまま、離れてく後ろ姿がまた浮かぶ。
さんは、あの時、どんな顔してたんだろう。
急いでただけ?本当に?
なんで、いつもみたく動けないんだ、おれ。
「二人は、
……誰か、
好きになったこと、ある?」
そんな話、今までしたことなかった。
考えたこともなかった。
たった一人の女の子を思い浮かべる。
それだけで、なんで、こんな気持ちになるんだろ。
二人はどこかそっぽを向いて、さっきよりも声を潜めた。
違うスキ、友達の知らない顔、こんなに一緒にいたのに気づかなかった。
イズミンも水を飲んで、腕で汗をぬぐった。
「なんかさ、暑すぎない?」
「だな……、アイス買い行くか。なっ、翔陽」
「う、うん」
「決まりっ」
いつもの店に向かいながら、ずっと頭の片隅にはさんがいた。
「そういえば、さ」
「ん?」
「翔陽、今度は何だよ」
「お、おれの好きな人、さんっ、みたくなってない!?」
言ったこともなんにもないのに、なんでそうなってるんだ。
「「……」」
「なんで黙んの!?」
next.