「、それなに?」
翔陽は、私のおぼんに載せられている、見慣れない色した缶に気づいた。
席は4人掛けだったけど、向かいではなく隣に座った。少しでもくっつきやすいように。
「ブラジルのビール」
「ビール!?」
「お酒、飲んだことないでしょ? 今日で二十歳だし、いっしょに飲もう」
と言っても、缶1本分。
感想を聞いてみたかっただけだ。
日本じゃ当たり前だが20歳になっていなかったから飲んだことないはずだし、こっちで飲むこともないだろう。
そもそも筋肉をつけるのにアルコールがよくないとも聞いたことがある。
「ほら、乾杯しよ?」
翔陽は、ペットボトルの水を買っていた。
缶のプルトップは簡単に開いてくれなかった。日本のものと違って、ものすごく固い。
「貸して」
自分で出来る、と意地を張る気力はもうないので、素直に渡すと、翔陽はいっしゅんで缶を開けてくれた。
炭酸のはじける匂いがした。
惚れ惚れと眺めていると、缶を手渡された。
「ありがとう」
「どういたしまして」
なんだか眠気が増した気がしたけど、無視して缶を手に取った。
「じゃあ」
「かんぱい!」
「乾杯」
缶とペットボトルをコツン、と当てて、まずは一口。
異国のアルコールの味は、なんというか、これがビール……、という味だった。
翔陽がしげしげと私を眺めた。
「どう?」
「ビール……」
「んまい?」
「わかんない」
こちらの表情で味を察したらしい翔陽が笑った。缶を差し出すと受け取ってくれた。
ひとくちだけだよ、と念押した。
ごくり、翔陽がビールを口にした。
「……どう?」
「んっ、なんか、にがい……炭酸」
確かに、そんな感じかも。
はすきなの?と質問しながら、缶をおぼんの隅っこに翔陽が戻した。
「んーん」
「じゃあ、なんで買ったの?」
「翔陽のはじめてが欲しかったから」
となりの翔陽が水をむせてしまったから、ティッシュを取り出した。
「ねえ。 変なこと言った?」
「言って、ない」
翔陽が受け取ったティッシュで手元をぬぐって、一呼吸置いた。
「言ってない」
「顔、赤いよ?」
「えっ!!」
「そうでもないか。じゃ、いただきます」
「……」
翔陽の視線を浴びながら、名物だけど変な味と称された料理をひとまず食べてみた。
たしかに独特のスパイスの香りが口いっぱいに広がる。好みがとても分かれそうな味だった。
せっかく買ったビールを手にして流し込もうとしたけど、この飲み物だって好みじゃなかったから、代わりに翔陽のペットボトルを勝手に取って口をつけた。
その様子を眺めていた翔陽が、ビールの缶に手を伸ばした。わざと遠くに移動させた。
「慣れないの、身体に響くから」
翔陽の初めてが欲しかったけど、全部飲み干してほしいわけじゃなかった。
慣れない飲み物が、スポーツ選手の身体にどんな影響を及ぼすかわからない。
私はわがままにも翔陽がはじめてアルコールを飲む瞬間を作ったけど、それ以上はやめさせたかった。
翔陽は怒ることはなく、素直に、まだほとんど中身の減っていないビールをどうするつもりか尋ねてきた。
そう、残念ながら350mlもある。
翔陽が身体によさそうなサラダを頬張った。
「、よく飲むの?」
「んーん、全然」
飲める年齢になったと同時にガンガン飲み会に出ている知り合いはもちろんいる。
体育会系だとそういう場も多いだろう。
翔陽がよく噛んで食べるのを真似て、同じように口を動かした。
「おいしいって言う人もいるけどね」
ちびちび、と、缶の中身を口にした。
やっぱりもっと飲みたい気分にはならない。
海外で人気だけど好みの分かれる炭酸飲料みたく、飲んでるうちにハマるんだろうか。
さっきより頭がぼんやりするのは、アルコールのせいか、それとも単純に時差ぼけか。それとも。
「あ」
翔陽に缶を取り上げられた。
返して、と叫ぶほどのことでもなく、どうするつもりかと見守っていると、翔陽はまるでCMみたくごくごくと喉を鳴らした。
余りにも自然だったから止める間もなかった。
ぜんぶ、飲む気かな。
翔陽がせき込んだから背中をさすった。
「だっ大丈夫?」
「まずい」
「なんで飲むの? 残していいのに」
ペットボトルのふたを開けて手渡した。
「ほら、口直し」
「がさ」
翔陽が水を少し飲んでから続けた。
「飲んでるとおいしそうにみえた。
これもっ」
あ。
変な味だと言っていた料理をみずから進んで口に入れた。
明らかにうげ、といった感じで表情を変えた。すかさず自分のお皿の上にあったおかずで口直ししていた。
さすがに呆れて自分の食事に戻りつつ、となりを見た。
「あのさ、変な味だって知ってるのになんで食べるの?」
観光客ならわかるが、味を知ってる人がわざわざつまむ必要はない。
翔陽は淡々と答えた。
さっきのビールと同じだと。
「が食べてるとさ、おいしそうにみえる」
「えぇ?」
自分では、変な味だなあという感想を持って食べていたつもりだ。
翔陽が首を横に振った。
「、こんな顔してたっ」
翔陽がだれかの物まねをするみたく、私の表情のつもりか、大げさなほどしあわせそうにポーズを決めるから口を押さえて笑った。
「してないよ」
「してたっ、こんな感じ!」
「ねえ、笑わせないで、食べれなくなる」
それぞれのお皿の上に、料理が中途半端に残っている。
ほんとうは、とっくに満たされていた。
「……」
「……」
ふと、店内のテレビの音が耳に入ってきた。
カウンター席のお客さんが入れ替わっていたのにも今気づいた。
翔陽が私の肩に触れた。
していい?
こんな食事の最中はな、と冷静にストップをかける思考回路はもうおやすみタイムのようだった。
私は一つ頷いた。
そうして、またひとつふれあった。
炭酸と、スパイスと、透明な糸。
「きもちいーねー」
夜風が心地いい。
返事はなくて、代わりに翔陽が私の頭をなでた。
お店を後にしてからは歩いて海を目指した。
途中、観光客向けのお店もあったけど、穴あきのクロスワードのように所々店じまいもされていた。
暗くなったショーウィンドウの向こうには、たくさんの観光スポットを模した置物が所狭しと飾られ、翔陽と見に行った夜景と昼間の風景のタペストリーが飾られていた。
ポストカードを買おうと思ったけど、ちょうどお店は暗くなった。
食事をのんびりしすぎたらしい。
海外から日本に手紙を出してみたかったのに。
しょげていたら、翔陽が、ガラスのドアに張り付いて真っ暗な店内を凝視していた。
なにやってるのかと思った。
「、どれ?」
「え?」
「が欲しかったカード、あの国旗のやつ?」
「そっちじゃなくて……」
本当は、他のお店を探すなり、明日買えばいいって思いつけばよかったのに、二人して疲れていたのか、そんな発想が出てこなかった。
閉まっているお店の前で、あれが欲しいと指差し、どれ?って聞き返され、わーわーと話している内に楽しくなった。
結局、翔陽が私にポストカードを出してくれることになった。
「いいの?」
「いいって言ったろ」
「住所わかる?」
「もちろん!!」
二つ返事でいきなり私の住所を言い出すから、慌てて翔陽の服を引っ張って制した。
不用心だ。ここはブラジルとはいえ、誰が聞いているともわからない。
そう主張すると、翔陽も確かにとうなずいた。
「私も日本から出そうかな」
「なにを?」
「クリスマスカード」
年賀状がいいかと思ったけど、ニューイヤーカードよりはクリスマスの方が一般的かと想像した。
あ、でも、ルームメイトのひとやお世話になっている人に迷惑かな。
「それはないけど」
「けど?」
「電話がいい」
ちょうど信号が赤になったのもあって黙って足を止めた。
道路の向こうに海が見える。
ビーチバレーをする人たちも目に飛び込んできた。
ここが、今の、翔陽のいる場所。
「、行こっ」
手を引かれるまま、少し遅れて踏み出した。
広がる景色に圧倒される予感がした。
踏みしめた砂浜は、どこの国でも同じであるようにも感じたし、気持ちさらさらしているかとも思った。
いや、同じか。
砂の専門家じゃないのでよくわからなかった。
こんな時間でもビーチバレーをする人がいるんだなと、手についた砂を払いつつ眺めていた。
楽しそうだった。
「翔陽」
「ん?」
習慣なのか、準備体操のように屈伸をしていた翔陽が動きを止めた。
「こういうのって飛び入り参加できる?」
「できる。 ダメだからな」
間髪入れずに翔陽は言った。
「まだ、なにも言ってない」
「、今日かなり無理し……、させたから試合は無理。 危ない」
バレー教室の手伝いもしているだけあって、昔よりも生徒を見る目が厳しいらしい。
まだビーチバレーの“ビ”の字すら言ってないのに禁止された。
翔陽の腕を取って抱きしめてみると、相変わらずどこか緊張した様子を見せたけど、首を縦に振ってくれそうになかった。
ただ、自分でもさすがに今日はビーチバレーをする元気がないとは思っていた。もう、体力の限界ではあった。
翔陽の腕にもたれながら、できる限り、自分の持ちうる可愛さをかき集めて甘い声を出した。
「ねぇ、しょーよー」
「……そ、そんなかわいくしたってダメだからなっ」
「じゃなくて」
「ん?」
「翔陽は、ビーチバレーする元気ある?」
愚問かと思ったけど、念のための確認だ。
私の体力がなくなっているのは、時差ボケと飛行機のせいもあるけど、翔陽だって大きな要因の一つだ。
その本人だってきっと体力は落ちているだろう。
しかし、翔陽は『何試合?』って予想以上の返答をくれた。
あきれた。
「私を放って何試合する気なの?」
「えっ、いや、が聞くからつい!」
「1試合っ」
ちょうどビーチバレーをしていたコートの一つで試合が終わった。
ちらほらとこっちに視線が集まっているのに、私も気づいていた。
ショーヨー、ニンジャ、バレー。
聞いたことのある英語と似たような響きの他国の言葉が、海の音といっしょに耳に届く。
一人の男性が片手をあげて近づいてくると、翔陽もああ、といった感じで挨拶をした。
今度は私が翔陽から離れた。
「いってらっしゃい。
みてるね」
ここで、あなたを、みている。
翔陽は一瞬目を丸くしてからズボンのポケットから何か取り出して、『持ってて』と放った。
サングラスだった。
来た時にかけていたものだ。
ホテルの部屋に置いてくればよかったのにと思いつつ、きちんとキャッチしたそれを胸元に引っ掛けた。
ライトに照らされたコートは、体育館とはまた異なる場所だった。
二人と二人。
観光客が遊んでいる他のコートと違い、少しは腕の立ちそうな雰囲気の男の人たちのなかに、翔陽は混ざっていた。
ここが、翔陽の場所。
私の知らない言葉でコミュニケーションを交わしている。
相手の人たちの連れのひとだろうか。
男の人に話しかけられてびっくりした。
酔っているようで、飲み物を一つプレゼントされた。
Present for you.
楽し気な響きを持った英語だった。
こっちの言葉でありがとうを告げ、ショーヨーが誕生日だから喜ぶと話すと、もう一本プレゼントされてしまった。
恐縮している内に、翔陽たちに点が入った。
みてるって言ったのに、さっそく見逃してしまった。
もらった缶2本は、お店で頼んだのと違う銘柄のビールだった。
next.