「すげー!すげー!!すげー!!! さん、どこ行ってたの? 俺はブラジル!」
日向くんがものすごい勢いで話しかけてくる。
日向くんってこんな感じだったんだ。
1人でバレーしてるイメージが強かったから、ちょっとびっくり。
人当たり、よさそうだったもんな。
ブラジルへは旅行じゃなく、バレーボールの修行だったらしい。
2年? 修行??
留学じゃなくて?
混乱していると、日向くんが『見る!?』とスマホを取り出した。
偶然視界に入った待ち受け画面は、真っ黒のジャージの5人。日向くんもいる。
すぐ、わかる。
烏野高校バレー部のジャージだ。
日向くんがロックを解除する。
ホーム画面に切り替わった。
「さん、ちょっと待ってて」
「あの」
「ん?」
「日向くん、烏野高校だったんだね」
日向くんはスマホを触る指を一瞬止めて、嬉しそうに頷いた。
そうだよ、烏野。声を弾ませ。
烏野バレーボール部。
その事実が胸に光を灯す。
理由を辿る前に、日向くんが続けて私の高校名を言い当てたことに気を取られた。
「さん、学校行く時、たまに見かけた」
「どこでっ?」
記憶の中の通学路に、日向くんはいない。
「バスっ、たまにだけど。
俺は朝早かったからテスト前なんかで時間遅い時に見かけた」
声かけてくれてもよかったのに、と思ったけど、日向くんは自転車通学だった。
私はバス通学、そんな状況で見つけられるもの?
日向くんは得意げに言う。
目がいいから見つけられたって。
そっかー……、……いや、待って。
目がいいだけではちょっと納得できない。
「なんで??」
「人いっぱい乗ってたし、私、本読んでたし」
「中学でも読んでたよなー……あれさ、いっつも何読んでたの?」
「なにって、雪ヶ丘の100冊とか……」
「そんなのあったんだ!」
「読書感想文の指定図書だったし、日向くんも読んでるはずだけど」
「し、指定図書……、読書感想文……って、なんだっけ」
「そこから!?」
気づけば、懐かしい記憶が次々と紐解かれる。
親しくなかったとはいえ、私たちは同じ場所で同じ時を過ごしていた。
3年間、同じ学び舎で、考えてみれば同じクラスだった。
「さんと俺、しゃべったことなかったね」
落ち着いたトーンで日向くんがこぼした。
日向くんの言う通りで、なんて返事したらいいかわからずにいると、飛行機が揺れた。
飛行機のエンジン音がどんどん大きくなり、一気に加速し始める。
窓の外を見た。
空港の景色が、どんどん過ぎ去っていく。
日向くんがまた興奮した様子で、飛ぶっ!?と窓のほうを向いた。
「飛ぶね、ほら」
言った瞬間、ふわりと体が軽くなった。
重力をいっしゅん忘れる。
加速度を全身で感じる。
すごい音と共にぐんぐんと高度が上がっていく。
地上にあるすべてが小さくなっていく。
不意に飛行機が揺れて、身を乗り出して同じように窓を覗いていた日向くんと肩がぶつかった。
ごめん。
日向くんが戸惑った様子で自分の席に座り直す。
「いいよ。 こうしたら見やすい?」
自分のシートに深く座り込むようにした。
日向くんは少し背もたれから離れて、さらに遠のいた景色を覗き込んだ。
アメリカだ。
日向くんが感嘆する。
私のはじめて訪れた自由の国が遠ざかっていく。
自分の体験してきた全てを反芻した。
知らない世界は、まだ、たくさんある。
飛行機が更に高度を上げ、大きく揺れた。
*
しばらくして機体が安定し、シートベルトのマークが消灯した。
機内が少しだけ明るくなる。
後ろのスペースで乗務員の人たちが色んな準備をせわしなく始めていた。
「さん、さっき見せ忘れたけどさ。
動画みる?」
そういえば、話題が移って、日向くんが見せると言ってくれた何かを見れていない。
「何の動画?」
「俺スゲー動画!」
「あー…… 歌ってみた、とか?」
「歌うの好きだけどちがう!! バレー!」
「見たい!!」
「じゃー見せましょう!!」
「お願いします!」
日向くんがさっそく動画を再生すると、なんだか気分が上がる音楽が大音量で流れ出した。
「ち、ちょっとたんま!!」
慌てる様子につい笑ってしまう。
通路側にカートを押す乗務員の人が通り過ぎていった。
そっか、もう飲み物と食事の時間か。
「さん、これでいける! つけて!」
「あ、りがと」
イヤホン、コードレスではないやつ。
こういうのって身につけるものだし使っていいか迷うけど、相手から差し出してくれたから素直にはめた。
もう片方は日向くんがつけた。
テンポのいい曲がもう一度流れ出す。
日向くんの映像が、音楽と共に動き出した。
カッコよくスパイクを決める日向くん。
とぶ、
飛んだ、
すばやく現れ、颯爽とボールを撃ち抜く。
かと思えば、不意をつくやわらかなタッチ。
一斉に飛び出てきた選手たちに気を取られるとすぐまた強打が決まった。
「すご……」
慌てて口元を押さえる。
日向くんもイヤホンしてるんだし大丈夫か。
いくらどの映像もすごいからってぼんやりしすぎた。
日向くんの映像が終わると、次の選手の動画が途中でプツン、と切れた。
たぶん烏野の選手の人たちの動画の日向くんのところだけを切り出したと思われる。
ありがとうとイヤホンを返すと、日向くんがどうだった!?と瞳を輝かせた。
「すごかった!!」
「へへっ」
「日向くんのバレー……」
私のなかの日向くんが塗り替わる。
「すっっごく、カッコよかった」
日向くんが視線を横に流してほっぺたをかいた。
「ま、まだ他のもあるけどっ、さん、見たいなら見る?」
「見る!!」
ちょうどキャビンアテンダントさんがやってきた。
興奮冷めやらぬ私は、水分を欲していた。
氷入りの飲み物を飲むと、内側の熱がより一層際立った。
*
日向くんの動画はたくさんあった。
高校時代のものから、修行中のビーチバレーのも。
いま現在、日向くんはニンジャショーヨーとして少しばかり有名らしい。
「たしかに、忍者っぽいかも」
「そうっ!?」
「ここの、ほら、6分21秒のところとか」
風に流されて変わるボールの軌道に合わせ、日向くんが移動してトスをあげる。
また巻き戻して再生。
この動きにつながる、その前の一歩の踏み込みもいい。
「さん、バレー好き?」
ドキッとしたのは、日向くんとの距離が近かったからか、それとも。
ちょうど食事のプレートが入ったカートが近づいてきた。
乗務員の人がメニューを聞いてくる。
私はビーフで、日向くんがチキン。
何ご飯かわからない食事のはじまりに、日向くんからの問いかけを脇に置いた。
*
「もしかして、こっち、食べたかった?」
飲み物をチョイスして、さあ、いただきます、と手を合わせた時に、そんな雰囲気を察知した。
日向くんは首を横に俊敏に振ったけど(スポーツ選手ってこんなときも身体能力発揮するんだ)、なんとなく勘が働く。
そんなに心動くメニューって訳じゃないけど……
あ、わかった。
「日向くん、和食がよかった?」
「そ! そんなことは!ないっ」
「交換する?」
「いいの!?」
ビーフが牛すき焼きで、チキンが洋風のトマト煮みたいなの。
食材の説明しかなかったし、こだわりもない。
すぐ交換を受け入れると、日向くんが大げさに喜んだ。
「貴重な和食チャンス、ありがとう!」
「ううん、私は海外で修行してた訳じゃないし。
向こうって、日本食なかったの?」
「あるにはあるけど……高い!」
「あぁー」
旅先で覗いたスーパーでも、この日本の商品がこんな値段なんだってビックリしたのを思い出す。
日向くんはひどく真剣な面持ちで、日本の納豆だとか、豆腐なんかの値段を教えてくれて、修行中の身としてはなかなか手が出なかったことを教えてくれた。
「でもすごいね、色々考えて食べてて」
食べることは生きること。
そんなことはよく聞くけど、実践できている人はどれだけいるんだろう。
スポーツ選手は身体が資本だから当たり前だろうけど、話を聞くだけでその大変さが想像できた。
「毎日が俺を作ってるから!」
「そう、だね」
「どうしたの?」
食べる手をとめた私を、日向くんは不思議そうに覗き込んだ。
「いや、日向くんの話聞いてたら、私、もっと気をつけたほうがいいかなって」
まさに食べようとしたデザートは、アメリカンなカラーだった。
日向くんも同じデザートに手を伸ばした。
「そうだけどっ、こういう日は例外!」
「日向くんの一部になるのに?」
いかに不健康そうなのに、日向くんは大きく一口ぱくり、食べた。
甘かったらしい。とても。
お茶を飲んでいた。
「なるけどっ、身体だけで食べる訳じゃないから!」
「そっかあ」
そうだよな……
このスプーン一口で私は作られる。
けれど、私は身体だけじゃなく精神も合わさって“私”になる。
心は、この見たこともない食べ物をチャレンジしたがった。
パクリ、その一口分のチャレンジ。
お菓子はそこそこ食べてきた方だが、これまで一度も出会ったことのない強烈な甘さだった。
「日向くん……」
「大丈夫!? お茶もらう?」
「もらう……」
「ちょっと待ってて!」
日向くんが乗務員さんに声をかけてくれて無事にお茶をゲットした。
甘かった。ものすごく甘い。
向こうの席のおじさんは、同じものをパクパク美味しそうに食べていた。
世界は、広い。
私の知ってる世界なんて、ほんのちょっぴりだ。
*
食事が片付くと、機内のどこでも人の出入りが目立った。
この後は機内が暗くなるから、その前にみんな準備するんだろう。
私も久しぶりに立ち上がって身体を伸ばした。
あ、日向くん。
外国の人に声かけられてる。
小さな子どもがはしゃいでいて、日向くんが狭い機内ながら屈んで、頭を撫でてあげていた。
席に戻ったときに聞いたら、忍者動画のファンだったそうだ。
「“ショーヨー”、すごいね」
世界のニンジャショーヨー、だもんな。
海外の方がこういう動画もメジャーっていうし、私もそうだけどこんな飛行機で乗り合わせる偶然が合ったら声をかけずにいられない。
「も、」
ん?
「す、すごいって思った?」
あれ、
いま、名前で呼ばれたような。
「な、何の、話だっけ? ……日向くん」
「動画の話! こ! こんな風に声かけられんの嬉しいけど、自分じゃあんまり意識してないから、その、さん、どう思ったかなって」
「あぁっ、うん、さっき見せてもらったやつもすっごくカッコよかったよ」
「そ、そっか!よかった!!」
「そうだ、まだ途中までのやつ、また見せてもらっていい?」
「いいよ! あ、充電しながらでいい?」
「もちろん!」
日向くんが充電コードを探してる間、密かにドキドキしていた。
下の名前、呼ばれたかと思った。
ここはマンガの世界じゃない。
そんな急に仲良くなんか、なれる訳ない。
*
動画を見させてもらっている最中、機内の明かりが消されて真っ暗になった。
日向くんはいいよってスマホを貸してくれたけど、流石に悪いから見てきた動画の再生が終わったら、次のを見るのをやめた。
スマホが切り替わる。
烏野高校バレー部の5人の待ち受け画面。
「寝ないの?」
隣を見ると、眠っていたと思った日向くんがアイマスクを外していた。
日向くんこそ、と返すと、日向くんは手元のライトをつけた。
真っ暗な機内のなか、スポットライトみたく明るくなる。
日向くんはガイドブックを取り出した。
ブラジルのものだ。
使い込まれた感じ、中にポストカードが挟まっている。
コルコバードの丘。世界遺産の風景。
きれいな写真だった。
日向くんは、ここに行っていたそうだ。
「見てもいい?」
「いいよっ」
手に取ったポストカードは、お土産屋さんに長らく並んでいたのか、少しだけ日焼けしていた。
あざやかな景色、知らない世界。
「“神様が見守る街”」
「へっ?」
日向くんがピンと来てなかったから、開きっぱなしのガイドブックのページを指差した。
「書いてあった」
「ほんとだ、気づかなかった」
日向くんは記念に買って、折れないようにガイドブックに挟んでいたそうだ。
切手は貼ってない。住所も書かれてない。
「さん、いる?」
ポストカードを日向くんの手元に戻したときに聞かれた。
きれいだから、さんほしいかなって。
「日向くんのお土産、なくなっちゃうよ」
「俺は写真あるし」
「だったら、私も!」
写真撮らせてもらおう。
一枚しかないポストカードをもらってしまうのは忍びない。
スマートフォンを取り出してカメラアプリに切り替えた時、日向くんもスマホを手にしていた。
「さん、これ使ってる?」
QRコード。
よく使われているアプリの画面。
「つ、かってる」
すぐさま次の展開が浮かんだけど、私はポストカードの写真を撮らせてもらおうとしただけで、それだけだった。
日向くんはさっきまでの会話と同じように続けた。
「連絡先教えて、他にもきれいな写真あるから、送る!」
「あー、えっと、……いま電波ないから」
「そっか! こういう登録の時もいるんだっけ」
「た、たぶん」
「じゃあ日本着いたらっ」
「……うん」
日向くんが私の方の備え付けのテーブルの上にポストカードを置いた。
そして、ボールペン。
「さん、宛名書いて」
「え……、誰宛て?」
日向くんの出す絵葉書を、なんで私が書くんだろう。
なりゆきで握ったボールペンは、綴るべき文字をわかっていない。
「さんの!」
「私?」
「日本から俺送るっ、ブラジルのおすそ分けっ」
屈託ない、笑顔。
これがもし、友達の言う運命の人がいるかもしれない合コンだったら断っていたかもしれない。
でも、ここは、何の境界もない空の上。
日向くんに言われるがまま、私はポストカードの宛名に自分の住所を書いた。
日向くんにペンとカードを戻すと、日向くんはやっぱり何てことない様子で受け取った。
楽しみにしてて、と笑って。余裕そうに。
私はブランケットを引っ張った。
浮かんだバカな考えを忘れようと努めた。
next.