ハニーチ





あと少しで完ぺき。

そんな風に髪をブローしている最中に、翔陽は戻ってきた。
とてもいい匂いをたずさえて。

何を買ってきたのか気になりつつ、小さなテーブルの上を片付ける。
空いたところに、翔陽は持ち帰ったものを並べた。


「パン?」

「焼き立て! タイミングよかった!

 、食べてみて」


翔陽はラフな包装からパン一つ手にしてちぎり、私に近づけた。

それは、たしかに朝一番の香ばしさだった。


「……おいしい」

「ここの、に食べさせたいなって思ってさ。 待ってて」


すごい。

ハムやチーズを包んだものに、フルーツまである。

このホテルは安価な分、備え付けの食器なんてものはなかったのに、翔陽はナイフまで手にして、切ったフルーツを皿の上に置いた。

ナイフなんてどこで、と思ったら、ホテルの人に話して借りたらしい。

……すごいな、やっぱり、翔陽。


、フォーク、それ使って」


椅子はないのでベッドに腰かけ、言われるがまま、昔懐かしさのあるフォークを手にして、切ってもらったフルーツのひとつを口に運んだ。

異国の爽やかな甘さが広がる。もう一つ。またひとつ。

翔陽が笑った。


「気に入った?」

「んっ、だって。 旬なのかな」

「どうだろ、よく見かけるけど、お、ありがと」


翔陽はもぐもぐと口を動かし、これ当たりだともらした。
フルーツは当たりはずれがあるのは、どこも同じみたい。


「あ!!」


今度は何かと思った。

いきなり翔陽は立ち上がった。

けど、自分の手が果汁でべとべとですぐに何かできない状況だと理解し、足を止めた。


、悪い、外に」

「なに?」

「部屋の出たとこすぐに置いてあるの持ってきてくんない?」

「う、うん……」


言われるがままドアを開けてすぐ横、うしろからビニールあるからと翔陽から続報があり、迷わずに手にした。

床に置かれていたそれは、二つ、飲み物が入っていた。

グリーンと濃いイエローのドリンク。いかにも健康って感じの色だ。

なんでも鍵を開ける時にこぼしそうで、一時的に置いて、そのまま忘れていたそうだ。

扉の前で慌てる翔陽の姿がかんたんに想像できた。

ドリンクをあんまりない空きスペースに、パズルのピースをはめるみたく置いた。

ほれぼれと眺める。


「すごく、豪華な朝ごはん。

 翔陽、すごい、天才」


手放しに誉めると、翔陽は得意げに笑った。

ここだけ切り取れば、誰かに自慢できるような、いかにも外国!といわんばかりのショットが撮れそうだった。

実際は、肩を寄せ合い、くっつきながらの、こじんまりとした朝食。


「このジュース……、シェイク? なに入ってるの」

「いろいろっ、両方飲んで、の好きな方選んでいいよ」

「翔陽はどっちがすき?」

「どっちも! 俺は気にしなくていい、いつでも飲めるんだし」


いつでも飲める、か。

そういう正論は、今は耳ざわりだった。


?」


肩にもたれかかると、翔陽がびくりと反応した。
そのままの体勢で告げた。


「誕生日おめでとう、翔陽」


しばしの沈黙。

開けっぱなしの窓は、風が出入りした。


「た、誕生日って、もう、祝ってもらったけど」

「昨日のは、日本時間。 今日はこっちの日付で誕生日」


なるほど!と翔陽は納得した。

外国にいると2回も祝ってもらえるのかと感心していたから、もう一度ささやいた、お誕生日おめでとう。

吐息がくすぐったかったのか、翔陽の身体がこわばった。

翔陽の手は半端に固まって動かない。
否、動けない。

フルーツを切った時のまま、べとべとだったから。
洗いに行くのがめんどくさがり、今日だけはいいやと手づかみで食べていたから、下手に私に触らないように気を付けていた。

なすすべのない翔陽に体重をかける。

瞳を覗き込む。
嫌がられている気配はなかった。


キスをした。

さえずりみたいな、音だけのキス。


翔陽は、はじめて奪われたみたく、呆然としていた。



しょ、

   う、

     よ、



      う。


衝動的だった。

背中で受けとめた感覚に、ベッドがまた大きく唸った。

また一つ、また一口。
食べるみたいで、お作法なんてない、本能的な口づけを交わした。

口づけ。

そう呼んでいいのか迷うくらい、熱情的で、野蛮で、それでいて、愛しさがこもっていた。

熱の混じる呼吸をくり返した。お互い。

なめた唇は、甘かった。

自然の味、この国の朝とおなじ。


……、


覆いかぶさって、それでいて、押しつぶしてしまわない程度に遠慮がちな翔陽の背中に腕を回して引き寄せた。

半端な食事の最中、続けるにも、戻るにも、半端だと思った。


「ごはん、食べないとね」



「朝ごはんは大事だって翔陽も」


言ってたし。


起こそうとした身体は、翔陽によって阻まれた。

熱の宿った眼差し。
ぞくりと身体の芯に刺さるようだった。

、と呼ばれて続いた。


「この部屋、何時までいられんの?」

「12時」

「そっか」


するのかと思ったけど、翔陽はすんなりを身体を起こし、さっきと同じようにベッドに座り、私の腕を引いて起こした。

翔陽の手はべとっとしていた。手首に翔陽の痕跡がある。舐めると甘かった。

その仕草を翔陽は見咎めた。


「な、なにやって」

「甘いかなって」

「風呂入ったのに、ごめん」

「どうして謝るの」

、汚した、?」


フォークも使わずに行儀悪く果物の切ったものを一つ指先でつまんで食べた。

瑞々しい果実はてらてらと光って綺麗で、当たりといえる甘さだった。
音を立てて自分の指先を舐めてみせた。


「翔陽がよごしたわけじゃないよ」


手は洗えばいい。

人目のない部屋の中のこと、今日くらいは、たった1日の、ほんの少しくらいは、在るべき姿を忘れたかった。


けれど、やっぱり手の感覚が気持ちが悪い。


「洗ってくる」



「翔陽も洗ってさ、今度は、ちゃんとフォークで食べよう」


洗面台まで行って蛇口をひねる。

朝のシャワーのかおりが漂っていて、なんだかいい気持だった。

鏡はところどころ曇っていて、翔陽がこっちに来るのが見えた。のしっと、肩に顎を乗せられた。

後ろからもたれかかってこられると重たい。


「重いって、なんだよ」


翔陽が口を尖らせ、このままの状態で手を洗った。


「なんだよって、重いからおもい」

「彼氏が重いんですか!」

「うん、物理的に。 筋肉ついてるね」

「!すぐ、は、俺を褒める!」

「嫌なの?」

「うれしいです!!」

「それはよかった、はい、ちゃんと手を拭こ」

「タオルいらないっ」

「あっ」


翔陽は私が用意したタオルを無視して、私のTシャツで手をふいたかと思うと、そのまま腰を抱いてベッドに連れ去った。

二人で肌を重ねたベッド、同じ夜を過ごしたところ。

見上げると、悩ましげに翔陽の眉が寄っていたから、そっと人差し指で触れてみた。


「……な、なに?」

「しわ、できてたから」


触ってみただけ。

そう続けると、ガクッと翔陽は頭を垂れて動かなくなった。

私はその背中に腕を回し、あやすようになでた。

「力、抜けるだろ」

そう翔陽が呟くから、抜いていいよって、とりわけ優しい声色を意識して囁いた。

翔陽が、首筋に顔をうずめた。


くすぐったい。

身じろぎしても、翔陽はやめなかった。

唇がすべって、そこは鎖骨だなと、どこか冷静に考えていたけど、さらに下に進もうとするから背中をぺしぺしとはたいた。

動きは、さらに加速した。



「翔陽っ、


 Tシャツが、


 ねえ、


 伸びるっ。


 せめて、脱い……ねえ、ね、ぇ」



ちっとも聞き分けてくれない。

求められれば、求めてしまう。


この人が、生まれてきてくれて、そばにいてくれて、ほんとうにしあわせだと、心の底から実感しながら時を重ねた。



























、忘れ物ない?」

「あっても大丈夫」

「なんで?」

「荷物、まだ預かっててもらうから」

「そっか!」

「さき行ってていいよ」

「じゃ、こっちの荷物持っとく」

「あ、翔陽のカバンもいっしょに預けとく?」


アルバイトで使う大き目のバッグを背負ったままの翔陽は、街歩きするには目立ちそうだった。

翔陽も納得して、私のスーツケースと共に自分のカバンを一緒にした。

フロントのお兄さんは、昨日と同じ人だった。

ホテルステイはどうだった?と、リスニングと違う生の英語で問われて、とてもよかったと答えると、その人は更に笑みをたたえた。

チェックアウトは早めに済ませ、荷物預かりの札を大事にしまう。


ホテルの外は、今日も気持ちのいい天気だった。

涼しくて過ごしやすい。


「雨降ると冷えるけどな」

「そうなんだ!」


現地を知る人の意見は興味深い。

天気予報は見てないけど、雨雲の気配はなかった。空が広い。


が晴れを連れてきたのかも」

「そう? 晴れ女かな?」

「それは知んないけど」


からかわれているのがわかって、軽く小突き、そのまま腕を絡めて歩き出した。

昨日も通ったその道は、夜とは全く雰囲気が異なった。

どこか昔みたいで、道路工事の音がする。バイクが荒っぽく通り過ぎる。


、どこ行きたい?」


翔陽は、ツーリストみたいにそのセリフを口にした。たまらなくなった。


「ふ、不意打ち……」


昨日みたく奪ってみせると、部屋ではあんな強気だったのに、翔陽は少年のように顔を赤らめた。
自分だって、これくらい、すぐするくせに。


「嫌なの?」

「い、やじゃない」

「それなら「もっと、欲しい」


あんなにしたのに。
あんなに、したからこそ。

翔陽の腕を引いて、ほんの少し木の影に隠れた。
ひみつの恋人みたく、口づけを交わした。
一回じゃ物足らなくなったのは、ぜんぶ、翔陽のせいだ。


「そろそろ行こ、時間ないし」

「そ、……だな」




呼び留められ、耳元で囁かれた。
すきだ、と。
私も、と返して微笑みあった。

映画みたいなやり取りだった。
行きの飛行機の中で見た、少し古めの、一度は見るべきと謳われる名作のワンシーン。


好きだよ、愛しているんだ。私もよ。


字幕が、なぜか浮かんだ。



next.