お互い、口数が少なくなっていた。
言い出さないけれど、時間が近づいていることはわかっていた。
ホテルに向かいながら、途中でお昼にとった。
ふぇいじょ……なんとかっていう、ブラジルでよく食べられる料理だ。
地元で人気のお店で、翔陽も入るのは初めてだと教えてくれた。
赤、青、黄のプラスチックの椅子に、まっしろなテーブル。
早めのランチで、広い席を使わせてもらった。
向かい席、少し動くだけで椅子もテーブルも揺れた。
「いつもは自分で作る。 俺ひとりでこういう店、来ることなくてさ」
「気分転換できそうなのに」
「バレーできれば十分っ」
翔陽からは、心の底からそう思っていることがよく感じられた。
元から知っていた。
日本にいる時から。大げさに言えば、はじめて会ったときから。
そばにいるだけ、思い知った。
いま、翔陽はここにいて、何をしているか。
すべてはバレーのため。
翔陽のこれからがよぎった。
食事を終えた時、翔陽はせっかくだしコーヒーを飲んでいくか尋ねた。
迷ったけど、注文することにした。
一杯ずつ、小さなエスプレッソ。現地の人にならってお砂糖をたくさん足した。
苦くて甘い。これからの元気になりそうな味。
向かいの席の翔陽も同じように飲んで、笑った。
「じゃあね、翔陽」
なるべく明るく、なんてことのないように努めて。
12時少し前にホテルに着いた。
シンデレラみたいだと思いながら、荷物を受け取った。
真昼のシンデレラ。
時計の鐘はどこかの昼休憩を告げていた。
私は自分の荷物と買ったお土産を持った。
翔陽は来た時と同じカバンを背負い、自転車のハンドルを握った。
ホテルの前。
昨日の夕方と今日の朝、キスを交わした場所。
お互いに向き合って立ち尽くしていた。
時間は動きはじめる。
それぞれ向かうべきところがあった。
翔陽が一歩踏み出すと、自転車のハンドルが傾いた。
「、本当に、ここでいいのか?」
「バス停すぐだから。 大丈夫」
「ん……」
翔陽は何度も見送ると言った。ギリギリ、できるところまで。
けれど、私は断った。
もうすでに、十分すぎるくらい、翔陽の時間をもらっていた。
「翔陽、午後のバレー教室、がんばってね、ビーチの」
「う、ん……」
「ほら、早く。 一度戻るなら急がないと。
お土産、よろしくね」
日本から持ってきたたくさんのお土産は、翔陽にぜんぶ託した。
翔陽の元気の一部になったり、お世話になっている人たちにも喜んでもらえたらうれしい。
翔陽はゆっくりと自転車の向きを変えた。
私たちの進む方向はまったく逆だった。
「じゃあね、翔陽。
行っていいよ」
「」
なかなか行こうとしない翔陽に笑顔を向けた。
もう、散々、くっつきあった。
今度こそ“バイバイ”の気持ちを込めて手を振った。
「じゃーね!」
「またねって、言ってくんないのかよ」
翔陽が、不満げに言い捨てた。
「またね、翔陽っ」
同じ調子で口にすると、翔陽はかえって不満を募らせた様子でこっちを見つめ、あろうことか自転車を停めて近づいてきた。
もう何度繰り返したやり取りだ。
「ほ、ほんとに行かないと。 遅刻しちゃう」
「」
「あ、謝んないでね」
そういうのだけは、敏感に察知できた。
図星だったのか、翔陽は口をつぐんだ。
理由なく謝られたって困る。
この状況についても、そのほか全部、翔陽自身が悪いことは何もなかった。
「ほら、早く行って。またね!」
「……いってくる」
背中を押して自転車まで連れていくと、ようやく翔陽は自転車にまたがった。
ゆっくりひとこぎ、またひとこぎ。
次第に翔陽の姿が小さくなっていく。
時折、何度も翔陽は振り返った。
そのたびに手を振った。
思いを込めて。
すっかり姿が見えなくなってから、気を引き締め、自分の荷物を手に歩き出した。
空は高くたかく、今日という日が続いていく。
***
日向翔陽は、下宿先に戻った。
午後はに話した通り、ビーチバレー教室の手伝いがある。
あのホテルから直接向かった方が近かったが、荷物と着替えのためだった。
中に入るとすぐ、出かける準備をしていたペドロと顔を合わせた。
友達のところで集まりがあるそうだ。
ちょうどいい。
が持ってきた日本からのお土産を手渡すと、想像よりずっと喜んでもらえた。
キャラクターものが特に気に入ったらしい。
そそくさと他のと分けて自分の部屋に運んでいた。
『集まりに持ってかないの?』
聞くと、価値がわからないからいい、と返ってきた。
よくわからないけど、そういうものなんだろう。
楽しかったか、聞かれた。
昨日のことだった。
久しぶりに会った友達と過ごした夜は楽しかったかと、誕生日おめでとうと共に聞かれた。
ともだちと、すごした、よる。
すぐに返事しなかったのは、言葉が理解できたからだ。
友達という意味。
『ショーヨー、つまんなかったの?』
『いやっ、楽しかった!!
……すごく、楽しかった』
ペドロは不思議そうに小首を傾げた。
楽しかったの意味も、その“友達”のことも伝わりようがないから仕方ない。
自分の荷物を整理して、またすぐ部屋を後にした。
予定より出発が遅れたけど、自転車を飛ばせば余裕だ。
ルームメイトを見送るときにも言った。
『 友達と楽しんでこいよ 』
それは、本当に、言葉通りの“友達”だ。
じゃあ、自分が説明したときはどうだろう?
ともだち、
友達。
は、友達じゃない。
けど、は言った。
“友達でいいんじゃない?”
下宿先に連絡すると言った時、はすかさずそう言った。
なんで?
こっちが疑問に思うほど、自然に続けた。
“そのほうが、スムーズだと思う”
日本から自分の彼女が会いにきたから、今晩は帰らない。
それは、に言わせれば、問題になるそうだ。
問題……、まあ、いいことではない、よな。
だからこそ、日本に帰ったらの周りの人たちにキチンと話をする必要があると思ったんだし。
自動車が行き交う道を避けて、行き慣れた坂道を駆け上がる。
が連れてきてくれたかもしれない快晴は、まだもう少し続きそうだ。
日本と同じで違う空の色を眺めていると、が浮かぶ。
は、いつもそうだ。
“スムーズ”。
順調に、すべてがうまくいくようにする。
『こんな風にしたら、“滞りなく”回っていく』ことがわかるみたいだった。
どうやんのか、ぜんっぜんわかんないけど。
例えば、誰かに伝える方法だとか、順番だとか。
俺が話すよりが話した方がはやく伝わる。
おんなじことを伝えようとしてるのに、が話した方が、ほんとうに、うまくいく。
実際、いつもそうだった。
にはみえている。
色んなことが、いろんな人が、流れが。
どう変化させたらいいか、“とどこおりなく”進むか、わかっている。
自身が、どうしたいか、抜きにして。
『ショーヨー、来たか』
『こんにちは!』
信号と道路の混雑状況がよかったから、いつもより早くビーチに着いた。
ビーチバレー教室の先生であるこの人は、午前中からずっとここにいて、団体客の専任コーチをしたそうだ。
『でっ、これが午後の分!』
『アザッス!』
受け取ったプリントは、申込一覧2枚分。
1枚目が午後2時からで、もう1枚目が夕方の分だ。
ぺらりとめくって、名前や年齢、性別を確認した。
それと、ビーチバレーのレベル。
講師の人は、サングラスをはずしてタオルで拭った。
『夕方は人数多いけど、英語のクラスだし観光客だけだから、ショーヨーがメインでな』
『はい!』
『どうした、ショーヨー』
『えっ?』
その人は、ピカピカに拭き終えたサングラスを空にかざしながら言った。
『いい顔してる……カワイイ子、見つけた?』
『ハ!?』
その人は高らかに笑って、向こうで談笑している女の人たちに手を挙げた。
あの人たちはよくビーチで見かける。仲が良さそうだった。彼女だと聞いたことはない。
でも、そっか。
『今日、俺の誕生日で』
『そうなのか! じゃあ、レッスンが終わったらおごるよ、お祝いしよう!』
『それはっ、別に、いいんですけど、昨日……』
“友達でいいんじゃない?”
『昨日っ、と今日!
“大切な人”に、祝ってもらえたからっ、
いい顔、できてます!!』
そう返事すると、コーチはしばし動きをとめて、自分の髪を払ってからいつもの位置にサングラスを収めた。
ショーヨー、それは、とても素晴らしいね。
今日はすごくいいレッスンができる。
笑顔のコーチに肩を思いきりはたかれた。
すぐ、ビーチバレー教室の準備に入った。
準備の最中も、がよぎった。
何度も思い返す。
のおかげで、想像のなかのは、クリアーだ。
大切な人。
は、友達じゃない。
いや、でも、友達って言っても、広義の意味ではあってると思う。
そう正すの声が、カンタンに浮かぶ。
『こーぎ?』
『広い、意味で、広義! 私たち、友達でもあるとおもう』
『……俺たち付き合ってる』
『そうだけど、そうじゃなくて』
の話は、けっこー難しい。
人間関係は、なにも一つだけってことはないそうだ。
『は、俺と友達のつもりかよ』
『そうは言ってないよ』
でもね。
は、そうやって、ときどき、遠くなる。
うまく言葉を選んで、同じ日本語なのに、ぜんぜん想像もつかないことを言う。
隣にいても、になにが見えてるか、いつも気になった。
の見つめる先、みえてる世界。
空に、飛行機が見えた。
あれに、、乗ってんのかな。
ショーヨー!
向こうでコーチが呼んだから、帽子のつばを押さえて被り直し、砂の上を走った。
『それでは、皆さん! 今日はありがとうございました!』
『ありがとうございました!!』
コーチに続けて挨拶すると、生徒の人たちが歓声と拍手をくれた。
明るく終えた午後のレッスン一つ目は、無事に終了した。
『ショーヨー、この後、あの観光ショップ寄ってきてもらえる?』
『わかりました!』
レッスンの合間に寄るトレーニング施設のすぐそばだった。
『団体客からの追加申込だ』
『今日、すごいですね!』
『いつもこうなら、いいけどな』
観光客は気まぐれだ。
こんな風に申込がドッと入ることがあれば、その逆もある。
生きていくためには、いろんな天候も風向きもある。
『ショーヨー、ありがとな。 早くシステムが使えるようになればコイツで済むのに』
講師は、コイツことスマートフォンを掲げ、ガッカリするポーズを決めた。
レッスンの申し込みシステムは、今は壊れている。
直してくれる人はバカンス中で、少なくとも来週までは直る見込みはない。
『通り道なので! じゃあ!』
『あぁ、後で!』
入れ違いに、さっき手を振っていた女の人たちがすぐ取り囲んでいた。
コーチ、すごくモテる。
停めていた自転車は、日にさらされてサドルが熱くなっていた。
立ちこぎにして速度を上げる。
動く影、真上。
飛行機かと思ったけど、鳥だった。
の飛行機、何時だろ。
電話っ、
しても、繋がんないか。
わいふぁいっ、あるかどうかも、聞いてない。
なんにも、教えてもらってない。
ずっと、こっちから連絡してなかったのもある。
“久しぶり、電話できる?”
1年ぶりの、からのメッセージは短かった。
こっちにいる間は連絡しないと言ってあった。
がしたかったらいつでもいいよとも伝えていたけど、帰国するまで連絡はないと思っていた。
は俺がいくら言っても、邪魔したくないといつも言っていた。
連絡が来たときは驚いた。
いいよ、いつにする?
そんなふうに取り付けた電話の約束。
は知らない。本当に飛び上がるほどドキドキした。
久しぶりの、の声だった。
聞けるだけでよかった。
お互いに最近どうか話したあと、が遠慮がちに切り出した。
ねえ、すごく……
無理なこと、聞いていい?
はやる気持ちを抑えた。
の、その、一歩引いたときに聞ける、ほんの少し、すがるようなあまい声がたまらなかった。
あのね 翔陽の時間、もらえない?
にお願いされると、なんでも叶えたかった。
ほんとうに、なんだって。
『ハイ、ショーヨー』
『こんにちは!』
『これ、今日の分。 来週のはまた今度』
観光ショップはホテルの中にある。
古いプリンターの用紙が切れたそうだ。
受け取った紙も、鉛筆で走り書きが追加されていた。
『待って』
呼び止められて振り返ると、フロントの女の人は奥に消えた。
別のスタッフの男の人がモップ片手に階段から降りてきた。
お互いに挨拶していると、女の人が戻ってきた。
手には花束がある。
話をしていた男のスタッフの人が花束を眺めて言った。
『笑顔の花じゃないか』
花言葉だと教えてくれた。
女の人はそれを差し出した。俺に。
『ショーヨー、誕生日おめでとう』
『え、あ!』
『誕生日か! そりゃめでたい! 歌おうっ』
『えぇ!!』
陽気な人たちで、明るくお祝いの歌を歌われていると、やってきた配達のお兄さんも、そこら辺を歩いていたおじさんも混ざって、いっそう賑やかになった。
歌い終わると、拍手。
それはすごく大きかった。
受け取った花束は、ふわふわと軽かった。
小さな、白い花の束。
『ありがとうございます!!』
恋人には祝ってもらえた?と聞かれた。
いつだったか、日本にいるのことを、この人には話したことがあった。
この人の恋人も大学院で別の国にいるそうだ。
たぶん、だから、気にかけてくれている。
だから、答えた。
『昨日、彼女が会いにきてくれました!』
その人も含め、この場にいる人たちが感嘆の声をあげた。
がもしここにいたら、はにかんで俯くんだろう。
想像するだけでかわいかった。
笑顔で続けた。
『いま、こんなふうに祝ってもらえて、もっと嬉しいです!!』
拍手もお祝いの言葉も、ぜんぶ、うれしかった。
もっといいことがありますように。
みんなに言われて、同じように返した。
とても、恵まれている。
自転車にまたがって、白い花が揺れるのを気持ちよく眺めた。
を思い出す。
きれいなものをみると、に会いたくなる。
夕方からのレッスン前にビーチに戻ると、コーチが頭を大きく横に振って、やれやれとポーズをつくった。
『どうかしましたか?』
『いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?』
『え!』
『わかった、悪い方からにしよう』
コーチは言った。
団体客が、元の予約と追加分ぜんぶキャンセルした、と。
じゃあ、次にいいニュースだ。
『彼らはキャンセル料を気前よく払ってくれた!』
『……えっと! つまり、どーいうことですか?』
『2回目のレッスンは少人数でゆったり楽しめる! 揉め事もなく!』
『おぉ……!!』
直前キャンセルは少なくないが、大抵お金関係で揉めるから、今日のお客さんはよかったとコーチは笑った。
アジアから来た、気前のいい旅行客。
『いっ!!』
なぜか勢いよく背中を叩かれた。
『人数も減ったことだし、メイン講師はショーヨーに任せたっ』
先生が手を振ると、ビーチサイドにいる女の人たちが黄色い声をあげて喜んでいた。
やっぱり、この人、よくわかんないけどモテる。
そろそろレッスンの参加者の人たちの集合時間だ。
機嫌よく愛想を振りまく先生に言った。
『じゃあ、俺、連れてきます!』
『あぁ、いいよ、それよりネットの高さ、調整しといて』
『わかりました!!』
先生は、女性グループの人たちと談笑しながら移動していった。
レッスンと一口にいっても色々ある。
今からのビギナークラスは、名前のとおり全くの初心者が集まる。
観光地のアクティビティとして参加する人がほとんどだ。
このコーチは、トークも含めて人気があった。
昔、優勝したことがあるとも聞いた。
今度、手合わせしてもらいたいけど、今んところチャンスはない。
お、ボール。
出しっぱになってる。
あっちにも。
こっちにも。
3つぐらい抱えて砂浜を行き来している内に、いつもの調子でコーチが戻ってきた。
老夫婦、カップル、家族連れ。
それに……それに!?!
目を疑った。
「、なんでいる!?」
現地の人たちと同じく水着姿のがいた。
next.