翔陽のいるビーチバレーは盛り上がった。
中学生との練習試合だろうと関係ない。
その熱は、試合の後も続いた。
『ショーヨー。
これは、いま、どういう状況だ?』
興奮冷めやらぬ中学生二人にいきなり連れてこられた講師の先生は、さすがに困惑していた。
この二人、翔陽が出ていた動画を見たことがあったらしい。
間近で見た翔陽のプレイで気づいて、試合が終わるや否や、コーチをわざわざ連れてきてショーヨーと試合して欲しいとせがんだ。
動画で見た動きを、生で見てみたいそうだ。
そのためには、当然、相手がいる。
事情を理解したコーチは、飄々とした態度に戻った。
『OK、だったら試合しよう。
でも、翔陽が愛する彼女とやるなら、こっちもフェアにいかないと』
英語だからじゃなく、単純にこの人の言っている意味がわからなかった。
いつも先生の手伝いをしている翔陽ならわかるかと思ったけど、同じくピンときた様子はない。
コーチの人は、ビーチ教室を見守っていたギャラリーから、とりわけ美しい女性グループの一人に微笑みかけ、その手を取った。
抱きあう二人は熱烈で、なんというか、見ていられない。
「ねえ、翔陽。 あの人、コーチの恋人?」
集合場所に姿をあらわした時は、別の女性と仲がよさそうだった。
翔陽もなんともいえない表情で、ボールを手の中で回した。
「わかんないけど、先週は違う人だった」
「……そう」
ガールフレンド。
言葉の定義は、ところ変われば意味もかわる、とも言える。
ラテン系の血が流れてそうな人だし、恋人は何人でもよいという文化背景を持っているのかもしれない。
世界って広い。
『ショーヨー、、いいかい?』
『あ、はい、私は……』
『望むところです!』
講師の人がネットを指差すと、翔陽は、どこか瞳を爛々と輝かせた。
サーブは向こうからだった。
軽く身体をならす翔陽に合わせて、私ももう一度しっかり体を伸ばす。
「あの先生、強い?」
「やったことないっ、一度、やってみたかった!」
心底、楽しそうな翔陽。
どんな翔陽も心ときめくけれど、やっぱりこのコートの中にいる翔陽は、いっそう輝いていた。
さっきの練習試合でもそうだったんだから、少し本気の混じるこの試合。
同じコートにいる以上、実力は無理でも、メンタルだけでも追いつきたい。
「?」
「気合い、入れ直した!」
びしと頬をはたく私を見て、翔陽も同じことをした。
『はじめるぞー』
コーチの人が明るく声をかけた。
その人の取り巻き?なのか、別の女性が審判をしてくれた。
このコートだけビーチの注目を集め出す。
なんなんだろ、と思った時、試合が始まった。
ジャンプサーブだった。
翔陽を狙っていた。
とらえた。そう思った時には、ボールは明後日の方向に飛んでいた。
風はないし、一直線のボール。
だと思ったのに、回転だろうか、翔陽のレシーブの意図とは関係なくボールはコート外にすっ飛んでいた。
あっちに飛ばれちゃ、フォローのしようがない。
さっきまでの中学生のサーブとはえらい違いだ。
いつの間にかギャラリーまでできている。
もしかして、この人……強い?
そう思った時、同じコートから、なにかを感じた。
熱い、感覚。
無意識だろうか。
翔陽の眼差しは好戦的にぎらついていた。
未知なる強さを、待ち望んでいた。
*
『なー、なんであそこ、人集まってんだ?』
ビーチサイドの店で、アルコールを注文したひとりが、入れ違いでビールを受け取った知り合いに話しかけた。
酔いの回っている相手は、得意げに続けた。
『知らないのか? アイツだよ、アイツ』
『あいつ?』
『ビーチバレーの、あの、メダルとった』
『あぁ……、伝説の、大雨の』
『そう!! そいつが、久しぶりに試合してるらしい』
客同士の会話を邪魔しないようなタイミングで、奥からビール瓶を店員が男に手渡した。
『一緒に見ないか? 俺は現役時代もずっと応援してたんだ』
『俺だって、アウェーのなか、悲願のメダルを取った瞬間をこの目で見た。 行こう、相手は誰だ?』
二人がギャラリーに交じる頃、ちょうどコートチェンジが行われた。
*
「、大丈夫?」
「ありがと」
砂を払って立とうとしたとき、翔陽が手を貸してくれた。
息を切らして、反対側のコートに移動する。
相手チームの二人は、私よりもずっと余裕そうだ。
私の呼吸の粗さに気づいたのか、コーチの人が声を上げた。
『ショーヨー、二人のチームなんだ。 彼女がトスを上げやすいようにしないと』
『!わ、わかってます!』
翔陽がピシッと肩を上げて答えた。
息をぐっと吸い込んで、呼吸を整えた。
「ごっごめん、足引っ張って」
「じゃない、コーチの言う通り、俺だ」
試合は向こうにセットを取られた。
パートナーの女性もきっとビーチバレー経験者なんだろうけど、コーチがすごい。
守備範囲が広くて、どんなサーブでも、彼女がトスを上げやすいようにボールを回している。
それだけじゃない。
『ショーヨー、行くぞ』
この人のサーブが、すごい。
翔陽だって春高に出た選手、レシーブだってもう得意といっていいのに、その翔陽が何とか返せるレベルだ。
回転が独特なのか、サーブを拾っても、意図した位置にはいかない。
毎回ボールを追いかけるせいで、私のトスも乱れていた。
これがきっと、慣れている相手となら、どんなところでも飛べる翔陽が相手コートに入れてくれるんだろうけど、今のところ、私たちはリズムが合ってなかった。
「っ!」
苦し紛れに上げたトス、今度は何とか翔陽がとらえた。
けどまた、拾われた。
あのコーチがレシーブすると、なんだってあんなに打ちやすそうにパートナーへ返せるんだろう。
これまた、ふんわりとしたトスだ。
勢いはないのに、あの人が触れた途端、ボールの勢いが増した。翔陽めがけて。
「!」
「うんっ」
あっ。
気づいた時には、またやってしまった。
「、ドンマイ!」
「ごごめんっ」
「いいって、慣れないんだし」
トスを上げようとしたところ、またドリブルの判定をされてしまった。
けっこうやらかしてる。
翔陽も私が謝るよりはやく励ますようになった。悔しい。
コーチの人が、審判の人に声をかけてくれた。
は初心者だからそこまで厳しくみなくていいよって。
『ダメです、ルールです!!』
『はスポーツマンシップに則って素晴らしいね。 じゃあ、こうしよう』
ハンデとして、私を狙ってサーブしてくれるらしい。
翔陽も取りづらいサーブを?
『コーチ! 次のサーブ、俺ですっ』
『そうだったか、じゃあ、、次は君を狙おう。もちろん優しいサーブだ』
『俺は、手、抜きませんよ!』
『ああ、もちろん』
コーチはポーカーフェイスを身に着けているんだろうか、表情を崩さない。
『翔陽の本気のサーブ、やってごらん』
ギャラリーから黄色い悲鳴が上がった。
この人、よくわからないけど人気ある。
ボールを持った翔陽は、呼吸を整えていた。
「翔陽、……がんばれ!」
英語で伝えるべきだったかなと思ったけど、力強く返事があったから、よしとした。
2対2、たとえ初心者だろうと、本気でやりたい。
「っし!」
翔陽の放ったサーブが空を切る。
けど、風だ。
横に大きく流れてアウトになった。
「あーーー!」
「次、つぎ!」
嘆く翔陽にすかさず声をかけた。
野外での試合、やっぱり屋内のバレーとはずいぶん勝手が違う。
足踏みする。
砂だ。砂の上だ。
何をするにも、感覚が違う。
今日やってみただけで、出来るようになるわけない。
ぜんぜん上手くない。下手だ、はっきりいって。
それ、でも。
だとして、も。
ボールが来る。
私に向かって。
外に出るかと思ったボールは、今吹いてくる風も読んだのか、ちょうどよくコートに向かった。
ここっ!
「あっ」
拾えた。ボール。翔陽が拾う。トスを、あげる。
「っ」
高い。
届かない。
いや、届かせる。
『あっ』
無理やり入れたボールは拾われそうなところ、風に乗って逸れて、私たちの得点になった。
「っ」
「やった!!」
翔陽と手を合わせた。
やっと、ちゃんと、点とれた。
「おっし、このセット、獲るぞ」
「獲ろう!」
実際の風が味方についてくれたらしい。
今回は私たちが先に点数を上回った。
コートチェンジをする時、気になった。
応援しているのか野次馬なのか、周りの人たちは、コーチが手加減していると言っていた。
あまりに相手チーム(私たち)が弱すぎるから、試合になるようにしてるんだよ、と。
フィジカルを見ろよ、と。
コーチも、相手の彼女も、たしかに私たちよりずっと体格がいい。
それ、でも。
「?」
「なに?」
「なんか、機嫌悪い?」
水分補給している時に翔陽は私の顔をしげしげと覗き込んだ。
自分が使っているタオルを私に当てたかと思うと、よしよしと撫でられた。
「もう!」
「なに!?」
「気が抜けるっ」
「抜けよっ」
翔陽は笑って言う。
貸してって、私のボトルを手にしておいしそうに水を飲んだ。
「悔しくないの?」
「まだ負けてないよ?」
「そうじゃ、なくて」
何て言っていいかわからず、かといって機嫌も直らず、腕を組んでそっぽを向いた。
「そうじゃない」
「はなんで悔しいの?」
「……悔しくない」
「ほら、しわ寄ってる」
翔陽が私の眉間を人差し指で触れた。
ぺしっと行き場のない苛立ちを翔陽の胸板にぶつけた。
翔陽は声を漏らして笑った。
「強いよな、向こう」
「つよい」
「でもさ、まだ1セットできるし、次もがんば「私、悔しい」
ボトルのふたをきつくきつく締めて、元の位置に戻した。
「翔陽は、もっと飛べるのに、私のせいで」
周囲の目が、無性に腹立たしかった。
ぽん、と頭に手を置かれた。
「大丈夫、。
……大丈夫だ」
なにが、と聞き返さずとも、目が合うだけで、ほんとうに大丈夫なんだとわかった。
何も伝えてないけれど、流れ込んでくる何か。
「どんなトスでも任せろ。 は上げてくれるだけでいい」
「それじゃだめ」
間髪入れずにかえすと、翔陽が目を丸くした。
でも、ダメなものはダメだ。
「翔陽が飛べるように、最高のトスを上げる。
私を信じて」
って。
「ぜんぜんさっきからまともにトスあげれてないけど。すぐ反則になってるし」
「ふはっ」
「な、なに!」
翔陽がすごく、ものすごく笑っていた。
おなかを抱えて、周りの人たちがこっちを気にするくらい楽しそうに。
「わっ」
「、すっっげーかわいい!!」
「な!!」
翔陽は強引に私を撫でまわしたかと思うと、またスイッチが切り替わったように空を見上げた。
「ああ、俺、もっと飛べる。とべるな!
、信じて飛ぶっ。
けど、もさ、俺を信じろよ。
俺だってトス上げる。二人でやるのがビーチバレーだ」
バレーとは違う、翔陽が、いま戦う砂の場所。
『ショーヨー、休憩、もういいか?』
『ハイ!』
お互いにまたコートに向かう。
「ホント言うとさ、遠慮してた」
翔陽がポツリと言った。
が大事だから。
ぶつかったら痛いだろうし、レッスンを見た感じ、危なっかしいし。
まだ続く指摘に、砂に穴でも掘って埋まりたくなった。
これから試合の続きがあるんだから、もうやめてほしい。日本語なのがまだましだった。
翔陽はこっちの羞恥心に気づかずに、こうまとめた。
“を信じて、本気出す”
遠慮はしないって。
表情は読めない。
ずっと、ちゃんと真剣にバレーする顔だから。
きっと、翔陽の本気は、私相手じゃ出せそうもない。
そんなの、私が一番よくわかってる。
それ、でも。
技術も体格も劣っていようと、心まで弱気になったら、本当に負けだ。
メンタルだけでも、勝つ気でいる。
『、サーブだ』
ボールを受け取って気持ちを整えた。
初心者上等、下手なのは自覚済み。
周りの目がなんだ。
ボールを放った。本気で。
上手く風でスピードが落ちる。女性が拾ってコーチがトスを上げる。打つ方向、わかる。翔陽。点数が入った。私たちだ。
あと1点、また取ってとられて、また取り返す。
風が強くなってきた。
こっちのコートが不利だった。でも、もう試合はこのセットで終わる。
本気で勝つ。
コーチのサーブだ。
狙いは、私。
舐められてたっていい。
わたしが、どう見られてもいい。
でも、翔陽は、私と違うんだって、ちゃんとわかってほしい。
ボール、いける。
返せる。
風が味方についた。
サムシング。
ここぞ、という時に発揮される、選手自身の何か。
本気でやっていれば、何百回、何千回に一回くらい、こんなど素人にも奇跡は起きる。
私はきちんとトスを上げることができた。
思った通りに、丁寧に、想いを込めて。
トスを上げた先、スパイカーへ届けるトスを。
見つめた先、高く飛ぶ翔陽。
いま、理解した。
私は、
今日、この瞬間のために、ここにいる。
翔陽が打ったボールは相手コートに落ちて、点数となった。
next.