このセットで、私たちの勝ちは決まった。
「翔陽!」
飛びつくと翔陽がよろめいたけど、高揚感で気づけなかった。
翔陽しか目に入ってなかった。
「カッコよかった!!!」
いま見たジャンプ、今日のなかで一番高かった。
こんなに飛びづらい砂の上で、あれだけの高さ。
翔陽が飛び上がった瞬間、翔陽のいるところだけ、無重力に思えた。
その一打に関われたことも、間近で見れたことも、ぜんぶ、うれしい。
「……」
翔陽が私の肩に腕を回した。
「可愛すぎ」
帽子のつばが、まるで鳥のくちばしみたく、私の髪にちょこんと触れて離れた。
どうしたのかなと思ってから、はたと気づく。
この状況に。
「!?!」
「ごめっ、いや、えっと」
いきなり距離を置いた私に、翔陽は驚いていたけど仕方ない。
試合が終わったばかりだ。
コーチたちも、試合を見守る人たちも、みんな、いる。
『いいんだ、、喜びは分かち合うべきだ』
コーチはボールを片手にネット際にやってくると、自分たちは負けを慰めあうために、と口づけを交わした。
目の、やり場に、困る。
たちも遠慮しないで、と言われても俯く他ない。
翔陽が笑って、私の頭に、ぽん、とふれた。
ギャラリーから大きな拍手をもらった。
いい試合だったって、最後すごかったって、カッコよかったって、ぽつりぽつりと雨降るみたく声もかけてもらった。
そのうち、本当に雨が降ってきた。
砂浜にいた人たちが一斉に移動していく。
コーチも、ビーチバレー教室の参加者に、向こうにみえる屋根の方へ移動するよう指示した。
風がさらに強くなり、ビーチサイドの植物が吹き飛ばされる勢いで大きく揺れ動いていた。
野ざらしのままのボールを見つけた。
「っ! いい、俺がやる!」
「まだあるからっ」
少し離れたところのボールを指差すと、翔陽が一目散に走った。
強い風で、ボールがさらわれそうだ。見てられない。
急がないと。
!?
慣れない試合疲れ、ぬかるんだ足元。
なにかプラスチックの容器を踏んでしまい、腕からボール全部が落ちて、視界は傾いた。
痛くはない。
翔陽が、抱き留めてくれた。
雨音がどんどん強くなる。
お互い、ぐっしょりと濡れていた。
翔陽は黙って私を見つめた。
あんなに遠くにいたのに、助けてくれた。
雨がどんどん翔陽を濡らし、私の髪も水分を含んで肌に張り付いている。
「あ、りがとう……」
翔陽は、いいよ、と短く答えて、はやく屋根のある所に行くように言った。
ボールはやるから、と。
はお客だし、とも。
『っ、ショーヨーも早く来るんだ!』
いつまでも姿を現さない私たちを見かねて、コーチが来てくれた。
翔陽はボールを片したらすぐに行くと答えた。
『、ショーヨーもすぐ来る』
コーチに言われるがまま、参加者の集まるところへ走った。
本当にすごい雨。
私の知ってる雨と違う。
あんなに明るかった空はグレーの濃い雲で覆われ、バケツをひっくり返したみたいな雨が続いた。
翔陽、大丈夫かな。
『本当に、ショーヨーが好きなんだね』
屋根の下に来ても、いつまでもビーチを気にする私に気づいたらしい。
コーチは、ビーチバレーのルールを教えてくれた時みたく笑った。
『最後のトス、とてもよかった。
愛が、こもっていた』
ほら、使ってと、コーチは、抱えていたタオルの一枚くれた。
私が受け取ると他の人たちに配るために離れて行った。
受け取ったタオルは、少しだけ海の匂いがした。
*
いつもだったら素敵なサンセットを背景にするんだけど。
コーチはそんな前置きをしてから、参加者全員を並べて、雨をしのぐ屋根の下で記念撮影をした。
もちろん翔陽もいる。
後日、ビギナークラス修了証明書とともに、メールで送られてくるらしい。
そんな説明を聞いている内に、雨は上がった。
遠くに焼けるように赤い太陽がみえる。
あの雲はどこに消えたか不思議だった。
ビーチにまた人が増え始めている。
『じゃあ、よい夜を!』
明るい締めくくりの挨拶で、このレッスンも幕を閉じた。
他のメンバーと軽く挨拶をして、みんなそれぞれこの場所を離れた。
翔陽はせっせと後片付けをしている。
『、ショーヨーを待ってるのかい?』
声をかけるタイミングに迷っていると、コーチに話しかけられてしまった。
こくり、と頷く。
正確には、約束もしてないから待つといっても一方的なもので、帰るべきかとも悩んでいた。
コーチ曰く、翔陽はまだやることがたくさんあるらしい。
そのあと、いつもトレーニングだから、もっと時間がかかる、と。
本人から聞いていた情報はあくまで断片的だったと思い知る。
こうもリアルなスケジュールを聞いてしまうと、さっさと自分は姿を消した方がよさそうに思えた。
そんな胸の内まで悟られたのか、コーチは唐突に切り出した。
『ショーヨー!』
なにを、言うつもりなんだろう。
コーチの言葉の続きを待った。
『今夜、一緒に食事しないか? もいっしょに』
『え!?』
驚いたのは私だけじゃなく、翔陽も同じだった。
翔陽よりも早く口を挟んだ。
『わ、私っ、予定があるので!すみません!! じゃあ、今日はこれで!』
これ以上、邪魔したくなかった。
急いで駆けだそうとしたけど、それはできなかった。
私の手首をつかんだのは、翔陽だった。
真っ直ぐ、私を見ていた。
かと思うと、にこりと笑顔を作ってコーチと向かい合った。
『誕生日は、二人で過ごします!』
『そうか、それは残念だ。 じゃあ、今度、なにかおごろう』
『アザース!』
カラッとした会話。
私だけ取り残された気分だ。
でも、翔陽は私の手を離さなかった。
コーチが誰かに呼ばれて向こうに行った時、翔陽が私に言った。
「、用事って?」
私がコーチの誘いを断った理由を覚えていたらしい。
何と答えるべきだろう。
「なんか、予約でもしてる?」
「しっしてない、そういう、その、用事じゃなくて」
ハッと気づく。
「それより、翔陽、これからトレーニングでしょ? やることもまだ」
「夕飯どうすんの?」
翔陽がこのまま私を帰してくれないのがよくわかった。
観念して、何か買ってホテルで食べるつもりだと答えると、翔陽は用事を済ませたあとなら一緒に食べられると話した。
「、待てる? いや、待ってろ、一緒に食いたい」
「……わかった」
「ホテルどこ?」
翔陽は段取りよく必要な情報を質問した。
あとでホテルまで迎えに来てくれることになった。
今日のホテルはここから近かった。
海の見えるところを選んだ。
昔、なにかの世界大会のときに建てられたもので、最近観光客向けにリノベーションされた。
そこそこの知名度はあったらしく、翔陽は場所を知っていた。
スマートフォンで連絡が取り合えることを確認してから、翔陽は残りの仕事に戻った。
かと思うと、急にまた戻ってきた。
「どうしたの?」
「やっぱホテルまで送る」
「!いいよ、ここから近いし」
「でもっ、心配」
「いいってば、自分のことやって」
「送ってすぐ戻る」
「翔陽!!」
『まだなんか問題か?』
事務連絡作業を終えたコーチがあきれた様子で戻ってきた。
翔陽が、をホテルに送ってきます、と言い切るので、すかさず、そんなことしなくていいと口を挟んだ。
コーチはそんなやりとりを笑って、わかった、とポーズを取った。
『じゃあ、こうしよう』
慣れた様子でコーチはスマートフォンで誰かを呼び出した。
『す、すみません』
『いいの、気にしないで』
先ほど試合にも参加してくれた女性をコーチは呼びだした。
私ひとりでホテルに帰したくない翔陽の気持ちを汲んで、地元の彼女に付き添ってもらえるよう話をつけてくれた。
子どもじゃないんだけどな。
はずかしかったけど、断れば翔陽が付いてきてしまうし、甘んじて好意を受け取った。
女性の方は、本当に気にしていない様子だったのが救いだ。
『さっきの試合、楽しかったわ』
『それは、その、よかったです』
『もビーチバレーやってたの?』
『いいえ、ただ、インドアを少し』
『通りで、様になってた訳ね』
そんな会話を弾ませつつ、ゆるやかな見かけの坂をせっせと上がっていった。
ビーチバレーの疲れもあって、けっこうキツい。
この女性も近くに住んでいるそうだ。
コーチの家も近いか聞くと、彼はいくつか家があるからと答えが返ってきた。
お金持ち……、なんだろうか。
『彼が気になる?』
『いやっ、そんな』
『ショーヨーに意地悪はしてないから安心して』
『は、ハイ!』
女性は、彼女の知る限りの翔陽のことを話してくれた。
私の知らない、日向翔陽。
それはどんな小さなエピソードでも興味深かった。
『あとはー……あぁ、そうだ。
私の友達がね、ショーヨーに、可愛い日本人ね、二人で食事に行こうって声かけたの』
初耳だ。
いや、そんなことあってもおかしくはない、けど実際に聞くと、ガツン、とくるものがある。
『その時に、
“自分には大事な彼女がいるから、みんなで行きましょう”
って答えたの』
ショーヨーは、ほんとうに、貴方が大切なのね。
“ほんとうに”の発音がとても印象深かった。
彼女はみえてきたホテルを見上げながら言った。
『私の彼ならきっと、二人で行くわ』
コーチのことだ。
今日見た限りでも、色んな女性と仲がよさそうだった。
『、ここね』
『あの』
別れの挨拶の前に、なんでだか聞きたくなった。
『自分だけ、見てほしいって、
思ったことありますか?』
コーチはその、他の女性とも仲がよさそうだったから、なんとなく気になって。
しどろもどろになりながら必死に英語で伝えると、彼女は顎に手を当て、間をおいて答えてくれた。
『私といる時の“あの人”は、私だけを見てるわ』
その言葉を、反芻する。
わたしといるときの、あの人。
『それにね、、あなたもそうだと思うけど』
彼女は、同志に秘密を打ち明けるみたく、私に囁いた。
あなたも、そうだと、思うけれど。
たしかに、
そうだった。
言葉が胸の中でふわりと浮かんで融解する。
だれかを想う気持ちに振り回されるのは、きっと、世界共通なんだろう。
どちらともなしに笑いあった。
お互い大変ね、なんて通じ合ったかのように。
*
「っ、……?」
ホテルのロビー。
連絡をもらってすぐ部屋から出た。
翔陽をすぐ見つけた。
飛びついて強く抱きしめると、翔陽からは清潔感のある石鹸の匂いがした。
トレーニングの後にシャワーを浴びて来たそうだ。
ドキドキしながら、身体を離した。
私も、たぶん、翔陽も。
じっと見つめ続けていると、翔陽が少しだけ照れたようにみえた。いや、照れている。
「て、照れてないっ」
「そっか」
「なんで、離れんだよ」
「このままじゃ歩けないから」
「じゃあ、こっち!」
翔陽は、いつもそうしていたように片手を差し出した。
私も、すぐ手を繋いだ。
いつも、そうしていたように。
ホテルのロビーは昨日よりずっと広い。
その割に、お客さんの姿はなかった。
海の方はまだ明るいけど、さすがにこの辺は夜が訪れている。
「、なに食いたい?」
「翔陽がいつも行くところに行ってみたい」
「わかった!」
翔陽は、私が恋人繋ぎしたいことに気づかないまま、道案内した。
next.