「、おばけって……!」
「あ、そんな悪いのじゃなくて」
「いいオバケってこと? そんなんいる!?!」
「女の人だって言う人もいるみたいだけど」
「お、おお女の人!? 映画に出るやつ!?」
ダメだ、話がぜんぜん届いてない。
映画に出るようなおばけが、こんな山奥の温泉地にひょいひょいと出るわけがない。
そもそも、そんな怖いのが本当に出るところに遊びに来たりしない。
説明したかったけど、今の翔陽に言っても通じなさそうだった。
「ねっ、温泉入りに行こうっ、温泉!」
こういう時は気分転換に限る。
翔陽を強引に連れ出すことにした。
気持ちのいい温泉につかれば、おばけを忘れて少しは気分も晴れるだろう。
怖いことなんてなにもないって説明したかったけど、温泉に行く準備をするだけでもびくつく翔陽に『おばけ』という単語を出すだけでアウトと思われた。
「うおっ!?」
今だって、さっき感動していた、玄関のセンサー付きライトにおどろいている。
大丈夫か尋ねかけたけど、大丈夫!!って目が言っていたから、わざわざ改めて言葉にしなかった。
「ほら、行こう」
こういう時は、甘えるに限る。
翔陽にわざとらしく引っ付くと、まんざらでもなさそうな様子で指を絡めてくれた。
ほんと、こわくないからな。
そう付け加えて、ぎゅっと手を握る翔陽。
笑ってしまわぬように注意しながら、知ってるとうなずいた。
*
温泉は、私たちのいた建物を出てすぐのゆるやかな坂道を下ったところにある。
行く道は途中から石畳に変わり、はいてきた下駄で歩くたび、カランコロンと風情が出た。
情緒ある風景に、翔陽も気が紛れて来たのか、端にある段差をわざわざ選んで歩いた。
その様子を並んで眺めた。
浴衣がひらり、ひらりと揺れる。
翔陽は部屋にあった浴衣に着替え、私はあとで色浴衣を選ぶ予定だ。
「は、その、おばけ怖くないの?」
違う話をしていたのに、段差をひょいと降りた翔陽がふたたび話題を持ち出した。
「そりゃーこわいけど、さ」
翔陽の浴衣のすそをつかまえてみた。
「いざとなったら守ってくれるかなと思って」
翔陽が目をぱちくりさせ、ま、守る!と即答した。
「っ、手つなぎたい!」
主張されるまま浴衣から手を離し、翔陽の手に持ち変えた。
ぎゅーっと強く握り返される。
どちらともなしに見つめあう。
翔陽が改めて言った。
「俺がを守りますっ」
大げさだなって思うのに、そういう風に言葉にしてもらえると、そりゃ、やっぱりうれしい。
つながった手は翔陽によってぶんぶんと振られつつ、温泉のにおいのする方へ進んだ。
ふと尋ねた。
「おばけ相手でも守ってくれるの?」
「!お、おうっ、まかせろ」
「翔陽、かっこいい」
「へへっ、当然っ!」
「あ」
「ど、」
言葉は途切れる。
翔陽がピシッと固まった。
私たちの前方、カボチャのおばけが歩いていた。
正確にはカボチャのかぶり物をしたスタッフさんが忙しなく通りを行き来していた。
雰囲気が出る仮装である。
向こうに確かハロウィーンの飾りつけをした通りがあって、イベントもあるらしいから、その準備と思われた。
「いいね、あれ」
素敵な仮想だよねと同意を求めたつもりだったが、翔陽は電源オフのスイッチを押されたかのごとく、ちっとも動かなかった。
*
「おまちどおさま。温泉、気持ちよかったね」
翔陽が待ち合わせ用のベンチに腰かけている。
おばけの姿はもちろんどこにもなく、翔陽も無事、温泉に浸かれたようだった。
でも、どことなく、元気がない。
むすっとして見える。
これはよくない。
翔陽の前に立って、くるりと一回りした。
なんだろう。そんな顔した翔陽。
「浴衣、どう?」
女性用に用意された色浴衣は、ほんとうにたくさんあった。
悩んだけど、旅先の勢いも手伝って、明るく華やかなものにした。
羽織や帯までいくつも種類があってなかなか楽しい。
せっかくだから髪もはりきった。
すそを両手でつまんで、柄がわかるようにもう一度ポーズをとる。
「かわい、「すげーかわいい!!!」
翔陽の一声は、とてもうれしいけど、とても、その、目立った。
翔陽の手をとってすばやくこの場を後にする。
周囲の視線は決して悪いものではなかったけど(いいわねぇなんて聞こえてきたし……)、長居はしないに限る。
夕飯にはまだ早いから一度部屋に戻り、カボチャのスタッフさんが走っていった通りを散策することにした。
道なりにカボチャがたくさん飾られている。
いわゆる“ジャック・オー・ランタン”、大きなものから小さなものまで、表情がそれぞれ違う。
まだ明かりはついていないけど、日が暮れ始めていた時間帯、明るい空の下でどことなく怪しい雰囲気が出てきている。
写真も撮りやすい時間ですよと宿の人が案内していた。
「、このカボチャ、バレーボール彫ってある!」
今年話題になった出来事も織り込んでるらしい。
よくできている。
おかげで、翔陽もすっかり楽しんでいるようだった。
よかった。
ふと冷たい風が頬を撫でた。
「、そっち、なんかある?」
「いや、夕日、きれいだなって」
山が連なるほう、オレンジ色の光があふれんばかりに冬に向かう木々を照らしている。
「行ってみる?」
翔陽が片手を差し出した。
返事として自分の手を重ねる。
この先も道にはなっているけれど、ハロウィーンの飾りつけは一切ない。
最低限の明かりが同じ間隔で並んでいる。
宿泊棟のエリアでもないので、人が全くいなかった。
自然はいっぱいあるせいか、いっそう空気がひんやりしている。
「すげー静か」
「だね」
自分たちの声だけが響く。
一本道を外れただけで、こうも雰囲気が変わるのか。
ずっと歩いていくと、開けた場所に辿り着いた。
川辺だ。
端っこにぽつんとベンチが置いてあるので、人が立ち入っていいことはわかる。
何か看板がある。
近づいてみると、フロントで受け取った案内板と似た文字で説明が書いてあった。
翔陽も横から覗き込むけど、こっちを見る。
「、なんて書いてあんの?」
「“この川が黄金に輝くうちにすべてを伝えたいのですが、それが叶わないほど、あなたを思い慕っております”」
「へ!?」
「そういう感じの和歌が書いてある」
小さな看板の向こうを見やれば、キラキラと夕日を受けて輝く川が美しい。
視線を上げると、さっきまでいた温泉施設が見える。
目隠しがあるから、たぶん男湯の露天風呂がその向こうにあるんだろう。
「のほうからも川見れた?」
「見れたよ。きれいだったね」
話しながら川辺に近づいてみると、水が透き通っていた。
思ったより浅瀬が続いている。
夕焼けが反射し、きらめきが星のように光り、木々に覆われた流れは夜の闇を思わせた。
流れを見つめていると吸い込まれそうだ。
「お風呂に説明なかった?」
ふと思い立って切り出してみた。
しゃがんで石を選んでいた翔陽が立ち上がる。
「なに?」
「さっきの、和歌の説明」
「おぼえてない。!」
よろしくとばかりに翔陽が手を合わせる。
翔陽専用のツアーガイドとしてうろ覚えの知識を披露した。
昔むかし、あるところに、村の男性が、とても美しい女性を見つけた。
彼女は困っていた。
大事な羽衣が木に引っかかって取れないそうだ。
男性は、木に登り、その羽衣を女性に手渡した。
お礼をしたいと彼女が言い、それをきっかけに、二人は心惹かれあった。
「、大丈夫?」
くしゃみで話の腰を折ってしまった。
「ちょっとだけ冷えてきたみたい」
翔陽に肩を抱かれ、平気って顔をしてみたものの、やっぱり湯冷めのようだ。
川のせせらぎも輝きを失いつつある。
「その話、長い?」
「長くないけど……、つまんなかった?」
少しだけ口をとがらせてジッと様子を窺う。
翔陽が笑って首を横に振った。
「が心配なだけ」
風が急に吹いた。
木々がざわめき、一斉になにかの鳥の群れが飛び立っていく。
空はオレンジ色が次第に紫に変わり、羽ばたいていった鳥たちのシルエットが見てとれた。
夕闇の時間。黄昏れ時。
「、そろそろ戻ろう」
翔陽の声が現実に引き戻す。
「まだここにいたい?」
「そういうわけじゃないけど……」
翔陽が私を見守っている。
こうやって抱きしめられているのも心地よかった。
がいたいならここにいようって言われたみたいで、つい、甘えてしまう。
次第に目の前の光景が夜に包まれ始める。
「なあ、こういう時間を“たそがれ時”って言うんだよな? だれですかって聞くやつ」
翔陽が空を見上げてつぶやいた。
先生がむかしそんなことを言っていた、なんて続ける。
「正解」
「やった!」
「だれですか?」
あなたは誰ですか。
私を抱きしめるこの腕は誰のでしょう。
唐突に切り出してみる。
「日向翔陽、の彼です!」
翔陽は迷いなく笑顔で言い切った。
「……そうですか」
「そうですよ!」
お互いにくすくすと笑いを噛みしめる。
「だれですかっ」
今度は翔陽が私に問いかけた。
その質問に答えないで、そろそろ戻ろうって歩き出すと、しばらくしてから翔陽が私を引き留めた。
ハロウィーンの飾りつけで賑わう大通りに戻る前、私を抱きしめてもう一度言葉にした。
俺が抱きしめてるのはだれ。
吐息がこそばゆい。いつもと違う香り。
小さく身じろぎして腕の中で向き合った。
真似てつま先立ちし、翔陽だけに聞こえるように囁く。
翔陽がすき。
質問の答えではないけれど、翔陽は満足したのか『俺も』と呟き、頬をとてもやさしくついばんだ。
next...