そのうち時間がきて夕飯を済ませ、温泉にまたつかり、ぽかぽかとまどろみつつ夜風に当たった。
観光スポット行きのシャトルバスもあった。
列に並んで流れに沿って乗り込もうとしたとき、翔陽が私を引っ張った。
最後に乗り込むはずだった私たちが動かずにいると、運転手さんが声をかけた。
「乗らないんですか?」
間もなく出発時刻とあれば、確認するのも当然だろう。
その質問に翔陽は私を見つめるだけだった。
「あの、……やめときます」
気の変わる観光客に慣れているのか、運転手さんは挨拶を一つ、気持ちよく残し、シャトルバスの自動ドアを閉めた。
バスが走り去っていくのを眺める。
手は翔陽に握られているからあたたかい。
温泉ってすごいな、そんなことをぼんやり考えていると、翔陽が手を外して自分の後ろ髪をいじった。
「行かなくて、よかった?」
「うん」
「、行きたかったんじゃ」
翔陽の腕にもたれかかった。
やっぱりあったかい。
「夜のかぼちゃ、見に行こうよ」
「……ん、そうするか」
このままくっついていると歩きづらいので、腕から離れ、どちらともなしに歩き出す。
人の通る場所は明かりがあっても、普段よりずっと道は暗かった。
時々、手と手がぶつかる。
その内、小指が引っ掛かって、気づけば手を握り合っていた。
夜が深まったハロウィーン通り、どのカボチャにも明かりが点いている。
さっきのシャトルバスと同様、他の観光地からここに来る人もいるらしい。
賑やかな方へ出かける人も多いけど、トータルでみると人出はほんの少し増えていた。
出店が開いているから、部屋で休んでいた人も顔を出してみたというところか。
せっかくだから、出店の一つの射的に翔陽が挑戦した。
「オニーサン、腕いいね!」
やっぱり目がいいからだろうか。
翔陽は見事に的に命中させ、いつの間にかちょっとした人だかりができていた。
お店の人からボーナスの弾を支給され、いよいよ店一番の大物と言われるハロウィン人形にチャレンジする。
正直、欲しいとは言い難いけれど、倒せたらすごい。
翔陽が真剣な眼差しで銃を構えている。
邪魔にならないように少しだけ離れて、その様子を見守る。
どうなるだろう。
真剣に見すぎて隣の人にぶつかってしまった。
相手もこっちに寄りすぎていたらしく、お互いに頭を下げる。
翔陽、がんばれ。
人形そんなに欲しくないけど。
「先輩?」
話しかけられたと同時、おぉっと歓声が上がった。
翔陽が弾を打ったんだってわかった。
店主の人がおめでとうって小さなラッパを慣らした。
他のお客さんも拍手を贈る。
私もそうしたかったのに、隣の人が熱く語ってきてそれどころじゃない。
「先輩、オレです、オレ! あの、バレーの!レフトの!!」
あ。
やっとわかった。
「久しぶり」
「お久しぶりです!!!」
1つ下の後輩だ。
いつぶりだろう。こんなところで知り合いに会うことがあるんだ。すごい。
「先輩に会えるなんて何たる幸運……!」
相変わらず大げさな後輩だ。
この熱心な感じ、なつかしい。
どうしてここに、あ、泊まってるんですか、温泉はいりましたか、その浴衣どうしたんですか。
口を挟む隙間なく怒涛の質問を前にくらくらしてくる。
「よかったらオレと、「“オレと”、なに?」
かぼちゃの人形がしゃべった。
いや、翔陽だった。
日向さん!!!
後輩が叫ぶと、捌けつつあったお客さんたちが何事かと振り返った。
射的と無関係とわかると、みんな各々散っていく。
私に向けていたのと同じ、いやそれ以上の熱量で、後輩は翔陽にたくさん質問した。
そりゃ、憧れの先輩で、今もなおコートに立つ選手を前にしたらこうなるだろう。
でも、このまま翔陽を取られるのは困る。
そう思ったのも束の間だった。
「それ、ぜんぶ、また今度な!」
翔陽が相手の反応を待たずに言った。
景品の人形が後輩の手に渡る。
「やる! じゃあな!
、行こう」
呼ばれるがまま後輩に会釈ひとつ、すぐ翔陽についていく。
残された彼は、翔陽からもらったハロウィーン人形をぽかーんと抱きしめていた。
なんともシュールな姿である。
彼の連れだろうか、様子を見守っていたらしい数人が彼を取り囲む。
けれど、彼はずっとこっちをみてる。
ためしにバイバイと手を振った。
高速で手が降り返された。
この暗さで、こっちの動きが見えるとはすごい。
「、なにやってんの?」
振る手を捕まれ、下げさせられた。
本当に何をやってるか聞いてきたわけじゃなく、何やってんだよって意味だったと遅れて知った。
ただ、後輩に挨拶しただけで、それだけで。
翔陽の早歩きについて歩くのは、下駄だとけっこうキツい。
「あ」
片方が脱げてしまった。
翔陽がすぐ振り返った。
その途端、だれだろうって、一瞬、思ってしまった。
知ってるのに知らない眼差しだった。
「、足、大丈夫?」
翔陽がすかさずひっくり返った下駄を拾い上げ、履きやすいように差し出してくれた。
「あ、ありがと」
「ごめん、早かったよな、歩くの」
そんなことないよ、とは言わずに、ちょっとね、と正直は伝えると、翔陽は私に合わせて歩いてくれた。
射的、おもしろかったな。
そうだね。
何気ない話をしつつ、直前にあった出来事には触れなかった。
もうちょっとしたら、私たちの宿泊する“つつじ”に到着する。
翔陽が言った。
「ああいうの、よくある?」
鍵を準備していた手が止まる。
「……あーいうのって?」
何のことだかわからないって顔で、射的屋さんでの出来事をありありと思い出していた。
「わかんないならいいよ」
本当に『いい』って顔じゃない気がしたけど、素知らぬ顔で翔陽に話を合わせた。
寒いから部屋に入りたい、そんなふりをする。
カードキーを当てて、一歩踏み出した瞬間、ライトが付いた。
「」
あったまったはずなのに唇がもう冷たい。
浅いキス。
下駄すらまだ脱いでいない。
性急な口づけだった。
驚きからカードキーを落としてしまい、床を滑っていった。
拾わなきゃ。
演技みたく呟いて履物を脱ぎ、部屋へと入った。
布団が2人分敷かれていた。
寝る前にもう一回お風呂入りに行く?
タオル、どこにおいたっけ?
物を探していたはずが、翔陽の腕の中にいた。
導かれるまま座り込む、布団の上。
やっぱりこの部屋は畳みのいい匂いがした。
「が足らない」
真剣な眼差しは、夜道で見つけたときと似ている。
「あれ、……あーいうの、やっぱり、いやだ」
翔陽の手がやや強引に入り込んだ。
可愛くみえるようにがんばってきた浴衣は、もう少しこのままでいさせてほしいと訴えているようでもあった。
けれど、細やかな抵抗にしかならない。
暖房のついていない部屋は、少し肌寒い。
「私、……どうしたらよかった?」
あまりに突き進む翔陽の手の甲をそっと制した。
翔陽が動きを止め、真意を探るかのごとく視線を絡める。
布団は心地よかった。
翔陽の肩越しに電気がみえる。
まんまるのLEDライトがまぶしい。
視線を戻し、なるべく落ちついたトーンで告げた。
「仕方ないことでしょう?」
慕ってくれる後輩を邪険にしろという人ではない。
わかっているけど、あえて言葉にし、頬に手を当て、翔陽の輪郭をたどった。
この瞳が好きだ。
よそ見しない、真っ直ぐな想いを見つける。
。
そう呼んでくれる声も、唇も、止めてもやめない手も、なにも、ぜんぶ、すき。
「“仕方ない”って、いやだ。わかるけど……」
お互いに内側を探り合っていた。
物理的にも、精神的にも。
他のだれもが立ち入れない、やわらかな箇所は、ふれると心地よくて、気を付けないとすぐ傷がつく。
「が欲しい。
……くれ」
真っ直ぐに見つめあう。
翔陽の肩を引き寄せた。
深くふかく、息継ぎが必要なほど溶けてみる。
その度、苦しいけど、もっと、もっとと欲しくなるのが不思議。
でも、やっぱり苦しくなって逃げようとすると、翔陽はそれを許してくれなかった。
本気で逃げたいわけじゃなくて、一度、ちゃんとしたいだけ。
そう伝えようにも、いや、翔陽もわかってるんだろう。
言葉にさせてもらえなかった。
肩から色浴衣がすべっていく。
やっと唇が離れた時、口元を手でぬぐうと、てらてらと濡れて光った。
「……、いっつも、余裕あるよな。
俺はないのに」
はがゆそうに翔陽がつぶやく。
そんなことない。同じだよ。
私の訴えは耳に届いているようなのに、翔陽は微笑むだけだ。
すぐまた再開した。
触れられるたび、触れようとしている力が抜ける。
贈られる感覚にいっぱいになる。
翔陽で、みたされる。
なんとか翔陽の肩に引っかかっている浴衣を乱したくて掴むのに、すぐまた、しがみつくだけになる。
唇から頬へ、耳に、首筋を伝って胸元に、腕を撫でたかと思えば脇に触れ、腰に回り、唐突に感覚が入り込む。
ふれて、はなれ、また触れにふれ、差し込まれる。浅く、あさく、あさく。
意地悪だ。
乱れた呼吸、けれど、余裕があるのはどっちだろう。
帯を思い切り引っ張ってはずし、どっかに投げると、布越しに熱が触れた。
不意に意識が天井に向いた。
「翔陽」
「ん? どした」
「上で寝たいって、さっき、言ってたよね」
2階は真っ暗になっていた。
あの窓から星は見えるんだろうか。
「え、なに」
私にまたがっていた翔陽も2階を見ていたはずなのに、それ以外はすべてこっちに狙いを定めていた。
「、ほんとうに余裕あるよな」
そんなことないよ。
ねえ、そんなこと……
言葉にならない。
布団がずれる。せっかく、2組、きれいに、きれい、なの、に。
強引に押し入るくせに、口づけは、やさしい。
触れる手は宝物を扱うようだ。
眼差しは“いとしい”って、ぜんぶ、言ってる。伝わってくる。
「かわいい」
ひとりごとみたく翔陽が漏らす。
かわいい。、かわいい。ほんと、かわいい。かわいいな。
どれも違う。どれも同じ。
私が好きって伝えてくれる。
「、
もっと、
もっと、
俺だけに、
見せて。
聞きたい……、
ぜんぶ、
おさえなくていい」
翔陽の髪がライトに照らされ、濃いオレンジ色が揺れる。
「俺だけだから。
俺だけ。
……大丈夫。
だいじょうぶ。
俺も、だけだ」
溺れそうなほどみたされる。
あふれているのに、またつながる。
振り落とされそうで、そんなことはなく、絡んで、強く、求め、離れない。
もっと。もっと。
繰り返し、時を、細かく、刻み、 また、とけ、求める。
ふと、まっしろな瞬間、我に返ると、急激に恥ずかしくなるのが常だった。
隠そうとしても、翔陽が先回りして邪魔する。
「あんまりみないで」
「俺は見たい」
同じ日本語を使ってるからって通じ合えるとは限らない。
翔陽はうれしそうに見下ろしていた。
「こんなかわいい、俺だけ知ってる。
すげえ、うれしい」
翔陽はおひさまみたく微笑む。
自分はなんでこんな姿なんだろうと逃げたくさせる。
隅に追いやられていた浴衣に手を伸ばすと、翔陽が浴衣をもっと遠くに投げた。
「、きれいだ」
「……見飽きたでしょ」
「は俺に飽きることある?」
翔陽は真っ直ぐ見つめて言った。
変なことをいう。
「地球が逆回転したってそんなことありえない」
翔陽が瞳を輝かせた。
「、それかっけえ! 俺も言いたい!」
どうぞと笑い交じりに返すと、翔陽が唇がぶつかりそうな距離で言った。
「地球が何回まわっても、俺はがだいすきだ」
じわじわと翔陽が忍び込む。
熱が高まっているのがわかる。
翔陽が囁いた。
「、……いい?」
ダメ、と答えられることなんか、あるんだろうか。
すでにいっぱいだった、けど。
答え方に迷っていると、名前を繰り返し呼ばれた。
隙間なく互いの身体が密着する。
ひと段落して周囲を見た。
いつの間にか、枕もどこかに転がっていった。
翔陽の激しさについていけなかったんだろう。
この身体であんなに高く飛んでいるんだよなと、翔陽の肩にふれ、ゆっくりと背中の方へと手のひらを滑らせた。
「、くすぐったい」
「がまんして、……私だって、さわりたい」
温泉の効果か、指のすべりがよかった。
翔陽が身じろぎし、くすぐったいと訴えた。
そんな反応を見つめていたくて、時に遊ぶように、時に誘うように触れていると、また私の知らないボタンを押してしまったらしい。
「、もう、いいよな?」
チラと見えた舌先もまた光っていた。
膝が割って入る。
「」
「まだ」
まだ、だよ。
答える隙はくれなかった。
声を押さえるすべもなく、あおられ、高まり、深くまた上りつめた。
何度も何度も、時を、かさね、合わせた。
next.