2月14日、それは特別な一日。
好きな人に日頃から温め続けた想いをチョコレートに託して打ち開ける日。
のはずだけれど、あげる相手がいないんだから単なる2月の日付に過ぎない。
だって、日向君はバレーの選抜合宿で今日も会えないんだから。
そりゃ手作りしたっていいけれど、本人からずっと連絡がない。
元々バレーに一途な人だし、1つのことでいっぱいになる時は他に手が回らなくなることだって知っている。
だから、いいんだ。バレンタインなんてものを気にしないで。
結局、問題なのは、日向君に会えなくて寂しいっていう気持ちを自分で処理しきれていないことだ。
だから、かえって今年はこれでよかったんだと思う。
もやもやとした気持ちさえ糧にしてお菓子を作ってしまえばすべて丸く収まる。
後はおいしく食べてしまうだけだ。
放課後の部室にはまだ誰もいないかと思えば、一人後輩がすでに来ていた。
「あれ、先輩、どうしたんですか」
「これ」
「なんですか、これ」
「差し入れ」
「おおお……!!」
「クッキーなので、皆でどうぞ」
「あ、俺宛じゃないんですか!」
「俺宛ではないね」
「みんなでいただきます。あざっす!」
「どういたしまして。でも、クラスの子にもらってるんでしょ?」
「もらったことないっすよ」
「そうなんだ。まあ、義理チョコ代わりにね」
「あ!」
「ん?」
「先輩、受験、合格おめでとうございます!」
「あ、ありがとう」
だから、バレンタインなんてイベントに参加してみる都合がついたんだけど。
まさか志望校に受かってないのにチョコクッキーを作っている場合じゃないし。
さくっといい音がしたと思うと、バレー部の後輩が手渡したクッキーを早速かじっていた。
我ながらよく焼けているなと思った。
「う、うまい…!!」
「いや、あの、そんな感動するほどのものじゃあ」
「すげーうまいっす!!」
「あ、ありがと……」
「日向先輩、いつもこんなのもらってるんですか。すげーうらやましい!!」
「いや……」
「あ、カレシにはもっと特別なものをあげるんすね!うらやましい!!」
「あのね……」
盛り上がる後輩の話を遮ることはできそうもなく、まあいいやと放っておこうにも何故か質問攻撃に合ってしまい、仕方なく答えた。
「ないの」
「は?」
「だから、日向君の分はないの」
「先輩の彼氏なのに!?」
「……そう、だね。彼氏だけど、今年はバレンタインはない」
「彼氏なのに!?!」
何回連呼するんだ、彼氏って。
なんだか面倒になってその場を離れようにも、後輩の方が話は終わっていないと食い下がる。
この話題になるなら差し入れする相手を間違ったかもしれない。
まあでも、嘘をついたって仕方がない。
手作りのものは当日に会って渡さないといけないから。
今日会えないなら渡せない。
市販のものをあげることも考えたけど、どうせ当日に渡せないなら14日を過ぎてから買ってもいいんじゃないかな。値段もずっと安くなるし。
「先輩は俺の母ですか!!」
「母になった覚えはないけど」
「そうっすけど!!俺の母も父にあげるやつ明日買えばいいって言ってたから!!」
「そ、そんな涙ぐまなくても」
バレンタインデーに夢を見すぎではないだろうか。
もらったことがないから、そうなるんだろうか?
日向君も、この後輩くらい……とは言わないまでも、少しはチョコレートが欲しいと思っていてくれたならよかったのに。
いや、せめて連絡の一つくらいくれても、なんて心の奥底で思ってしまう。
「あれ、先輩じゃないっすか。お久しぶりです」
「久しぶり、邪魔してごめん。もう行くから」
「あ、先輩の差し入れですか」
「よくわかったね」
「いいにおいがしたので。あざっす」
「いえいえ」
「あと、こいつどうしたんですか」
「よくわかんないけど嘆いてる」
「じゃあどうでもいいですね」
「よくねーよ!!!日向先輩が先輩のクッキー食べれないなんてあってたまるかああ」
「いやいやいや……!」
この話題に深入りしたくないのに、こうも大ごとになってしまうとは。
誰か後輩を止めてくれ。
内心そう思いながら他の部員たちが来ないうちにこの場を去ろうとした。もはや混迷を極めていた。
「先輩、そんなバレーバカな先輩やめて俺がしあわせにします!」
「ははは……」
「先輩、クッキーうまいっす」
「お口に合ってよかったです」
「おまえ俺が先輩に一世一代の告白をしてるのになんで間に入ってクッキーの感想を言う!!」
「うまかったから」
「うまかったけども!!」
「きゃー先輩だー!今日学校来てたんですねー」
「わーごめん、もう行くつもりだったのに」
「いっそ練習見てってくださいよ。今の速攻だってすごいんですよ。あ、これ、もらってください」
「あ、ありがと! おいしそう」
「先輩、俺の話を聞いてください!!」
「き、聞いてるきいてる」
「年明けてからほぼ連絡ない彼氏ってどうなんですか!!」
「近いちかい!」
「え、なに、先輩になんでまた玉砕されに行ってるの?」
「先輩がしばらく日向先輩と会ってないからチャンスじゃないかって空回ってる」
「あー」
「あーじゃねえ!空回ってねえ!!バレーの合宿だか知らねーけど自分の彼女大事にしないなんてありえね、「そうだよなあ」
背後から、聞こえたその声は、まさにその声で。
「でも、は渡せないから。ごめんな」
ごめんな、
声がリフレインする。
肩に回された腕は、すぐ横に感じるぬくもりは、その人は、やっぱり日向君そのもので。
目が合って、微笑まれると、途端に封じ込めていた熱が目を覚ましたかのようだった。
「行こっ」
「え、どこに、えっ」
手を握りしめられる。自分よりも大きな手、それは冷たかった。
後ろの部室からは後輩たちのざわめきが聞こえたけど、それも全部置き去りにしたまま、2月の寒さを突っ切って部室棟を降りていく。
階段ひとつ踏むたびに大げさに響く音、それは部活動を引退する前と変わらなかった。
先を歩く、いや走る日向君の背中ははじめて会ったときよりもずっとたくましいものだった。
早くて、少しこけそうになって、バランスを崩しかけると、日向君は振り返って速度を落としてくれたけど、それでも歩みを止めることはなかった。
2月14日もまだ春は遠かった。
なんで、ここにいるんだろう。
今日会えないって話じゃなかった?
東京で合宿だってそう言ってたのに。
「乗って」
「え」
「自転車、かっとばすから」
よく見ると日向君はジャージだった。
自転車のかごにはスポーツバッグが無造作に置かれている。もしかして合宿終わりにそのまま学校に来たんだろうか。
想像を巡らせていると、私のカバンはその上に置かれた。
「ど、どこ行くの」
「ひみつっ」
ず、るい。
そんなきらきらとした瞳で言われたら、喉元につっかえていた質問の一つさえ口にできなかった。
久しぶりに日向君の後ろに座った。
どこをつかもうか悩んでいると、しっかり捕まっててと声をかけられた。
自転車の適当な位置をつかむ。
「まだ?」
日向君が振り返って私の手が自転車をつかんでいることに気づくと、少しだけ眉を下げたように見えた。
慌てて日向君の背中にくっつき直すと、たぶんだけど嬉しそうに笑った。
本当に、ずるいな。
日向君が力強くこきだす。鍛えられている足がペダルをこぐと、自転車のスピードがぐんと上がった。
next.