ラムネ色した 憐憫
ここ、やってるの?
そんな風に驚かれることはよくあった。
町はずれの個人商店。
が手伝うそこは、まるで一昔前のドラマのセットみたいだと大人たちに言われた。
一緒についてくる子どもたちには、あの店、あの駄菓子屋、近所のあそこって呼ばれたりする。
あそこ行く?で通じてしまうあたり、この辺りになんにもお店がないことの証明だなあとはよく思った。
元からこの店だけだったわけじゃない。
今は空き家だけど、近所にいくつもお店はあった。
が年を重ねるごとに、またひとつ消え、しばらくすると一気に三つなくなり、気づけば準備中のまま変わらなくなったりして、結局、このお店だけが生きるかっこうとなった。
「ちゃん、おばあちゃん、どう?」
「元気そうですよ、眠りすぎて飽きたって」
「病院だしねえ」
近所のこの人は口元に手を当てて静かに笑った。
この人はこういうところじゃなくて、もっとこうおしゃれなデパートが似合いそうだ。
いつも来てくれるその人の袋に、商品を入れて手渡した。
「ありがとうございました」
「どうも」
行くよって、入り口のところにあるガチャガチャで遊んでいる子どもを連れて、またお客さんがいなくなる。
だーれもいないお店。
物語が始まりそうだよなって思う夕暮れ時。
秋が忍び込んでくる、8月の終わり。
高校最後の年。
「、なにサボってんの」
「!」
「いつものちょーだい」
「は、ハイ!」
「」
「いらっしゃ、「こいつ甘やかさなくていい」
「岩ちゃん、口出さないで!」
これは俺との話なんだからって、及川くんは腕を組んで、いつものところに腰かけた。
目が合う。
「なにやってんの、早くはやく、俺が干からびてもいいの?」
「、会計」
「岩ちゃん割り込み!」
「金払ってねーだろ」
「もう置いたし!!」
及川くんの言う通り、知らぬ間に100円玉が置かれていた。それと10円玉1枚。
「今日ののおやつは、これね。コーラ味」
及川くんの指先がたくさん並んだラムネから、君に決めたとばかりに、たったひとつを選び出す。
その所作がなんだか華やかで、には、単なるラムネ菓子がとくべつに見えてしまうのが常だった。
しかし、その視線にすぐ及川が気付く。
「、早く、いつもの」
「は、ハイ!」
岩泉くんが自分で出せよとツッコんだ。
自分で出したらドロボーじゃんって及川くんが返す。
いつもこの二人はポンポンとやりとりしていてすごい。
は圧倒されてしまい、よくうっかり“いつもの”を出し忘れそうになる。
店の裏方にある冷蔵庫から、キンと冷えた緑色の瓶を取り出し、えいやとキャップをはずした。
ご希望のお客様がいる時は、購入された時に瓶のキャップを外している。
今どき、瓶でソーダ水を売っているお店はなかなかないって、前に及川くんに聞いた。
だから、今でもこのお店に来てくれるんだって。
岩泉くんは自分でお店の中にある方の冷蔵庫からラムネを取り出してお代をくれた。
毎度どうもありがとうございます。レシートはどうしますか。
一応ポーズとして聞くけど、岩泉くんはレシートはいらないそうなので、いつものようにゴミ箱にポイっとした。
「あーーー今日はもうちょっと早く決めたかったなー」
「まあ、いい方だろ。1年メインの割には」
「試合は勝ったし、岩ちゃんもいつも通り決めてくれたし、俺も絶好調だったし、「ツー、2回も失敗してたけどな」
「取り戻したじゃん、サーブ!」
「ミスったけどな」
「ほんと岩ちゃんよく覚えてるね!!」
二人はこんな風に反省会をする。
反省会、というのは、バレーの。踊る方じゃなくてバレーボールの。
なんでも有名な学校のバレーボール選手だそうだ。
青葉城西高校っていえばみんなピンと来るらしい。
ぜんぶ、「らしい」って伝聞なのは、自身はバレーとは縁のない学校に通っているからだ。
二人と同い年だし、このお店のおかげで小中から顔見知りではあるけれど、学区の違いから一度も同じ学校で過ごしたことはない。
一度だけ同じ高校を目指してみようかとがこぼしたことがある。
岩泉くんはその時いなかった。
及川くん一人で、たしか、午前授業だったと聞いた。中学の夏のことだ。
『私も……せいじょう、行こうかな』
そのときは、まだおばあちゃんも元気だった。
奥で仲よしの人と電話をしていて、が店番を任されていた。
及川から返事がないから、おばあちゃんの楽しそうな談笑とお店の外の蝉の音、それと調子の悪かった冷蔵庫のファンの音が聞こえる。
あのときも、たしか、及川くんはいつものソーダ水を買った。
は及川からもらった10円に、自分の50円を足して、カップのかき氷イチゴ味を食べていた。
しゃくしゃくと木のスプーンで固い氷を崩していた。
『なんで……、俺と違って推薦ないだろ』
『そっそりゃ、もちろん、一般受験だよ』
『お前、近くの女子高じゃなかった?』
『そこも受けるけど』
『受験料の無駄になる、やめとけ。通える学校は1カ所だよ』
及川くんが、細いストローを外して、瓶に直接口をつけた。
この頃の及川くんは、気まぐれにストローを所望することがあった(高校に上がる頃にはもういいやってストロー抜きになった)
細いストローの先から、ぽつ、ぽつとソーダ水が地面を濡らす。
『あらあ、徹ちゃん、来てたの』
『来たよー』
及川くんはおばあちゃんが好きみたいだった。
自分と話す時よりずっと声のトーンが柔らかいし、笑顔も明るい。
さっきみたく、冷たい眼差しをおばあちゃんに向けることはない。
時々、自分が及川くんとしゃべれるのは、おばあちゃんがいるからで、ほんとうは私のことが嫌いなんじゃないかって思った。
一回本人に聞いたけど、くだらないこと聞くなって一蹴された。嫌いやつのいる店にわざわざ来る?だそうだ。
『また来るね』
『徹ちゃんの好きなドーナツ、用意するからね』
おばあちゃんは時々手作りでおやつを振舞っていた。
でも、知っていた。及川くんはドーナツを卒業したんだ。春くらいにそんなのいらないって、せっかく、作ったのに。
『』
いじいじしてたのに、及川くんに呼ばれるとやっぱりすぐ反応してしまう。
『お前は女子高がお似合いだよ』
『う、うん』
『青城の過去問買うより貯金しな』
ひらり、片手を振ったかと思うと、及川くんはお店をあとにした。
後ろ姿までかっこいい。
ぽつりとこぼすと、徹ちゃんはあの俳優さんみたいよねえとおばあちゃんは言った。
どの人かは尋ねたけど、ドラマの名前を聞いても役柄を聞いてもぜんぜんピンとこなかった。有名な人なんだって、わたべ?わたなべ?さんとやら、見てみたい。
『おお、高校生になってんな』
『なにそれ』
お店じゃなくて、お店に向かう途中で、岩泉くんにばったり遭遇したことがある。
高校1年生、春。
この辺は自然が多いから桜も咲いていた。
は真新しい制服を見せびらかすように、新しい鞄をしっかりと腕にかけて回った。
結局、通うことになった女子高の制服は、このへんでは際立って評判がよかった。
『どう?似合う?』
『馬子にも衣裳だね』
『!!!』
いきなり、本当にいきなり及川くんが出てきた時は心臓がばっくんと跳ね上がった。
『お、及川くんも』
『いいよ、言わなくて。俺がありとあらゆる制服を着こなすことはわかりきっている』
かっこいい。
密かにときめいたに、岩泉はすぐ言った。
『、相手にすんな』
『待った、待って、なんなの、岩ちゃん。今日は寄るところがあるって言うから練習切り上げたのに、なんでとここにいんの』
『たまたま道で会っただけだ』
『まさか新しい携帯での連絡先でも聞いたんじゃないよね? 岩ちゃんがそんなナンパなことしないよね?』
『それはおまえ『俺は聞いたんじゃなくて女の子たちから聞かれたの』
高校生になっても二人は二人だなあって、なんだかそれがうれしくて、いつまでもお店に着かなきゃいいのにって思ったけど、でも、やっぱりそんなことはなかった。
『』
今日はお店に寄らない二人との分かれ角。
及川くんに呼び留められた。
『やるよ』
『?』
くしゃっとなった紙屑だった。
どうしろ、と。
あ。
『わかった、捨てとくね』
向こうで岩泉くんが噴出して、ちょっと岩ちゃん!!って及川君が声を荒上げた。
かと思うとぐるんとすごい勢いで及川君がこっちを向いた。
『捨てるんじゃなくて、中、よく見ろよ』
『なか?』
くしゃくしゃの紙の中には、飴玉一つ入ってなかった。
『そうじゃなくてっ』
苛立った及川くんが目の前に立つと、前よりずっと身長が伸びていることを思い知った。
及川くんの指さきが紙切れ越しに伝わる。
『ここ、俺の新しい連絡先』
あたらしい、れんらく、さき。
及川との至近距離に気をとられ、は及川の言うことが頭に入ってこなかった。
『えっと、……誰の?』
『何聞いてたんだよ、俺の連絡先。前のアドレスは変わったからもうメール届かないって言ってんの』
なんでそんなことをわたしに。
答えを知りたくてそっと顔を覗き見たつもりだったけど、と目が合うと及川は長くふかくため息をついた。
わしゃっと髪をかき上げて空をあおぐ。
『といると情けなくなってくる』
『ご、ごめん』
『もういい、はアドレス変わってないんだよな』
『うん』
答えたと同時に、の額に軽く衝撃。デコピンされたらしい。
『特別にメールしてやるから、ちゃんと登録しろよ』
捨て台詞みたいにそれだけ言って、小さくなってる岩泉くんのもとに及川くんは走っていった。
残された紙きれは、よくよく見れば丁寧にアルファベットや数字が@マークとともに綴られていた。
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