ラムネ色した 憐憫 2
高校1年生の秋。
一度だけ、出来心で、青葉城西高校に行ったことがある。
高校ではじめてできた友達に、ついうっかり岩泉くんから聞いた交流試合のことを話してしまった。
他校との練習試合で、この日に限ってはご近所さんも見に来ていいそうだ。
ぜんぜん、これっぽっちも近所じゃないけど、一回くらい、二人のバレーを見てみたかった。
岩泉くんが1年生だからチャンスは多くはないけど、普段の練習よりは出してもらえるって言っていた。
これまでの感じからして及川くんは嫌がるだろうと思った。及川くんはなぜかあのお店以外のことから遠ざけようとする。特にバレーに関してはすごい。
岩泉くんを見に行くんだって言い訳を胸の中で作って校門を通り抜けた。
自分の学校も立派だけど、こっちの高校もすごかった。
やっぱりレベルの高いバレーの試合なら、高校生であっても興味関心はあるみたい。
にぎやかな体育館は紛れ込むのはかんたんだったし、場所も迷わなかった。
生で見るバレーボールってすごいんだって実感した。
友達も興奮していたし、いつの間にか背番号を叫んで応援していた。
でも、及川くんは見つけられなかった。
友達は他の選手の人たちに熱を上げていたけど、は密かに及川くんってかっこいいよねって言い合いたい気持ちがあった。
たとえ一方通行の想いでも、誰かと共感して大事にしたかった。
試合は結構な数が合って(他の学校同士もある)、長丁場でもあった。
この日も秋だった。
夏みたいな日差しの、秋の日だった。
は喉が渇いてしまい、飲み物を求めてうろついた。
『なんでいる、』
いきなり校舎裏に引きずり込まれたかと思ったら、それは及川徹だった。
いや、これで及川だと気づかなければは大声を上げていた。それくらい迫力があった。
『し、試合を、見に』
『バレー興味ないだろ』
『あっあるよ』
『ハア? 初耳だけど』
『高校生になったから、その、新しい世界を知ろうかと』
『だからってなんでうちに。帰れよ』
ここからなら。
案内がてら、及川くんが自分をここから追い出そうとしているのはわかった。
が及川の腕を振り払うと、及川があからさまに不愉快そうに眉を寄せたが、は俯いていて気づかなかった。
『及川くんには、関係ないじゃん』
みるくらい、いいじゃない。
及川くんのバレーを見てみたかった。
あのお店以外の及川くんも知りたい。
いつもの、じゃなくて、ドーナツでもなくて、いつもの席じゃなくて、いつもの道以外にいる及川くんを見てみたい。
いいじゃん、片思いくらい、させてほしい。
の耳に、ため息が聞こえた。
それは及川のものだともわかった。
『そうかよ、勝手にしろ』
『あ……』
置いて行かれないようには及川についていくと、及川は足を速めた。
それでもは付いてきた。
『女子高のは知らないだろうけど、ここはおそろしい共学校なんだからな』
『き、共学なんてこわくないよ』
『お前はあの店に来るガキしか知らないだろーけど』
及川くんは足を止めた先に、及川くんと同じジャージを着た男の人が立っていた。
及川くんより身長が高いその人が言った。
『試合は?』
『いま、2年を使うって監督が』
及川くんはとても行儀よく答えているのは新鮮だった。
『ふーん……、で、その子は?』
挨拶でもした方がいいんだろうか。
及川くんの背中からひょいと顔を出そうとすると、すぐさま及川くんに邪魔された。
『俺のです』
おれのって……、俺の、知り合い、だとか、俺の友達、だとか、もうちょっと説明足してくれてもいいのに。
及川くんは説明も省きたいほど、ここの知り合いに自分を会わせたくないんだろうか。
先輩らしき人が、の制服が某女子高であることに気づき、2、3質問したけど、それも全部及川くんが答えた。
つまらなそうにその先輩らしき人は頷いた。
『まー、いいや。たぶん、あと一試合くらいお前使うと思うから、その前に戻れよ』
『はーーい』
『ねえ』
その“ねえ”は、及川くんじゃなくてに向けられていた。
『今度来るときは、及川がいない時においで』
『わかりました』
それもやっぱり及川くんが答えた。
振り向いた及川くんの顔、すごく怖い。
『言っただろ』
『痛い、いたいよ』
『怖いところだって、だから来るなって』
こっちに来るなってあれほど。
『及川くん!!!』
思い切り腕を振り払うと、やっと及川くんが足を止めてこっちを向いた。
一心不乱に学校の外を目指すから、何が起こったのかといろんな人に見られていた。
途中、いいなーなんて青葉城西の女子に言われたけど、たぶん勘違いしたんだと思う。
はたから見れば、かっこいい男子が女子の手を引いている図だけど、実際のの手首は予想よりずっと痛みを伴っていた。
『……、なんで、俺のこと』
ふりはらうのか。
そんなニュアンスが言外に含まれていても、は体育館の方を見つめるばかりだった。
『友達が、まだ中にいるから』
『俺より友達かよ』
がどういう意味か聞き返そうとしたとき、ボールが真上から飛んできた。
大きくバウンドするボール、それもまたバレーボールだった。
『今からそっち行くから、二人とも動くんじゃねーぞ』
岩泉くんだった。
体育館の上の方の窓からだったし、なんであんなところにいたんだろう。
岩泉くんが投げた?ボールが草木に入って見えないけど、なんとなく岩泉くんに言われたから及川くんも動かなかった。
やってきた岩泉くんは真っ直ぐに及川くんを蹴り倒した。
痛いよ岩ちゃん。
痛くしたからな。
いつもの二人だった。
あのお店にいる時と変わらない、いつもの、もよく知る二人。
携帯が鳴った。
試合を見終わった友達だった。
電話で話すを及川は見つめ、その様子を岩泉も見つめていた。
の友達は、今日はどうするか尋ねた。
もう少し見るか、帰るか。友達はもっと見ていきたいそうだ。
は、断った。
本当はもっといたかったけど、断った時、気のせいかもしれないが、及川がホッとしたように見えた。
岩泉が、帰るならこっからが近道だって案内しようとした。
『岩ちゃんいいよ、俺が行く』
『お前をと一緒にさせとくとロクなことねーよ』
『そんなことないね、俺は常に紳士だから!』
『、行くぞ』
『無視すんなよ! 、おいで、離れたら許さない』
結局、は二人に案内されて青葉城西高校を後にした。
『この間はありがとう』
日が落ちるのも早くなってきた秋と冬の中間、岩泉には熱々の肉まんを渡した。
今日もぴたりとした会計だった。
及川くんは今日はいない。
『なんかしたか?』
『そっちの、学校行った日のこと』
交流試合の日のこと。
ああ、と短く岩泉くんは返事して、いつも及川くんが座るところに荷物を置いたまま、肉まんにかじりついた。
『なんにもしてねーよ』
『でも……、及川くん、怒ってたし』
及川くんにきらわれたかもしれない。
レジにお金を戻してから、店番の定位置には戻った。
次に岩泉を見た時には、さっきまでの肉まんはすっかりなくなっていた。岩泉は荷物を肩にかける。青葉城西高校と一目でわかるジャージがよく似合っていた。
『も大概だな』
『え?』
『そういうのは本人に直接聞け』
『本人?』
岩泉くんが顎で出入口を示すと、ガラスの向こうに誰かの髪の毛がひょこっと見えていた。
及川くんだった。
立ち上がった及川くんは昔よりずっと背が高いなとは密かに思った。
扉を開けると外気温が忍び込んできて、やっぱりもう秋も終わるんだと実感される。
『、いつものちょーだい』
『寒いのにソーダかよ』
『ちげーしっ、この時期のいつものは、おっ、わかってんじゃん』
言われずとも肉まんを取り出したを気づくと、及川は機嫌よく声を弾ませた。
ぴったりのお会計、+10円玉で、今日はオレンジソーダ味のラムネを選んで、のほうに置いた。
お熱いのでお気を付けください。
はーい。
今日の及川くん、なんかご機嫌だな。いいことあったのかな。
は聞いてみたい気もしたけど、聞いてせっかくのご機嫌が損なわれても嫌だったので、大人しくラムネを開けることにした。
及川徹のご機嫌は秋の空のごとく変わりやすい。
『今日、病院寄ったよ』
びっくりしては小さなラムネを噛み砕きもせず飲み込むところだった。
『元気そうだったし、もうすぐもお役御免だね』
『うん』
おばあちゃんが体調を崩したのは寒さのせいだ。
だから、あたたかなストーブを用意すれば、それと、修理した空調さえ動き出せば、ぜんぶ元通りになる気でいた。二人とも。
及川くんはおばあちゃんが店番している方がうれしいのかな。そうなのかな。
『』
『あ』
ゴミ箱ならそこに、と言いかけて、別段及川の手に捨てるべき何かはなく、1枚のはがきがあることを理解した。
『ポスト……なら』
この店の、出たところの。
説明をし始めるに、及川は笑って、そうじゃないと告げた。
何かに当選したらしい。
ちょっと遠くのスケート場の入場券とレンタルセット、2名様分。
『まあね、来年の2月までだしね、行ってやらないこともないよ』
『……だれが?』
及川くんの話はいつも思うけど理解するのが難しい。
怒られるかなとは身構えたけど、今日の及川くんはそんなことなくて、俺と以外に誰がいるのさと教えてくれた。
『いつ行くかは今度な。でも、約束したからな』
『うん』
『他の誰かと、岩ちゃんでも、学校の友達でもダメだから、一緒に行くって決まりだからな』
『うん』
『感謝しろよ?』
『ありがとう、及川くん』
『わかればよろしいっ』
『めんどくせーやつ』
『なんでまだいんの、岩ちゃん!!』
当選はがきは及川くんが預かってくれるそうだ。
日付も及川くんの方が忙しいから、追って連絡するそうだ。
一方的な約束でも、ここ以外の時間をもらえることがにはうれしかった。
だから、なんで、及川くんが自分を誘ってくれるんだろうって考えもしなかった。
たまたま見かけた、女の子に囲まれる及川徹を目の当たりにしてはじめて、その疑問が芽生えた。
next.