ハニーチ





ラムネ色した 憐憫 3







及川くんは、なぜ、スケートに誘ってくれたのか。

誘う相手がいなかったとは考えにくい。

が知る限り、あんな風に女子に囲まれる人を見たことがなかった。

の知る及川徹は、いつものソーダ水や肉まんを手にして、そこに座っていて、まるでお店の一部みたいにすっぽりと収まっていた。

カッコいいだとかそういうの、まったく意識したことがない。

及川くんがあんなにモテるなんて知らなかった。

でも、そりゃ、モテるよね。わかる。

はクラスの友達にもし及川を紹介したらどうなるか想像した。
きっと自分が目にした光景と同じく及川徹はチヤホヤされるんだろう。

想像だけで凹む。
いや、実際そうなるはずだ。いやだ。

一度だけ行った青葉城西高校。
そのときの及川くんだって、ここにいるときとまるで違った。

及川くんが自分にバレーを見に来るなって言うのも、もしかしたら、同じクラスに好きな子がいて、万一親しそうにしゃべりかける自分みたいのがいると邪魔だと思ったのかもしれない。

自分は、ここにいる時の及川くんしか知らない。

誰もいないのをいいことにはレジのところで突っ伏して唸った。

うーーー。

やり場のない想いが、こう、ぐるぐるする。

しかも、なんでこういう時に限って来るんだろう。

戸が開いたのを感知して顔を上げると、及川が立っていた。
今日はジャージ姿じゃなくてコートにマフラーまでしていた。


『何唸ってんの、あぁ、期末悪かった?』

『試験まだだよ。及川くんとこ、もう終わったの?』

『明日でラス1! 早くバレーやりたいなー』


ぼやきながら及川くんはいつもの金額+10円でクリスマスだからって星の形のチョコを選んだ。
チョコのどこがクリスマスっぽいんだろうと思いながら、今日は所望されたソーダ水を取り出した。
店内が暖房ガンガンだから、こういうところで冷たいのも悪くないそうだ。


『まだお前が店番?』

『ん……、寒いから身体に負担かかるだろうって』

『そう』


なんてことのない話をする。

正確には、なんてことないんだって言い聞かせるように話した。

変わらない、毎年の、恒例行事みたいな話を、お互いにぽつぽつと。


『遅刻すんなよ』


いきなり及川くんが切り出した。

はピンと来ない。


『メールしたろ? スケートの話』

『あ……、わかってるよ』


及川くんからのメールは、滅多に来ないからすぐわかる。
ある日メールが突然届いて、冬休み早々に行くことになった。
後の日程はバレーで埋まってるから無理だそうだ。年明けも、その次も無理だからなって念押された。

そういえば、世間ではクリスマスイブと呼ばれる日だった。


『言っとくけど!べつに!!深い意味なんてないからな、勘違いするなよ!!』

『え、……と、あのメールに隠された意味が?』

『ないよッ、なんでってそういつも……』


及川くんはため息をついて、カレンダーも変えてないじゃんって11月のままの壁掛けのから一枚ビリっと破いた。


『ここは、俺がほっとくと世間に取り残されそうだね』


及川くんは破いた紙を二つ折りにしていた。


『時代遅れってこと?』


がこぼす。

及川は紙を折る手を一瞬だけ止め、すぐまた再開した。


『博物館みたいなものだよ』

『古ぼけてるっていうんだ』

『それじゃあマイナスの意味になる。ここは、そんなんじゃない』


おばあちゃんもいないのに?

店主がいないのに、何も変わらないなら、やっぱり先を行く時代にどんどん遅れを取っているようには感じた。

周りにあった店もだいぶ減った。
の知っている風景から徐々に変わりつつある。一番大事にしていた人だって、今はここにいない。

家族にも言われた。

もうやめたらと。もういいんじゃないかと。

おばあちゃんだって。



『俺がいるよ』



の頭に温もりが触れてはなれる。


『俺がいるんだから、それだけで、ここは価値がある。

 もいるしな』


『ん……』


『博物館もそうだろ、歴史はいつもそうだ、わからないやつらにとってはガラクタでも、わかる人間にしたら、宝の山だ』


及川くんが店内をぐるりと見渡して、またのほうへと視線を戻した。


はその価値がわかる。

 ……もちろん、俺もね』


二人で守ろう。

及川が続けた。

ふたりで、ここを、そうだよね。

が頷くと、及川はまだ残っていたソーダ水を飲み干した。

緑色の瓶がストーブの明かりで灯るのが、ほんのちょっとだけクリスマスっぽくにはみえた。









『……誰かと思ったよ』

『いや、えっ』

『行くぞ』

『は、ハイ!』


スケート当日、思い切りオシャレをしたせいか、せっかくだからと美容室で美容師さんになされるがままおススメにしてもらったせいか、どちらにせよ、及川くんの近くにいってもちっとも気づいてもらえなかった。
相当ダサかったに違いない。

及川くんといつもの場所以外に行けるから、つい、はりきってしまった。

気を抜くとすぐ及川くんと距離が離れてしまう。

必死では足を動かしたけど、いつもよりはりきったヒールには早歩きもレンガの道も向かなかった。


『あっ』
『バカ』


及川の腕が彼女を支えた。

慣れない靴が、凸凹としたレンガの一つに引っかかったのだ。


『ほら』

『……?』

『早くしろよ』


に差し出されたのは、及川の手のひら。

急かされてやっとは状況を飲み込んだ気になった。


『なにやってんの!?』

『え』

『え、じゃねーし、なんで1000円札乗せてんの』


てっきりスケート靴のレンタル代を先払いせよってことかと思ったけど、及川くんに言わせるとそうじゃなかったらしい。


『もういい。に付き合ってたらいつまでも着かない』


強引に重ねられた手は、の想像よりもずっと大きかった。

スケート場に無事着くと及川は言葉なく手を離した。
はそれが名残惜しかった。

当選はがきを持った及川が受付で手続きを済ませる。

も呼ばれ、靴のサイズを伝えた。


『……ほんと、は小さいね。なんでもないよ』


は及川を見上げたけど、すぐ顔をそらされた。

手渡された靴を持って移動する。
そういえばスケートなんだし、転ぶことも考えてもっと身体をガードできるようなズボンや服にすべきだったかもしれない。
及川くんの隣にいられるとついはりきってしまった。


は靴もちゃんと履けないの?』

『履けるよ』

『ちゃんと結べてないじゃん、まったく』


口でそう言いつつ柔らかな表情で及川はが中途半端に結んだ紐を解き、ぎゅっと足首にフィットするように結び直した。


『ケガしたら許さないから』

『は、ハイ!』

『行くぞ』

『ハイ!』


スケート場は、クリスマスイブとあって混んでいた。

心なしかカップルや男女のグループが多い。
いや、ファミリー用の場所が用意されてるから家族連れはそっちを使ってるせいもある。


『前から思ってたけど、は俺といても緊張してるよね』


すいすいと前を滑っていた及川がこれまた華麗にの近くに戻ってきた。


『そ、そんなことない』

『店だと、おばあちゃんがいるときはそうでもないけどさ』

『一人だと、その、しっかりしなきゃって思うから』

『最近、俺と岩ちゃん以外に誰がきてるの?』

『えぇっとね』


が一生懸命に思い出そうとしているのに、転ぶから前見てと及川に注意された。


『及川くんが話しかけるから!』

『せっかく二人で来てんだししゃべんない方がいいって?』

『そ、そんなことない』

『だろ?』


ほら、俺が正しいって顔をして及川が笑うと、ずるい人だとその笑顔をは眺めた。
それは、いつもの及川と同じだった。


徹!?


だから、いきなり割って入ってきた甲高い声が及川徹のことだって、はすぐ気づけなかった。


『なんで徹がここにいるの? イブは予定埋まってるって』

『これが予定だけど』

『だれ、その子』


女の子だった。同い年くらいの。
その人の連れらしき男女のグループの人たちがこっちを見ている。
視線が及川との交互に注がれる。

及川くんは、その人の質問には答えないで、もういい?と気怠そうに答えた。
相手の子はまったくよさそうじゃなかった。


『用事って……この子とここに来ることだったの?』

『そうだよ、と過ごすため』

『ひどい』

『俺の自由にしていいからどうしてもって言ったのはどの口だっけ?』


あの人、及川くんを叩く。
なぜかは二人の間に飛び出してしまった。

彼女のグループの人もさすがに暴力はよくないと止めに入った。

と及川くんに名前を呼ばれ、は支えられていた。
じんじんと彼女にぶつかった手首が痛い。


、……アイツ』


は思わず及川の袖をつかんだ。
それがなければのそばから及川は離れていたことだけは理解していた。

声をかけてきた子は徹を許せないとまだ喚いていた。


、ちょっといい?

 すぐ戻る。大丈夫、お前をひとりにしないから』


その声が、おばあちゃんといる時と同じだったから、緊張感は抜け切らないものの、は及川が望むとおり、袖から手を離した。

氷の上をさっそうと滑っていく。

及川がそのグループの人たちと何か喋っていることはわかったけど、にはその内容まで聞き取れなかった。
手首が痛い。


、ただいま』

『今の人、彼女?』


及川はすぐに答えなかった。


、手は『いいよ』


今度はは及川に支えられることを拒んだ。

なんでこんな気持ちでいるんだろうとは思った。

手が痛い。
彼女は思ったよりずっと目いっぱいの力を込めて及川くんを叩こうとした。
それくらい怒っていた。




『いいよ、わたし、一人で帰る』


あぁ、痛い。痛いよ。

手が痛い。

スケートになんか、来なきゃよかった。

ぶつけたのが私の手首でよかった。


は自分の手首を眺めた。
及川くんに当たっていたら、バレーに支障があったかもしれない。
でも、自分がいなければ、及川くんが叩かれる状況にもならなかっただろう。

はスケートリンクから上がり、すぐ後ろについてきていた及川を見た。


『なんであの子を誘わなかったの?』


は今日のために選んだ服の裾で目元をこすった。
及川は、お前と滑りたかったからだよと答えた。


『でも、あの人……』

は気にしなくていい』

『気にする! 彼女いるって、なんで言ってくれなかったの』


の訴えに及川は答えなかった。


『帰る、手、痛いし』

『ちょっと見せろ』

『やだ』



『やだって、やだ』


子どもみたく抵抗してみたのに、及川にあっさりと捕まって、あの子から庇った方の手首を見せることになった。

及川がアイツと小さく呟いた。


『救護室行こう』

『きゅっ!?』


そんな大げさなこと、したくない。

が訴えても及川はすぐ冷やしたほうがいいの一点張りだった。
氷ならそこにあると冗談でもなく半ば本気では訴えたが、やっぱり及川はその主張を聞き入れなかった。


『いいって、ねえ、及川くん』

『悪かった』


は及川の謝罪を初めて聞いた気がした。


を傷つけたのは俺のせいだ。責任は取るよ』


はその意味を理解できずにいたが、及川にテキパキと救護室に連れられてそれどころではなくなった。

中にいた人にはスケートで転んで手首をぶつけたと思われ、もその調子に合わせた。
実際のの手首には彼女の爪による引っ掻き傷もあったが、わざわざ説明しなかった。
及川も、彼女をしっかり守らないとって言うスタッフの言葉を訂正することはなかった。


『今日は『ここでいいよ』


待ち合わせ場所はクリスマスイブとあって一段と綺麗なイルミネーションが輝いていた。


『じゃあね!』


は駆け出した。
追いかけてきて欲しかったけど、及川が来ることはなかった。
メール一つ届きはしない。

何にも話してくれない及川くん。

彼女がいたくせに、なんで、自分をスケートに……

きらめくイルミネーションが目にまぶしい。
せっかく、いっぱい頑張ったのに。

セットした髪も力なくへたれていて、いっそうを悲しい気持ちにさせた。

及川くんとは今日限りになるかもしれない。

あの女の子の“徹”って響きがいつまでも離れない。




けれど、及川くんはお店に来た。

いつものって簡単に言って、こっちの気持ちも知らないで、スケートのこともなかったみたく。

あいかわらずって気軽に呼び捨てる。



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