ラムネ色した 憐憫 10
もらった指輪は、なんにでも合わせやすそうだった。
でも、なんで及川くんは自分になんかプレゼントしたんだろう。
帰ってからずっとは指輪が気にかかった。
服を着替えたとき、ネックレスが引っかかり、一度首から外し、チェーンから指輪をすべり落とした。
指にはめてみると、思ったよりしっくり映る。
部屋には誰もいないのに急にはずかしくなって、すぐまたネックレスに指輪を通した。
かわいい指輪。
理由のないプレゼント。
及川くんは、何一つ悩まずにこの指輪を買ったに違いない。
周りにいる女の子も、きっとこんなことで考え込まずに素直に指輪を愛でるだろう。
悩むのはきっと、意味なんてない贈り物に意味を見出そうとしているからだ。
“は、俺の彼女になりたいの?”
及川くんの質問が思い浮かぶ。
イブの夜。
及川くんの問いかけにイエスと答えていたら、本当に及川くんの彼女になれたかもしれない。
でも、なってどうするんだろう。
質問された時には気づいてしまった。
スケートの時、徹って呼びかけてきた女の子。
あの子は未来の自分だ。
今度は自分が“その子となにしてるの?”って話しかける日がいつかやってくるんだ。
は深呼吸をしてネックレスを机の上に置いた。
ベッドの上に転がり、ぎゅっと身を縮こまらせて丸くなる。
寝ようと思った。
朝になれば気持ちも落ち着くはずだ。
でも、帰りがけに飲んだコーヒーのせいか、ちっとも眠気が訪れない。
及川くんが、ブラックも飲めないのかって笑うからつい張り合ってしまった。
指輪も気になる。
引き出しにしまおうか。どうしよう。
迷っている内に眠りに落ち、翌朝、それをまた昨日のように首からかけた。なんとなく。
なんとなく、及川くんから離れられない。
お店の手伝いをしているせいか。
顔を合わせるきっかけがあると、忘れようと思ってもまた引き寄せられる。
これが恋というものなのか。
それとも、自分が特殊なだけなのか、いまいちわからない。
及川くん以外にこんな想いを抱いたことはない。
小学校も、中学校も、このままいくと高校も、その先はわからないけど、自分の中で“恋”と分類してよさそうな気持ちは、及川くんに対するものくらいだった。
年明けで寒々しい日の体育の授業前、あたたかな教室で着替えていると、指輪を首からかけていることに友達が気付いた。
みんなの話題にされた時、指輪が『いいセンスしてる』ものとわかった。
たしかにけっこう値も張るそうだ。
他校に彼氏がいる人たちが盛り上がる中、とりわけ仲のいい友達がにこっそりと耳打ちした。
“その指輪、ごんべーからじゃないよね?”
及川くんこと名無しの権兵衛くんは、友達の中では略されて『ごんべー』とされていた。
友達は勘がさえている。
うなずくと、友達はやっぱり不誠実だと憤慨した。
“不誠実”
も、その言葉を否定できなかった。
とっくにスケートの子と別れているのか、他の人と付き合っているかわからない。
彼女がいるなら不誠実そのものだ。
いなければ……、告白もなしに指輪なんてものをプレゼントするなんて、と毒づかれる可能性はある。
彼女、いるのかな。
及川くんに聞いたら教えてくれるんだろうか。
知らない方がしあわせでいられる気もする。
『ほらっ! そろそろ体育館行こう?』
はみんなに呼びかけると、そうだねと一斉に動き出した。
休み時間もあと少しだった。
指輪の話題を続けたくないのもあった。
けど、本当は、
“不誠実”
自分にも突きつけられている心地だった。
ネックレスを付けつづける。
彼女にしてほしいかという質問に答えていない。
誰かにとがめられた訳でもないのに、不誠実という響きがじくじくと刺さって抜けない。
だれに、どんな“不誠実”をしているんだろう。
答えが出ないまま、体育の授業を受けた。
店番も続けた。
及川くんに会えるのも理由の一つだし、家族に何を言われようと、手伝えるうちは、この場所をそのまま残しておきたかった。
なくしていい理由が見つからない。できるなら、いつまでもずっと、未来のだれかのためにこの場所を取っておきたかった。
よく来てくれた人が来なくなり、また知らない人がぽつり訪れる。
不定休に甘えたくなかったけど、想いだけで時間は確保できなかった。
そんな風に時を重ね、高校3年生になり、春はぱっと過ぎ、夏も終わりに差し掛かる。
進路だとか、受験だとか、“現実”が迫ってきて、おなかいっぱい、そんな気分だった。
「じゃあな、」
「ばいばい、岩泉くん」
及川くんからもらったおやつのラムネ(コーラ味)を舌の上で転がしていると、二人の反省会?も終わったらしい。
二人ともジャージ姿だったから、今日も多分“ばれー”だったんだろう。
及川くんにも見送りの挨拶を告げたのに、及川くんはと言えば足を止めた。
高3、夏。
去年も似た光景があったと見まごう程、いつまでも変わらない景色に二人立っていた。
「どうかした?」
「……」
こんな感じの及川くん、めずらしい。
何か言いたそうで、でも言いたくなさそう。
が密かに分析する前で、及川は視線をあっちでもない、こっちでもないと動かしたのち、結局、に戻して切り出した。
「約束だけど」
「……やくそく? って、なんの?」
いつの間に及川くんと自分は約束を交わしたんだろう。
が合点がいかずに小首をかしげると、及川の方は不満げに眉を寄せた。
はのん気でいいな、とぼやいてから続けた。
「今年のイブだよ」
イブ、クリスマスイブ。
言葉にした途端、この暑さの中では一瞬で蒸発してしまいそうなほど、場違いに思えた。
「延期になった。……決まった訳じゃないけど、決まった」
決まったわけじゃないけど、決まった?
「……えーっと、どっち?」
「延期! 延期で決まりっ、楽しみにしてるだろうには悪いけどな!」
「あー、いや」
イブの約束なんて、去年そう言えばそんな話したかも……?くらいの認識だったが、もそこまで訂正を入れられなかった。
「、勘違いすんなよ、行かないんじゃなくて延期だからな! 俺と行かないからって他のやつと行くなよ、わかったな?」
「う、うん」
及川くんに念押しされなくても、受験生だし、遊園地にそこまで思い入れもなかった。
ただ、気にはなった。
言いたいことを言い終え、さっさと帰ろうとする及川のカバンをはつかまえた。
「イブ、なにか、あるの?」
遊園地に行けなくなってもはかまわなかった。
観覧車に乗りたかったのも、去年のあの瞬間であって、これからやってくるその時に同じ心境かはわからない。
ただ、あの時と違うのは、の首にプレゼントがかかっている。
「なんにもないよ」
肩の力の抜けた一言。
及川はの髪にふんわりと触れ、その手をすぐ離した。
「あるのは年明けだし」
「年明け?」
「は知らなくていい」
「春高だろ」
「岩ちゃん、いま俺はいいって」
「隠すようなことじゃないだろ」
春の高校バレー。
高校バレーの全国大会、って岩泉くんがわかりやすく言い直してくれた。
全国の高校生が競い合う夢の舞台、高校バレーの日本一を決める試合。
バレーというものにうとくても、すごく大事な試合ということは理解できた。
「がんばってね、二人とも!」
「ああ」
「いつから始まるの?」
「いいよ、は。バレーのことは知らなくていい」
と岩泉の間に割って入って、話をさせないようにか、及川が岩泉の背中を押した。
「ともかくそーいう訳だから! 延期だから!忘れんなよ」
なんでにだけ言わないんだ。
いーじゃん、別に。
見てもらえんの、最後だぞ。
いいよ、に見てもらいたいわけじゃないし。
は、なんにもしらなくていい。
遠ざかっていく二人の会話、いつまでも聞き耳を立ててしまった。
バレーボール。
全国大会。
……高校、最後。
「えっ、あ、もしもし!?」
『、観にくんのか、試合』
夏休みも終わって9月、休み明けの試験が終わったくらいのことだ。
が気になって岩泉にメールすると、返信の代わりに電話が鳴った。
「えぇーーっと、二人がバレーするの最後って、だから、その、みれないかなって」
『あいつに聞けばいいじゃねーか』
「……い、嫌がるかなって」
でも、見てみたい。
は無意識に首にかけたままの指輪をいじりつつ答えた。
『、メモするものあるか?』
「あ、待って」
岩泉が説明することをはルーズリーフにせっせと綴った。
「ほんとうに、……すごいんだね、二人の学校」
宮城県の代表決定戦という響きだけですごさが伝わってくる。
『全国に行ってないけどな』
あ、そうなんだ。
はそういった情報すべてに触れてこなかった。
『今年は行く』
「……うん。勝ったら年明けに“春高”なんだね」
『ああ』
「そっか、……そっか」
だから、イブ、延期になったのか。
しばらくバレーの公式試合の流れを説明してもらうと、はぽつりと漏らした。
「あのーーさ」
『ん?』
「……やっぱり、私、観に行かない方がいいかな」
及川くんが浮かぶ。
『行きたいから連絡してきたんだろ』
「そう、だけど」
こないだもには話すな的なこと、そういえば言ってたし。嫌そうだったし。
「及川くんはやっぱり『それ、俺に聞くのか?』
すとん、と理解する。
「そうだね、ごめん。
……、もっかい、教えてもらったこと、確認させて」
はメモした内容を読み上げながら、及川徹を思い浮かべた。
バレーしてるところ、見たいな。
想像の中で話しかけても、及川くんはいつもの静かな微笑みのままだった。
next.