ハニーチ





ラムネ色した 憐憫 5






及川くんは、もうここに来てくれないんだろうか。


高2の秋。

そう思うことが『寂しい』と同義であると気づかぬまま、は次第に店番のペースを増やしていった。
ここにいれば及川に会える気がした。


人づてにも、

『徹ちゃん、に会いたいって』

そう聞くこともあった。


タイミングって自分でなんとかできない。

けれど、自分が補充したはずのソーダ水が減っているのをみると、は及川の気配を感じた。
実際にだれが買ったかまでは確認していないけど、及川くんがきたと考える方がうれしいから、そうした。

店の扉が、中途半端に開いている。

しめようとが手をかけると、吹き抜ける風に、秋を感じた。


その向こうにいた。






再会もまた、突然やってくるものである。

今日の及川は、不機嫌だった。

目が合うや、を咎めるように眉を寄せる。

何かあったのかとは思いつつ、及川を店の中へと招き入れた。

ほら、いつもの、ちょうだい。

そう言われるのを待ったけれど、及川はぶっきらぼうに『、ちょっと』と呼びかけた。

は、乱暴に荷物をいつもの場所に投げ置いた及川のそばに近づいた。

及川くんだなあ。

久しぶりなせいか、こんなときでもうれしいって思ってしまう。

及川くんは腕を組み、片足をパタパタ動かした。
いかにもイライラしてますってポーズで切り出した。


『誰だよ』

『……だれ?』

『俺に一言もなしにあんな愛想を振りまいて。いつからそんなやつになったのか、言い訳を聞かせてもらおうか』


は事情がのみこめない。
でも、久しぶりに会った及川を前に、本当に及川くんがいるんだなあと実感し、笑みがこぼれた。


『なに笑ってんだよ、俺が怒ってんのに』

『ごめん、でも、何の話してるの?』


及川は自分の言わんとすることが、目の前の相手にいっさい通じていないことを理解し、長く息をついてから、短く単語を並べた。

昨日。白鳥沢のバス停前。


『あぁ』

『俺が見ない内になんで白鳥沢の人間と仲よくなってんだよ』

『仲よくなんか』

『いーやっ、すごく仲がよさそうだったね、なんか手まで握ってたし!』

『手?』


そんなことはした覚えはない。

ただ、やりとりはした。

先週、おばあちゃんが道に迷ったときに親切にしてくれた白鳥沢学園の生徒さんに、お礼の品をプレゼントしに行く役目を仰せつかって、昨日やり遂げた。


『……おれい?』

『おばあちゃん、検査のために総合病院に、ほら、白鳥沢のところ、大きいのあるでしょ?』

『ある、ね』


及川の声色がガラリと変わったが、は気にする様子なく続けた。

あの辺りは道の工事が進んで、一本曲がる方を誤ると学校側に入ってしまう。


『おばあちゃん、スマホもないし、タクシーもあの辺走ってないし、困っちゃって。昨日の人が、病院まで案内してくれたの』


親切にしてくれた生徒さん、という情報だけで、教えてもらった電話番号も寮生だから学校の電話番号というし。


『私が代わりに調べて、お願いされた菓子折りをもってったの』

『……、……あんだけ長くしゃべること?』

『すぐ受け取ってくれなかったの、でも、どうしてもお礼してほしいって言われてたから』

『……そーいうのはさっさと受け取れよ、紛らわしい!』


、というより、その相手に対してフンっと苛立った様子で、及川はそっぽを向いた。

はたとは気づいた。


『及川くん、なんで、その日のこと知ってるの』


が白鳥沢の方に行った日は、家族の誰も付いてきていない。

友達には放課後に用事があることは話したけど、詳しいことは説明していないし、当日、その親切な人とのやり取りの詳細は誰にも話してなかった。


『ねえ、なんで及川くん知ってるの? まさか』


及川の肩がびくっと上下する。


『及川くんの友達だった? あの』

『友達じゃないねッ』

『え? じゃあ』

『なんでもないし、には関係ない』

『関係ないって……、で、でも、このこと教えてもらうくらいの仲なら』

『話してないよ! たまたま、ぐーーぜん、を見かけただけだっ』

『そんな偶然……』


あるんだろうか。

の疑問に、あるよ!!と及川は大きく返して黙り込んだ。

けれど、それで納得できなかったのは、のなかで一つ考えが浮かんだからだった。


『見かけたのは偶然かもだけど……、及川くん、そのことで怒ってたでしょ?』


及川は微動だにしなかったが、続く沈黙はイエスと思われた。


『私、怒られるようなこと、してなかった』

『それは……』


ごにょごにょごにょ。

けっこうな近い距離にいるのに、及川のささやきをは聞き取れなかった。

もう一回。

がじーっと及川の顔を覗き込む。


『ちゃんと聞こえるように言って』


が繰り返すと、観念したのか、及川は腕を組むのをやめて、はああっと長く息をつき、髪をかき上げた。


『わ、る、かっ、た。 これでいいだろ』

『……』

『まだなんかある?』


言うなら、いま。
の心臓はバクバクと激しく動いていた。


『ある』


は及川に向き直り、勇気をふりしぼって告げた。


『お詫びに、……デートして』














言わなきゃよかった。

はその日の自分を後悔した。

なんでデートなんて。
久しぶりに会えたから舞い上がった。

でも、頼むならあのタイミングしかなかった。
及川くんにお願いできることなんて、めったにないし、次に会えるのいつかもわからないし、何事も勢いってある、し。


『あぁーーー……、あ、いらっしゃいませ!』


レジに突っ伏していたが、ドアの開く音には反応し、頭を切り替えた。

デートの行き先は後回しにしよう。

お客さんは、ちゃん楽しそうだねと言ってくれたけど、そう見えているならいい。

の脳裏にはあの日の及川がはっきりとよみがえる。



『デー、ト?』


の言ったことをくりかえす及川。

デート……

デート。

まるで、飴玉を味わっているかのようだった。



『いいねっ!』


なぜか生き生きとしだした及川は、の口を挟む隙もなく、スラスラと続けた。


、俺とデートしたいんだ。いいよ、お詫びだしね、仕方ないから、デートしてあげよう。

 でも、俺は忙しいからいつになるかは今度連絡する。

 あと、言い出したのはだし、行き先もが決めるんだよ、つまんないところだったら却下するから、そのつもりで』


や、やっぱ、なし!

言わんとしたの唇を、まだ聞いてもいないのに及川の人差し指が先に制した。


『デート、約束したからな。のエスコート、楽しみにしてる』


“デート”

この単語が脅迫めいて聞こえたのはなぜだろう。
それに、及川くんはなんでそんな楽しそうなんだ。

お店に来た時と打って変わって鼻歌まで歌いはじめるし、機嫌がものすごくいいのか、へのおやつ代もグレードアップして、一緒にアイスモナカを食べることになった。

モナカはおいしかったし、及川くんに会えたのも、もちろんうれしかった。
けど、の申し出は、自分の想像よりずっと厄介な宿題を作るはめになった。



『あの!』


買い物をし終えた女性には声をかけると、その人は足を止めた。

いつも来てくれるこの人は、今日は子供さんを連れていなかった。


『い、いきなり聞いて失礼かもしれないんですが、デートって、どういうところがいいって、ありますか!?』


ぶしつけすぎる質問だったと、も後になって気づいたが、このときは、頭が混乱しすぎて声をかけずにはいられなかった。
こんなこと、家族には聞けないし、学校の友達にも下手なことは言えないし(以前の“ごーこん”の一件が尾を引いている)

その人は親切にもがなぜその質問をしたのかには触れず、2、3候補を挙げてくれた。

てきとうな紙が見つからず、は電話の横にあるメモにせっせと記録した。

その様子に女性は笑った。


『書くほどのこと?』


それくらい、大事な相手ってことね。


のペン先が、一瞬だけ宙に浮いて、また続きを綴った。


『……その人、私なんか、眼中にないです』


名前は伏せたまま、名無しの権兵衛くん、こと、及川徹をは思い浮かべた。

スケートの時のことが浮かぶ。

徹?って話しかけていた子は、着飾った自分よりもずっと及川くんの隣が似合う気がした。

が知らないだけで、学校にも同じような子がいるのかもしれない。

それも、数多く。


『あ、引き留めてすみません!』

『大人になるとね』

『はい?』

『とくに、そう思うんだけど』


その人は荷物を持ち直し、いつもの会話と同じく続けた。


『どうでもいい相手に時間を使うほど、人間、暇じゃないと思うの』


あいさつを短く付け加え、その人はお店を後にした。


ひまじゃない、か。


には、俺は暇じゃないから行き先はしっかり考えろよって及川の声にチェンジされた。



next.