ハニーチ





ラムネ色した 憐憫 9








『及川くん、……大丈夫?』

、なに笑ってんだよ』

『笑ってないよっ』

『いいから、さっさとペットボトル貸して』


言われるがまま、そこの自販機で買ったスポーツ飲料を差し出す。
及川はすぐさま頬っぺたにそれを当てがった。

何故か。

理由は単純、おばけの人形と激突したから。

は及川の座るベンチのとなりに腰かけた。
野外だけあって、服越しでもわかるくらい冷たい。

怪奇迷宮の看板が、植木のあいだから見えている。
おばけ屋敷の向かい側が空きスペースになっていて、休憩するのにちょうどよかった。

及川くんはペットボトルを当てたまま動かない。

やっぱり、痛かったのかな。
顔だし、大丈夫って言ってても病院に連れていくべきかも。


『大丈夫だよ』

『!』


及川から鋭く視線がに送られる。

続けて、病院に行くほどではないと告げられた。
は、なんで考えていることがバレているんだと不思議に思った。


は余計な事しなくていい。

 黙ってそこにいればいいよ』


やっと及川くんは顔を上げた。

そのほっぺたの様子を見ようにも、電灯一つじゃいまいちわからない。
こちらの視線に気づいて、及川くんはすぐペットボトルでぶつけた方を隠した。


『なんなんだろーね、最後のあれは』


及川くんがじーっと出口から出てきたグループを眺めている。
自分たちと同じ仕掛けを体験しているだろう、その人たちは大笑いしていた。

ここのおばけ屋敷は入り口から順々に進んでいき、概ね5カ所だろうか、おばけたちの見せ場がある。
今回は映画に合わせた内容らしく、最後まで楽しめたなんて及川くんは話しながら出口に向かった。

けれど、本当の最後は、まだあった。


『出口って書いてあるところであんな噴射出すなんて、客の安全性を考えられてないね!』

『……うん』


最後のやつ、ドライアイスだったのかな。

すごく冷たい真っ白い何かが吹き付けられ、壁からポスターにいたおばけが飛び出した。

結果、驚きすぎてその仕掛けにぶつかった。


『ひゃ!』

も顔ぶつけてただろ』

『わ、わたしは平気だって』

『いーやっ、俺がみるに、けっこうぶつけてたね、見せてみな』

『冷たいってば』

『冷やすんだから当然じゃん』


逃げても、顔を腕で隠そうとしても、及川くんがペットボトルで追いかけてくる。
こんな真冬に冷え冷えのそれは、けっこうつらい。

必死によけ続けていると、及川くんも面倒になったのか、最後は自分の顔に当て直していた。


『でも、おもしろかったね』

『人が顔を痛めたっていうのに?』

『いやっ、それは、ちょっと不幸な出来事だったけど』

『ちょっと?』

『え、えぇっと』

『いいよ、それで?』


及川くんはからかうのに満足したのか、フッと笑って続きを促した。

は言いかけたことを口にした。


『昔、いっしょに探検した時のこと、思い出した』


中学に上がる前くらい、家の近所にもおばけが出るという場所があった。

幽霊病院だっけ。
誰もいないはずなのに、窓から白衣を着た人がみえるなんてうわさを聞いて、確かめに行った。
及川くんと二人。

今になって見ればどうってことないと思うけど、当時は怖かったし、冒険だった。

及川くんも覚えていたらしい。


『あの時の、覚えてるよ』


及川くんは冷やすのは十分だったのか、ペットボトルの蓋をひねった。


『ずーっと俺にしがみついてた』

『そ、そんなこと!』

『今日と一緒だろ』


ぐ、と反論したい気持ちをこらえる。

事実ではある。


『怖いの苦手なくせによく付いてきたよね』

『……いっしょが、よかったから』

『ん?』

『なんでも、ない』


そういえば、自分の分も買ってたっけ。

寒いから小さめのホットのお茶を選んだけど、しゃべっている内にぬるくなってしまった。
オレンジ色のキャップをひねるにはちょうどいいかと思いつつ、不良品なのか、なかなか開かない。


『貸しな』


言うが早いか、小さなペットボトルがの手から及川の方に移る。


『こんなのも開けられないなんて、は変わんないね』

『そう?』


キャップの外れたペットボトルを受け取りつつ、は隣を見つめた。


『私、そんな変わってない?』


口をついて出た言葉の真意を自身把握はしてなかった。

ただ、聞かずにいられなかった。

手元のお茶からはうっすらと白い湯気が立ち上る。


は、俺に何を期待してるの?』


期待。


『早くそれ飲みなよ、せっかくあったかいの買ったのに冷めちゃうじゃん』


及川くんに、期待。なにを。

ぼんやりと植木の向こうを見つめ、またおばけ屋敷を終えた人たちが出てきた。楽しそうに。

は、開けてもらったお茶に口をつけて、ほっと息ついた。
あたたかな液体が身体の芯を通っていくのがわかる。

夜が更けるにつれ、寒さも本格的に深まっていた。


『今日はもう遅いし』


があたたまった右手で、今日という日を切り上げようとする及川の左手を掴んだ。


『さ、最後にさ』


及川くんの手は冷たかった。


『もう一回、観覧車乗りたい』


真っ直ぐに、目を見て。

そう伝えたかったのに、及川くんは俯いたままだった。正確には繋がった手と手を見つめていた。


『……もう乗っただろ』

『乗ったけど、乗りたい』


お詫びなんだし、今日が終わったら、もう約束も終わりになる。

頼むなら今だって思った。

そんなに乗りたいか聞かれると、は間髪入れずに頷いた。


『いいよ』


及川の返事を聞いて、は安心して手を離した。

及川がすぐさま立ち上がり、を見下ろした。


『来年ならね』

『らっ!?』

『今日はもうおしまい、遅くなったし、の家族も心配するじゃん』

『一周だけだよ!?』


が反論しても華麗にかわされる。

いつもと同じだ。
及川くんに口で叶わない。
口でダメなら拳だろっていつか岩泉くんに言われたのをは思い出しつつ、できるわけないとため息をついた。


、飲まないならキャップ』

『ん……』

『そんな顔しない、デートに来てる女子がそんなんだとこっちのテンションまで下がるだろ』


そもそも及川くんのテンションは上がっていたのだろうか。

プラスからマイナスならわかるけど、そもそもゼロなら意味がない。
言葉にするだけ空しくなるから、は黙って残りのお茶のキャップをひねった。


『たく、わかった』

『え!』


そんな嬉しそうにするなと、及川くんに釘を刺された。

別に観覧車に連れてってくれるんじゃないそうだ。
なんだ、残念。


『これ見て驚くなよ』

『なにが?』


正直、なにを出されても驚く気がしないほどガッカリしていた、はずだった。


『じゃーーんっ、これなーんだ!』


及川くんの手のひらに乗っていたのは、指輪だった。

シンプルな銀色のデザイン、しかも二つ。

言葉を発せられずにいるにかまわず、及川はてきぱきと指輪の一つをチェーンに通し、の首にかけた。


、失くしたりしたら許さないからな』

『な、な、なに、これは』

『クリスマスプレゼント』

『なんで』

が今年一年いい子だったから特別に』

『いらない』


の言葉に及川の眉が寄る。

去年のスケート、“徹”と呼んだあの子が浮かぶ。


『こ、いうのはさ……』


どうしよう、心臓がうるさい。


『どうでもいい相手にあげちゃ『だからだよ』


チェーンの金具を外そうとして上手くできずにいたの手が止まる。

及川がの手を掴んで強引にやめさせた。


『俺の言うことがどうしても聞けないなら、今からおばけ屋敷一人で入ってきて、その中で外してこい。それなら許してやらなくもない』


そんなこと、できるはずない。


『できないなら付けてなよ、来年またここに来た時に俺が外してもいいよ』

『彼女は?』


なんで、最後の最後に、こういうことするんだろう。

泣きそうになるのを我慢して、は言葉を飲み込んだ。

去年の、スケートで会った人と、どうなったの。

聞きたくなんかないのに、なんで聞かずにいられないようにするんだ。


『……、まだ、そんなつまんないこと』

『つまんなくない』

が気にすることじゃない』

『気にする』


目を見て、聞かなきゃ。大事なことだから。

ぎゅっとつながった手を握りしめ、まだ離されていない事実に勇気をもらう。

お前には関係ないって言われるんだろうか。

もう、いなくていいって突き放されるかもしれない。



は、俺の彼女になりたいの?』



聞かれて、途端、理解する。

まばたきした時、涙が頬を伝ってしまった。
その一滴を、及川くんの人差し指がぬぐった。

は、首を横に振った。


『……だったら、この話はおしまい! 帰ろっ』

『及川くん』

『指輪はいらなきゃ捨てれば。もう二度とやんないから、後でどうしても後悔することになるってわかった上で捨てればいいよ、でもそれけっこーしたからな』

『及川くんってば』


が手を引いて、やっと及川は足を止めて、をみた。

涙をこぼしたせいで、及川くんがいっそうキラキラして映る。


『おばけ屋敷、一人で行ってこれたら……観覧車、乗ってくれる?』


これで最後にしたかった。
きれいな思い出にして、もうぜんぶ、しまってしまいたい。

及川はの質問に長く息をついた。


『なーんで、そんなにこだわるかな』

『だ、だって』

『いや、の考えてることなんてわかるよ。でもな!』


いたっ。

のおでこに痛みが加わる。

及川くんにデコピンされたんだってすぐわかった。なんでそんなことされるんだろう。

不機嫌になるならこっちのはずなのに、相手の方が憤慨しているようだった。


『観覧車なんて同じところをぐるぐるするだけで、なーーーんにも変わらないんだよっ。

 さっ、本当に今度こそ帰るよ、明日も早いし』


及川くんが荷物を持って有無を言わさず歩き出す。

も抵抗してみたものの、及川くんの力にかなうはずもない。
何かを変えたかったデートがくれたのは、の首にかかる指輪一つだけだった。


、そういえば』

『え?』

『……やっぱいいやっ、行こう』

『き、気になるよ、教えて』

『そっか、ずーーっと気にしてるといいよ』

『!ひどい』


がいくら訴えても、何を言いかけたか、及川くんは教えてくれなかった。

自身もひとつ、そういえばと思うことがあった。

この指輪、なんなんだろう。




next.